水灯




 かじかむ手に白い息を吐きかけながら、私はじっと鬼灯が流れてくるのを待っていた。
 霜落ちた蒲草の上に草履をつっかけただけの足の指はかじかみ、しもやけた痒さを紛らわそうと足元に手が伸びる。指にこもった燃えるような暑さを攪拌しながら、再びほうとついた息の向こう、ちらり、と青白い光が浮かんだ。
 違う。あれじゃない。
 ついたばかりにもかかわらず、また息が夜闇を白く濁す。
 あれは螢灯。鬼灯ではない。
 かれこれもう二時間も待っている魂は、生きている間に多くの人間を殺めた者の魂だった。
 罪は青白い魂を次第に赤く染めていく。だから罪深い魂を、曰く鬼灯と呼ぶ。熟れた鬼灯に似て、赤黒く腐り落ちる寸前の如くその魂はどの魂よりも柔らかく、脆い。
 人の世に放出されたまっさらな状態の青白い魂を螢灯と呼ぶが、大概螢灯はこの川に還ってくる頃には土埃を被った如く薄黄色くなっている。この一般的な魂を月灯という。さっき流れてきた螢灯は、人の世に出る前に迷ったのか(そんなことはまず有り得ないが)、現世で言う聖人君子たる資格を得るべく人の世で文字通り何もせずにただ行って還ってきただけなのか、あるいは、生まれてすぐにおぎゃあとも言わずに死んでしまったのか。まぁ、殆どの螢灯は生まれて間もなく死んだ者の魂だ。あれは捕獲しなくてもまだこっちのことを覚えていようし、外殻もそれこそ螢のようにしっかりしているから自ら還るべきところへ還ることが出来るだろう。薄汚れただけの月灯ももう少し上流に進めばこの世界のことを思い出すだろう。
 しかし、今待っている鬼灯はそうはいかない。
 この世界に入ってすぐにでも掬って瓶に詰めてやらないと、自らの形を保っていることが出来ずに四散し、爆風によって周囲に多大なる被害をもたらすことになる。魂の核は即ち自己であるが、生き様によっては意識は自己ではなく外界の物へと集中し、他への欲によりて自己を失う。そのようにして出来上がったものが鬼灯である。
 本来であれば、そうなる前にこっちに戻ってきて垢を落としておけばよいものを、近年では長命技術の進歩のおかげで、そういう輩ほどどうにもならない状態になってから還ってくる。
 今日、私が掬おうとしているものも、その鬼灯の中でも特に熟れきってしまった部類だった。鬼灯はガラス瓶に詰められた後、十月十日洗浄液に浸される。この川の水も洗浄液ではあるが、鬼灯を月灯に戻すには上流まで還り着く七日間では到底足りない。
 ちらほらと月灯が流れてきていた。
 今日はいやに数が多い。普段なら二時間いても一つ流れて来るかどうかなのに。何か大きな事件でもあったのか。
 もし、私の待つ鬼灯もそれが原因でこちらに還ってくるのだとしたら――これは思った以上に厄介になる。
 浮かび上がった嫌な予感を吹き消すようにもう一度深く息を吐き出したところで、辺りは俄かに明るく蒸し暑くなった。
「太陽だ……」
 にわかに河口に現れたそれを見て、私は思わず言葉を失った。
 太陽は駄目だ。私一人ではとても太刀打ちできない。
 事故や殺人のように不意のきっかけですでに鬼灯となっていた魂が河口をくぐってしまうと、死という区切りを理解しないまま身体をはがされてしまうため、魂は心を抑制する器を失い、物欲のみならず生への執着によって通常の百倍ほどに膨れ上がり川の水を堰き止める。さらに川水とこの世の空気に中てられる時間が長引けば長引くほど全身は苦痛に苛まれ、悲鳴のかわりに放つ大量の熱で川を干上がらせることもある。
 太陽は地域にもよるが、一年に一度来るかどうか。
「秋茜」
 熊の頭一つ楽に捕獲できそうなたもを手に、蒲の中、霜を踏みしだいてきたのは、私が鬼灯を取りこぼした場合に備えて上流で待機していた蝲蛅ざりがにだった。
「ぼんやりしてる場合じゃないだろ! 早く掬ってやらないと!」
 蝲蛅は大きなたもを振り回し、太陽の頭に狙いを定めた。しかし、いくらたもが大きくとも、私たちの二倍はあろうかという太陽をどうして蝲蛅と私の二人だけで掬うことができよう。よしんば掬えたとしても、私の持っている瓶に納まるわけがない。
「秋茜、知っているだろう? 川幅よりも大きくなって身動きできなくなるのは苦しい。瓶に入れてもらえず、川を堰き止める大岩の如く捨て置かれるのはもっと苦しい。全身に慣れぬこの世界の空気と川水を浴び続けることがどれだけ苦痛を伴うか、忘れたわけじゃないだろう?」
 額に手を翳して灼けつく光に目をしばたかせながら、それでも目を逸らすことなく蝲蛅は太陽を見つめる。
 知っている。
 その苦しみならば、嫌というほど思い知っている。
 しかし。
 腰に挿した瓶に伸ばされていた手を止め、私は首を振った。
「太陽掬いが来るのを待とう」
 瓶を離して空になった拳を握り、自分に言い聞かせるように蝲蛅を諭す。
「鬼灯掬いの私たちがでしゃばっても、被害を大きくするだけだ」
 しかし、私が諭したくらいで大人しく頷くような性格であるならば、蝲蛅などという攻撃的な性格を連想させる名が与えられるわけがない。本来、名は生来の短所を補強したり突出した性質を抑制するために被せられるものであるが、蝲蛅に関してはその本性を抑えるのではなく、周囲に注意を促せしめるためにその名が与えられたという。
「じゃあ、秋茜の言うとおりそいつらを待ったところで、こいつが爆発したらどう責任を取るつもりだ? こいつは太陽なんだ。鬼灯が爆発するどころの話じゃない。巡礼中の善良な魂や、街までが一瞬で消し飛ぶかもしれないんだぞ? それだけじゃない。爆発後に黒穴にでもなったら、この世もあの世も終わりなんだろ?」
 蝲蛅は私が制止するのも聞かずたもを振り回し、太陽に飛びかかった。太陽の天辺に飾り帽子のようにちょこんと黒い網が引っかかる。
 一呼吸置いて、太陽は怒りの紅炎を噴き上げた。
 たもは一瞬にして灰となり、炎に煽られた蝲蛅は水柱を上げて川の中に沈んでいく。
 波は高くなり、水温は太陽が近づくにつれて上がっていく。汀に立ち尽くす私の足は、いまや太陽が放つ熱に温められ沸騰しはじめた水に規則的に舐められていた。
 太陽はいつの間にか頭の天辺すら見えないほど巨大化し、尚も膨張を続けている。
 だが、膨張しているにもかかわらず、どうも外殻に内側から漲る力が感じられない。どんなに我を失っていても、己を邪魔するものが消えれば一瞬は満足を味わえるだろうに。
 もしやあれはすでに核となる己を失い、肥大化する欲望のみで暴走しているのではないか。ならば、爆発はしなくとも、己が欲望に焼き尽くされて灰になり、掬うものすら何も残らないかもしれない。
 それはさぞ苦しかろう。何も感じられないというのは、人の世に身を浸した者ならばこれ以上ないほどの苦痛であろう。己の存在意義である欲望すらないということは、ひいては無を意味するのだから。
 太陽の紅炎は次第に広がりを見せ、動きが活発になっていた。放つ熱も上昇し、川から白い湯気がくゆりたつ。
 太陽掬いはまだ来ない。
 本来であれば危険度の高いものほど事前に抜かりなく準備がなされているものであるのに、この太陽はそれほど意表をつく事件から生まれたというのだろうか。
「秋茜! 沈んだ! 秋茜!」
 人の足首を掴むと同時に水面から顔を上げた蝲蛅は、鸚鵡のように甲高い声で叫んだ。
「あんな無茶をするからだ」
「違う! 俺じゃなく、船が沈んだんだ!! 川底から向こうが見えた」
 ざばざばと川から上がってきた蝲蛅は興奮冷めやらぬ様で私の肩を揺する。
「爆発が起きて船が沈んでた。それも冬の遠洋だ。あれじゃおそらく全員がこっちに来る。月灯が多かったのは気づいてただろ? まだまだ来るぞ!」
 蝲蛅が唾を飛ばし報告した側から、川下に月灯の大群が見えた。夜闇にぼんやりと淡い銀色の光が滲んでいる。速度は緩い。だが、太陽掬いが到着するのと、あの月灯の大群がこの太陽に呑まれるのとどちらがより確実で早いかと問われれば後者であろう。
「蝲蛅、月灯を掬おう」
 私の持っているたもは蝲蛅が持っているものよりも二回りほど小さい。掬った鬼灯を入れる硝子の瓶とて、とても太陽が入るわけもなく、しかし、数は三本。出来ることといえば、あの月灯が太陽に呑まれて灼かれる前にこの瓶に掬い入れること。
「だけど秋茜! 月灯は鬼灯じゃないんだぞ! 月灯は自然な流れに任せて還るからこそ綺麗に浄化されるんじゃないか。鬼灯と違って瓶に入れられたら呼吸が出来なくて窒息するんだろ? それに……」
 蝲蛅は、自分が何かをしようとするときは後先何も考えないくせに、人が何かをしようとすれば客観的に考えられるらしい。
「それならこうすればいい」
 私は腰から瓶を抜き取り、蓋を取って三分の一ほど川の水を入れた。
「少し温度は高いが、これくらいあればなんとかなるだろう」
「まさかその瓶に何個も詰めこむ気か?」
「蝲蛅、お前の持っている瓶の数は?」
「四」
「あわせて七本か。犠牲者は何人だった?」
「百五十超えてる」
「足りないな。蝲蛅、その四本、私によこせ。お前は瓶を持って来るんだ。足りそうな分だけな」
「何言ってんだよ。詰め込んだら月灯同士くっついちまうじゃないか!」
「同化する前に上流に流してやれば済む話だ」
 よこせといいながら、私はぐずぐずしている蝲蛅の腰から四本の瓶を早々に抜き取っていた。
 蝲蛅は何か言いた気に唇を何度か動かす。
「秋茜。本気か?」
「何がだ」
「月灯を掬って瓶に入れちゃいけないって、負担がかかって急性的に鬼灯になる可能性が高いからって、規則にもそうあるって教えたてくれのは秋茜だろ? それに、規則を破ったら刑期が伸びるじゃないか!」
「だから?」
 私は蝲蛅の腰から抜き取った瓶を自分と腰紐との間に差しこむ。これで蝲蛅が戻るまで間に合えばいいが。
「だからって、……だって秋茜!」
「そうだな。お前も一緒に禁を破る必要もないな。じゃあたもは無しで瓶だけ持てるだけ持ってこい。ああ、それと、刑期なんて言い方はするな」
「なっ。嫌だよ! 俺も月灯を掬う! てか、この太陽見捨てていけるかよ」
「太陽は諦めろ。あれは爆発しない。自分の欲の深さに呑まれて消滅するだけだ」
 喚きだした蝲蛅は、私を睨みながら唇を噛んだ。
 姿かたちは一人前の大人でも、中身は聞き分けのない子供だ。頭の悪い子ではないからそれが最善と分かっているだろうに、一度はごねないと気がすまない。
「行け」
 私の一言に押し出されて、蝲蛅は上流へと蒲草を掻き分けて走っていった。
「秋茜、俺が戻ってくるまで絶対、呑まれるなよ!」
 余計な一言を残して。
「誰が呑まれるものか」
 当たり前になった決意など、今更誰かに聞かせるものでもない。私は一度太陽を見上げ、吹き上げる紅炎の間隙を縫ってその横をすり抜け、月灯の大群の前で立ち止まった。
 大群をなす数は思ったよりも多かった。月灯の大きさでも、たもを一振りして掬える数はせいぜい四。
 頭の中ではじき出された数に、焦燥感が冷たく粘つく汗となって額を汚した。四つの月灯をこのたもで一掬いに掬い取り、瓶に入れる。七本が埋まったら、太陽の横をすり抜けて上流に放す。それを蝲蛅が来るまで繰り返す。その間、鬼灯に転じるものがあれば、それは瓶の中に残しておかなければならない。それも、お互いを喰い合わないように鬼灯の場合は瓶一本に一つだけ。
 考えている場合ではない。
 私はたもの柄を掴みなおし、水面ぎりぎりの空中を軽く攫った。
 月灯は逃げる蛍のようにちらちらと瞬きながら散開する。
 掬えた数は二。しかし、躊躇している場合ではない。とにかく瓶に詰め、二度、三度、四度、とたもで空中を攫っては瓶に入れていく。
 なんとも地味な作業だった。それも、鬼灯を相手にするのではない。何も知らない月灯を掬うのだ。草食動物のように逃げようとはしても、襲っては来ない。心砕いて説教してやる必要もない。
 掬った月灯を入れた瓶を持って太陽の横をすり抜け、また川に放してやる。三度それを繰り返すうちに、月灯たちは私が自分に害を為すものではなく、目の前の巨大な太陽から救おうとしくれているのだと理解したらしい。次第に月灯たちは大人しく私のたもの中に抱かれ、瓶の中に納まっていった。重くなった七本の瓶を腰に下げ、太陽の脇を駆け抜けようとすること四度。
 ごう、と耳を灼く音がした。
 赤々と躍動していた紅炎は、いまや闇の触手の如く黒く煤けた色に変わっていた。しかし、力強さは変わらない。私の身体を熨さんとばかりに、耳を舐めた炎の舌は返すときには手となり、私の身体を川面にうち伏せていた。
 顔面に、水面に叩きつけられた衝撃とぴりぴりとした皮膚の焼ける感覚が一斉に襲い掛かる。
 水温はあまりにも高くなりすぎていた。このぴりぴりとした感覚は肌が焼けているに違いない。
 そう、私の顔が焼かれている。
 贅を尽くして磨き、保ち、美しく整えていた顔が、醜い現世への未練によって焼かれている。
 私の美しい顔が、損なわれてしまう――
 腰紐にくくりつけていた瓶が、川面に叩きつけられた衝撃で抜け落ちてしまっていたことに、私は気づいていなかった。
『半陰陽でさえなければ、この子ももっと使い道があったろうに』
『嫁にもやれず、かといって、膨らんだ胸では騎士服も着られない。まして、嫁を迎えて跡継ぎを作ることなんて、できるはずがないもの』
『本当に役に立たない子だよ。生活費ばかり食いやがって』
『あら、そうでもないでしょう。この子がパーティに出席すると男性たちの目の色が変わりますもの。貴方だってそれを利用してたくさんいい取引をしているでしょう?』
 一度耳を塞げば二度と彼らの言葉は聞こえなくなった。
 鏡に向き合う時間が増える。
 もっと美しく。より美しく。全ての男たちの目を私に引き寄せるの。そうすればあの人たちだって……そんなことはないと分かっていた。家はあっけなく没落し、あの人たちは私を置いて先に死んでしまった。
 身一つで生きていく方法など限られている。でも、私はそこが苦ではなかった。やることは今までと変わりなかったから。それどころか家の重圧から解放されたこの境遇に感謝さえした。邪魔するものは誰であろうと、店主であろうと競いの女だろうと殺してしまえばいい。毒でも弱みを握った男でも、直接手を汚さなくて済む方法ならいくらでもある。一度うまくいっているのだ、失敗するわけがない。何よりこの美貌さえあればいくらでも人々をひれ伏せさせられる。いくらでも人の心で遊ぶことができる。本気になる者、ばかし合いを仕掛けてくる者――その中でも遊びのつもりで通う男を本気にさせるのが一番楽しかった。
 蠍。
 貴方によく似た男を、私は知っている。その男に出会って私は運命を狂わされた。いや、はじめからとうに狂ってはいたのだが。
 夢中になど、なったつもりはなかった。あくまでうちを潰して成り上がったその男爵の鼻を明かしてやりたかっただけ。うちに出入りしていた頃は、私には見向きもしなかったから。
 しかし、周りからはそうは見えなかったらしい。
 その頃、私に熱を上げる男たちは何人もいたが、本気で専属の愛人契約や果ては結婚まで持ち出してくるのも何人かいた。熱烈に自分一人だけのものになってほしいと懇願する男たち。悪い気はしなかった。だからこそ、誰かに本気になられることの危険性を私は認識していなかった。
『流行りの化粧水をもらってきたよ。女王陛下もお使いになっている有名な化粧水だ』
 私に結婚を申し込んできたいかれた男たちの一人がこの若い男だった。どこぞの公爵の息子だという彼は、いついかなる時でもぬるま湯につかる金持ちのぼんぼんらしく紳士的に優しく振舞う。くすぐったさを通り越して寒気さえ覚えるそいつは、子供っぽさなのか茶目っ気なのか分からないものの言い方と、明るい鳶色の瞳が穢れを知らぬ夏の向日葵のようで私は苦手だった。
 そいつが、ある日手土産に持ってきた化粧水。
『つけてあげるよ』
 無邪気な笑顔でそう言うが早いか、物知らぬ若造は瓶の蓋を開け、中身を私の顔にぶちまけた。
『ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ』
 顔をおさえた指先すらもあっという間に焼け爛れた。頬を伝った血混じりの雫は下着のレースを溶かし白煙を上げる。
 響き渡る哄笑。
 部屋には誰も駆けつけては来ない。
『これで君は僕だけのものだ』
 悲鳴を上げ続ける私を公爵の息子はきつく抱きしめ、嬉しそうに何度もナイフで刺し貫いた。
「秋茜ーっ!!」
 殺してやる。
 殺してやる、殺してやる、殺してやる。
 私の顔に酸をかけたこの男も、金で買収された娼館の奴らも、みんなみんな、殺してやる!
「秋茜! 秋茜!」
 怖気が走った。
「触るな!」
 肩に触れたものを突き飛ばす。
 死にたくない。こんな醜い姿のまま死にたくない。やめて、助けて。
 誰か――
『憐れだな』
 裏路地に生ゴミとともに投げ捨てられた体を烏たちが啄んでいた。
 雨が降っていた。
 溶け崩れ、汚れた蝋人形のような生っ白い男とも女ともつかぬ作り物の体に、細い雨粒とともに聞き覚えのある低い呟きが手向けられた。
 死んではじめて私は泣いた。声のあげられないもどかしさに気が狂いそうになりながら慟哭した。
 許さない。許さない。絶対に許してなるものか。
 あいつらをとり殺して、私はもう一度永遠の美しさと――そう、今度は美しさを永遠に保つための永遠の命を手に入れてやる。
 そして、今度こそあの男をひれ伏させてやる。
 私の望み、誰にも邪魔させない。浄化など、されてなるものか。
「秋茜っ!!!」
 私ははたと目を開けた。
 閉じているつもりなどなかったのに、今のは――。
「秋茜! 呑まれかけただろう、今!」
 見開く視線の先、私の過去を見透かしたかのような蝲蛅の目があった。
 その目に問われるようにして己の姿を煌々と照らし出された水面に探すと、体は半ば太陽に呑み込まれ、無様にも同化しかけていた。意識が戻ればこれほど居心地悪く、気持ちの悪いこともない。
「蝲蛅、さっき川に叩きつけられた衝撃で瓶が七本とも落ちてしまった。探してくれないか?」
「ん? ああ、これ? それなら、ほら」
 蝲蛅はすでに太陽の周りを漂いながら茹でられていた七本の瓶を拾い上げていた。そして太陽の熱が届かないところまで走っていくと、虫かごから虫を放す要領で七本とも栓を抜き、宙に解き放つ。
「あ、馬鹿! 鬼灯まで逃がしてどうする!」
 熟れた橙色の光が三つ、黄色い光に混じって飛び立っていく。が、それらはすぐに蝲蛅の黒いたもの中に掬われた。
「こんなんでどうでしょう」
 茶目っ気たっぷりに振り向いた時には、すでに三つの鬼灯は腰に下げられた瓶の中に納められていた。あの調子のいい性格でさえなければもっと信頼も厚いものを。鬼灯を追いかける足の速さと掬い取る正確さにおいては、現在この世界に蝲蛅を上回るものはないのだから。
「蝲蛅」
 太陽を隔てた向こうには、まだ月灯が残っている。それを掬ってくれないか、と蝲蛅に頼もうとして、私はぐっと口を噤んだ。そんなことをしては、蝲蛅の奉仕期間まで長くしてしまう。
「分かってるって、秋茜。いいじゃん。ともに白髪が生えるまでってね」
「私はご免だ、お前となど」
 蝲蛅は私の言葉など無視してあっという間に太陽の脇を潜り抜け、すばやく残りの月灯を掬い取って瓶に栓をしてしまった。
「ああ、そうだ、秋茜。太陽掬いは遅くなるって」
 たもを川辺に放り投げたところで、蝲蛅は上流へと走りながら思い出したように言った。
「は……?」
 蝲蛅の足が速いから、少し到着が遅れているだけかと思って確かめていなかったのだが。
「その太陽は秋茜が掬えってさ」
 すでに足元を掬われている、もとい件の太陽に吸収されかかっている私に向かって、慈悲もなく蝲蛅は駄目押しをした。
「鬼灯掬いの私に太陽を掬え、と?」
「それは秋茜にしか掬えないんだって」
 鬼灯掬いの私にしか掬えない太陽。そんなものがあるわけ……あるわけが、ない。
「秋茜、俺がいるよ」
 訳知り顔で何も知らないはずの蝲蛅が言った。
 私は返す言葉も見つけられず、私を取り込もうとしている太陽の核に手を差し入れた。赤黒い炎は我も忘れて嬉しげに私を包み込む。焦げる臭いがしてからはあっという間だった。私の手は、髪は、腹は、炎に焙られて溶け落ちていく。苦しさを感じなかったわけではない。痛みを感じなかったわけではない。全ての感覚はしかし、私のものではないように思えた。
『ほぅ、現世では美しいと言われて育ったのだな。両親がお前に目をかけるのは何かパーティーがあるときだけ。お前はその時のためだけに生かされ、美しいと言われるために生きてきた。家が没落し、両親を失ったあとも、お前は他に生き方を知らなかった。当然と言えば当然か。お前は誰も人というものに出会うことなく一生を終えたのだろうから』
 私の生涯を顔を見て一瞬で見透かした人。そんな一息で語られるほど私の生きてきた時間は短くうすっぺらだったのかと、頭に流れ込んでばかりいた血液が一瞬にして引いていったのを覚えている。その一方で、お前は私ではないくせに、と血液の底で冷たい憎悪が海底を埋めるように広がっていったことも。
「蠍」
 この痛みはこの太陽の痛み。私の胸に燻る後悔。太陽掬いをしていたその人が現世へ旅立ってからは、彼岸でしか会えなかった運命を恨み、余計に奉仕期間が延びた。その後は奉仕期間も何も関係なかった。私はただ、もう一度この人に会いたいがために鬼灯を掬っていた。太陽掬いは太陽が現れた時にしか川に行けないが、鬼灯掬いなら常時川にいられるから。
 逢いたかった、蠍。こんな形ではなく。
「蠍、今度は何の罪を犯した? 貴方ほど気丈で流されない人もいないだろうに」
 太陽の核についているのは私の知らない男の顔。生まれ変わっているのだから、同じ顔であるわけがない。しかし、微かに懐かしさを感じる。現世の顔であるこの仮面の向こうにある魂は、確かに昔、太陽となっていた私を掬い、その後は太陽掬いではなく鬼灯掬いの師として私を育ててくれた人だ。
『名を与えよう』
 太陽だったとき、誰に掬われたのかなど大概は覚えていないもの。しかし、私は今でもその時に還ることが出来る。初めて私を見つけてくれた人が現れた大切な瞬間だった。初めて、私が認められた瞬間だった。
『お前は秋に色づく蜻蛉のように美しい。しかし、知っているだろう? お前の生まれた地方では蜻蛉は悪魔の使いだ。〈秋茜〉――お前の怪しい美しさは悪魔をも惑わせる』
 蠍。
 貴方のくれた名に縛られて、私は未だ鬼灯掬いから抜け出せない。
 これほどまでに純粋に貴方を慕う想いを、この世界では穢れという。この世界で未練を得るなどあってはいけないこと。早く貴方とともに現世に行きたいと願えば願うほど私の罪は重くなり、奉仕期間はこんなにも長く延びてしまった。
「蠍……二度目の名前は与えられないと、教えてくれたのは貴方だろう?」
 一度この世界の名を与えられた者に、二度名をつけることはできない。その名を以って罪を贖って尚、再び太陽となってしまった魂はもはや掬いようがない。生まれながらの失敗作は、いくら浄化をして再生させようと何度でも汚れる。
 この悔しさが分かるか?
 私はただ、貴方のいる世界で共に生きてみたいだけだったのだ。たとえ出会うことはなくても、同じ空の下にいられれば。ただそれだけの望みだった。願いだった。
 叶えられるのは、貴方しかいなかった。
 罪を犯し、一度太陽となってこの川の門を潜った者は、その者に相応しい名を与えられ魂をこの世界に留め置かれる。そのうち太陽掬いになれるのは言霊を操れる者だけ。蠍は言霊を扱える上、人の過去を見抜く力も持つ彼岸でも稀有な存在だったが、それ故に無為に奉仕期間を引き延ばされていた。
 永遠を望む私にとっては短く、貴方にとっては永い奉仕期間が明けた日、貴方は言っただろう。
『お互い、もう二度と会わなきゃいいな』
 この彼岸でも生まれ変わった現世でも、再会などなければいいと貴方は言った。私のために貴方はそんなことを言ったのだろう? 思い込みでもなんでもなく、貴方は太陽掬いの私の師として、現世に旅立つ貴方に私が未練を残さぬようきっぱり別れを告げたつもりだったのだろう?
「……こんなことなら、早くこの世界を離れていればよかった」
 仮面に指をかけて引き剥がす。
 懐かしい顔が現れた。精悍な顔立ちに青い無精髭が散見される男の顔。浄化されて存在しないはずの前世の顔。
「秋茜」
 開かれた切れ長の目に見定められて、私は蠍の頬を撫でる指を止めた。
「何をしたか。それを問うたところでお前は俺を掬えるのか?」
「なぜ……覚えている……」
「覚えているさ。覚えているからここに来た」
 腕から力が抜け落ちていくのを感じた。彼岸のことを覚えているなどと、そんなことはありえない。あってはいけない。彼岸の奉仕のことも、出会った者のことも、現世では全て必要のないこと。そもそも、そんなものを抱えて現世に渡れるわけがないのだ。
「秋茜、お前さえ来なければ、俺はお前を掬った時点で現世へ行けたんだ。よりによって大切な最後の太陽がお前だった。お前、俺に心を預けただろう? 俺に名を与えられて喜んだだろう? お前さえ来なければ、俺は穢れた状態で現世に追放されることもなかったんだ!」
 蒼い炎が蠍から吹き上がり、私はあっという間に飲み込まれた。
「蠍がいると秋茜は駄目になる。蠍、お前は十分すぎるほど奉仕した。多少穢れが残っていても、現世に行けば逆に清められるかもしれない。――そんなことがあると思うか? 現世こそ穢れるために行くような場所だ。そこで何が清められる? 想ってはいけないと戒められるこの世界ならばまだ掟が歯止めになる。しかし、その歯止めがない世界で、この世界にいない者を想う苦しさがどれだけのものか、分かるか、秋茜!」
 炎が私を抱きしめた。
「なぜ来なかった。なぜいつまでもこんな川で鬼灯を掬っている。なぜ……」
「貴方を待っていた。蠍」
 私の腕は焼け落ちて、もはや蠍を抱きしめることが出来ない。初めてお互い触れ合えたと思ったのに。私にも太陽の腕があればよかったのに。
 それが叶わないというのなら、共に焼け落ちてしまいたい。
「もう二度と会わなきゃいいと言っただろう。俺がいるとお前は二度とこの世界から出られない」
「出たくなかった」
「俺の気も知らずに?」
「貴方の気持ちなど知らない。貴方がもう会いたくないと言ったから、私は仕事にかこつけて貴方を待つしかなかった。生まれ変わって会いにいく勇気などなかった。だけど、忘れられるわけがないだろう? 私に美しい名をくれた人のことを」
 太陽を掬う。そのようなことは最早頭の中にはなかった。私はこの日のために鬼灯を掬い続けたのだ。鬼灯を掬えば掬うほど、蠍ではないことに落胆し、魂は濁っていく。それでよかった。魂が穢れれば穢れるほど、長くここにいられる。長く蠍を待てる。この世界にさえいれば、現世で探すよりも出会える確率は高まる。私だけは、蠍のことを忘れずにいられるのだから。
 太陽の炎は火力を増していた。さっきまでは寂しい終わりを予感させる燃え方しかしていなかったのに、私を得て生き生きと燃えている。この炎は罪の証。炎が強まれば強まるほど欲は深く、想いは強まる。蠍が私を求めている証。
「何の罪を犯したのか。一度目は金と権力に目がくらんだ。貧しい家に生まれて、何の因果か男爵の養子にされて贅沢に目覚めちまった。なのに小遣い稼ぎに奴隷の命を賭けの対象にして荒稼ぎしていたら、そいつに包丁一本で殺された。つまらない終わり方だろう? せっかく底辺から爵位まで手に入れたというのに。でも俺は金が欲しかった。太陽を掬っていても俺は金が欲しいと常々思っていた。金さえあればこの世の全ては俺のものになる。こっちの世界だって同じだと思っていた。お前に会うまでは。二度目も金に目がくらんだ。今度は女を買い漁るために。だが、どんなに抱いても違うんだ。探しても探してもこの腕は砂を抱きしめるだけで、空しくて空しくて仕方なかった。それでも、生きてさえいれば、いつかお前に会えるかもしれないと……この世界で再び会えたところで、俺たちはまた忘れあうしかない定めだろう? 秋茜。死んだ者を思い続けるよりも、生まれているかどうかさえ分からない者を思い続ける方が、俺にはよほど辛かったよ」
 私はどうして蠍を忘れようとしなかったのだろう。好きだったのなら、会いたかったのなら、どうして私はさっさと忘れて、また出会うために生まれ変わろうとしなかったのだろう。
 自信がなかったのだろうか。忘れ去っても、蠍を覚えていられる自信が。しかし、どうすればそんな矛盾した真似ができる? 会いたいがために忘れるなど、どうしてできる? 想いが高じれば高じるほど、記憶は過去を偽りながら現在を捏造していくというのに。
 忘れることなど、できるわけがない。
「秋茜! 秋茜ーっ! こらっ、ばか太陽! 秋茜を返せっ!!」
 遠くで子供が癇癪を起こしているような声が聞こえた。
「許さないからなっ。俺は秋茜が太陽を掬って戻ってくるって信じてるから、行かせたんだからなっ」
 私たちの業は、互いを忘れられなかったこと。もしかしたら、必要以上に互いを記憶しすぎたのかもしれない。
 蠍は笑ったようだった。
「太陽には二種類ある。本来無垢だったものが、現世での不幸な過程において必要以上に汚されてしまったもの。もう一つは、生まれながらに穢れているもの。あの子は前者だ。望みがある」
「蝲蛅は子供だ。付き纏われて迷惑している」
「それでいい。この世界のものに思いなど残すな。――秋茜。俺はここに来る直前まで、たくさんの人間を殺してきた。死んだのも、今度は包丁一本なんかじゃない。向こうの世界では、いまや水の中にまで爆弾を仕掛けられるんだ。死にたくなかった。あんなにたくさん人を殺したのに、いざ炎が噴き上げている様を見たら恐ろしくなった。一度死んだ記憶もあるのに、だ。死ねばもしかしたらお前に会えるかもしれない。しかし、あるいはすれ違いになるかもしれない。たとえ会えたとしても、この世界では絶対に触れ合えない。壊れているんだ、俺は。この魂は壊れている。鬼灯なら分かる。けれど、俺はただ、秋茜を探すために金を稼ぎ、戦争に借り出されて言われるがままに人を殺してきただけだ。その辺の鬼灯の中には俺よりも悪どいことしてる奴もたくさんいたはずだ。なのにどうして……どうして俺ばかりがこんな目に遭わなきゃならない……!」
 炎がの勢いが途絶えた。
 私は干上がった川に投げ出されて腰を打つ。そこでようやく気がついた。私にはまだ腰も手足も残っていたことに。
「秋茜!」
「蝲蛅……私ではあの人を救えない。私はあの人を苦しめることしか出来ない。名も与えられない。どうすればいい? 私はどうしたら……」
 太陽は赤黒い大岩となっていた。よほど熱いのか、表面からしゅうしゅうと音をたてて白い湯気がくゆり立つ。
 蝲蛅は、私の目の前に鬼灯の入った瓶を一本差し出した。
「川の水を飲むと、前世のことも彼岸のことも忘れられるって聞いたことがあるよ」
 手を伸ばし、私は瓶の中の鬼灯入りの水をまじまじと見つめた。
「それを教えたのは私だよ、蝲蛅」
 蠍がいなくなった後もこれだけは飲まないと、自分で決めた。
「うん、覚えてる。俺も刑期が終わるまではこれだけは飲まないって決めたんだ」
「刑期じゃない」
「だから秋茜、飲みなよ。秋茜が自分のことを忘れてくれることが、蠍の望みだ」
 ずい、と口元に押し出された瓶に私は思わず手を伸ばし、しばし迷った末に押し返した。
「どうしてお前があの太陽の名前を知ってる? どうしてお前があの人の望みを代弁する?」
「川に落ちた時に頼まれた。『秋茜はやっぱりまだこっちにいたんだな。俺は二度目の太陽になれてよかった。俺が消えれば、俺とあいつは本当に縁が切れる。あいつはこの世界から生まれ変わって、久方ぶりに太陽を拝めるだろう』って。あの人の記憶と意識が入り込んできた」
「あの苦痛の叫びを聞いた後に、そんなきれいごとを信じられると思っているのか?」
「俺の舌は現世では嘘を吐くためにあった。でも、これでも大分きれいになったと思わない? 秋茜のおかげだよ。秋茜がちゃんと導いてくれたおかげだよ」
 私は、ただ蠍に会いたいがためにこの世界で時間を潰してきただけだ。しかし、その時間で別の誰かを、掬っていたのだろうか
「蝲蛅、お前、私がいなくなったら太陽掬いに志願するといい。言葉などなくても、お前なら過去を覗き見て共感するだけで太陽を掬える」
 鬼灯を百灯掬うよりも、太陽一灯を掬う方が魂の浄化は進みやすい。
「いつまでもこんな世界にいるものじゃないよ。本当、人の欲は死んで尚、尽きることを知らないのだから」
 私は放り投げられたままのたもを逆手に持って、もう一度蠍の前に立った。
「秋茜! それに触ったら……!!」
「二度目の太陽、か。本当はもう、爆発することも出来ないほどぼろぼろなんだろう、蠍?」
 私はたもの柄の先で、炎に呑みこまれて顔すら見えなくなってしまった岩石の手近な一点を突いた。
 ひびが入る。それはでこぼこした穴だらけの赤い岩肌を雷のように走り抜けて、中心で大きく四つに割れ、音を立てて水のない川床に転がり倒れていく。
 ぽつり、ぽつり雨が降り出したのはちょうどそのときだった。
 季節は冬で、さっきまで雪が蛍灯のようにちらちらと舞っていたのに、蠍の火が天まで温めてしまったのだろう。
 激しくなる雨に打たれて、大きく四つに割れた岩は細かく削り取られて砂となり、雨に流されて川床を埋めていく。
「蠍……」
 集めなければ。ああ、そうだ。蠍の魂の核だけでも見つけ出してこの手に抱きたい。
「蠍、蠍、蠍……!」
「秋茜! あっち!」
 水の逆巻く音が上流から聞こえてきた。慌てる蝲蛅の声も。
 その声の主に柔らかく抱き上げられた私は、気づくと川岸の焦げた草むらに転がっていた。ついさっきまで蠍と私がいた辺りには堰を切られた水が一斉に注ぎ込み、最早大きな岩の塊すら残っていない。
「秋茜、あれ」
 当たり前のように側にいる蝲蛅が指差した川の中央では、青白い球体が川面から空中へと飛び立つところだった。
「蠍……!!」
 あれは蠍の魂の核だ。あれがあれば、もしかしたら……。
 岸から踏み出し、腰ほどまである淵を掻き分けて、私は夢中で蛍の如きその光を追った。
 しかし、手を伸ばしたその私の目の前で、小さな青白い光はあっけなく呻くように弾けた。川の流水音にその音がかき消されてしまうほど呆気ない最期だった。後には、暫く存在すら忘れかけていたこの世界の本物の太陽の黄金色の光が、ちらほらと雪に混じって降り注ぐ。
「蠍――」
 さて、この世界では私たちのようなものを水灯という。曰く、太陽でありし者が犯した罪の分だけ他者を掬って償えば、魂の灯は無色透明、水のように透きとおる。それは蛍灯よりも無垢で尊ばれるべき状態ではあるが、要らぬ心が湧けば泥水の如く目に見えて濁ったと分かる。彼岸に長く留まり続けるということは、無菌状態に慣れるも同じ。即ち、水灯は何よりも無垢ではあるが、何よりも汚れやすい。
 奉仕が終了すると、太陽であった私たちは無色透明にまで磨き上げられた水灯となり、汚れれば一目で分かるその状態で現世に渡る。二度目はない。鬼灯までならば許されても、二度目に太陽となれば、残された道は消滅しかない。
 水灯とは、つまり、無垢な罪人の証である。
 川に埋もれるようにして呆けていた私の前に、いつの間にか厳しい表情の初老の男が現れていた。
「秋茜。これを以ってお前の奉仕期間を終了する。現世でもその穢れなき魂を維持するように」
 私は、何のために生まれ変わるのでしょうか。
「いっそ、私もまた太陽になってしまいたいよ」
 私は水量豊かに流れはじめたばかりの川の水を手のひらに掬いとり、無色透明なそれを一息に飲み干した。










〈了〉





  管理人室 書斎  読了

  200709081115