ぼく、ぽん太
こんにちは、皆さん。ぼくの名前はぽん太。小学校一年生くらいの男の子です。体重もまぁそれくらいです。人形だと思って持ち上げれば、きっと結構重くて驚きますよ。
ぽん太って名前、珍しいでしょ?
これはね、ぼくと同じ名前の男の子がいたら、指導員のお姉さんが仕事がしにくいから、わざとこんな戸籍で受理されるかどうか分からないような名前がつけられているんだ。
たとえば。
「はい、手を上げて、右見て、左見て、もう一度右をって、ぽん太くん、飛び出しちゃ駄目ーっ、あぶなーいっ!!!」
ききぃぃぃぃぃっっっ
どんっ……どさっ
「きゃぁぁぁぁ、ぽん太君が轢かれちゃったわ! ああ、かわいそうなぽん太君。首も足も、跳ね飛ばされてこんなになっちゃって……」
というようなシーンで、もし俊太だの俊平だの、リアルな名前がはいっていたら、ほら、考えても見てよ、今も昔もPTAなんて、自分の子どもに敏感じゃん? 車に轢かれた人形と自分の子が同じ名前なんて、やっぱ嫌なんじゃないの?
まぁ、そんなわけで、ぼく、ぽん太。
車に轢かれ続けて早二十年。
首は中から綿や布くずやら、とにかく中身がぽろぽろこぼれ出て、中身を包んでいたはずの皮膚もとうにどっかに行っちゃった。ガムテープで補修したような痕はあるものの、鼻は擦り切れたまんま、首も露出した糸が二、三本、もう少しで切れそうってくらい伸びて、なんとか頭と肩とをつないでる。
そんなわけだから、この一年というもの、首が真っ直ぐになったことはない。いつも右に傾いたままで、左からは綿がはみ出しているような状態だ。
こんなぼくを、そろそろかわいそうだと思った……わけではきっとなくて、おそらく、轢かれるたびに目が虚ろになっていくぼくに恐れをなし、じゃなくて、いくら財政難とはいえ、PTAもとい幼い子達の前で、首の取れかけたぼくのような人形を出すのが、スプラッタ映画でも見せているようで気がとがめてきたのだろう。
お姉さんたちは、ついに新しい奴がほしいと庶務に訴えた。
ぼくは、庶務はもとより金庫番に現状の悲惨さを訴えるために、まず首からはみ出た綿を撮影され、続いて仰向けにされているところを撮られ、うつぶせにされているところを撮られ、最後に全身写真を撮られた。
何度車に轢かれても、こんな検死みたいなことはされたことがなかったのに、どうやらぼくもようやく安逸な眠りにつける日が近づいてきたらしい。
ぼくは一生懸命悲惨さを訴えようとうつろな眼をしてファインダーを見つめた。手足からも力を抜いた。いつもよりも深く、右に頭を垂れてみた。
でも、ふと思ったのだ。
ぼくがこの仕事をやめたら、今度はまた新しい奴がやってくる。新しい奴もきっと何年も車や自転車に轢かれて痛い目に遭わなきゃならない。ぼくくらいのプロになると、まぁ受身とかいろいろマスターしてるからなんとでもなるんだけど、新人の頃は、今思い出してもほんと辛かった。
何でぼくがこんなひどい目に遭い続けなきゃならないんだろう、って。
だけどさ、ようやくこの歳になって分かってきたわけよ。
ぼくが轢かれる瞬間にあげられる子供たちの悲鳴や、ぼくが跳ね上がって宙を舞ってる間、ぼくに注目してる小さな子達の驚愕した表情や、落ちる瞬間思わず顔を両手で覆ってしまう子達の仕草を見てさ。(まぁ、けたけたと笑ってる子も少なくはないけど。)
ああ、きっとこの子達はぼくの受ける衝撃をきちんと受け止めて、今日下校するときからもう、必ず車や自転車に気をつけて帰るようになってくれるに違いない、って。
ぼくはそのためにこの世に生まれてきて、存在してるんだ、って。
車に轢かれるために、ぼくは生まれてきたんだ。
造られたときから、ぼくはとうに役目が決められていた。
ほんと、今でも手放しで歓迎することは出来ない運命だけどさ。でも、それでも誰かの役にたっているのなら、あの驚き悲しげな表情でぼくを見つめる子達の命を守ることが出来ているのなら、まぁ、それも悪くないのかな、って思えるようになってきたんだ。
この首が傾いて真っ直ぐ据えられなくなった頃からだけどね。
新しい奴は、その辺ちゃんと気づけるんだろうか。
心配だな。
最近の若い奴らは根性ないからな。
さっさと壊れた振りして引退したいとか言い出したりしてな。
出来れば、ちゃんとそいつの目を見て伝えてやれればいいんだけど。
誰かの命を守ることは、血の通った人間でも難しいんだぜ。
って。
かっこつけちゃったけど、これが二十年間かけてぼくがようやく探し当てたぼくの存在意義。
与えられた存在意義でも、そんなの自分で納得しなきゃ意味がない。
たとえ人形でも、プラスアルファの何かを見つけられなきゃ意味がない。
ぼくは、それを見つけられただけでも幸運だったと思うし、この仕事を続けてきてよかったと思うよ。
だけどさ、最後に一つだけ言わせてくんない?
ぼくの目が虚ろなのは、書いたオヤジが悪いんだからね。
目に生気が宿っちまったら、轢くに轢けないだろう、って。
人形は人形らしく、死んだ目をしてろってことなのかねぇ。
それでもさ、ぼくと目が合った人はみんな言うんだよね。
「なんか、目が合うと見つめられてるみたいですごい怖いんだけど。ていうか、この存在感、ちょっとやばくない? ほんと生きてるみたーい」
まぁね。
生きてますから。
ちゃんと日々、学習して存在意義模索してましたから。
轢かれて宙に飛ぶ瞬間の衝撃が忘れられないとか、そんなマゾヒスティックなことは言いません。
宙に浮いてるとき、一瞬垣間見える青空の数々を、実は記憶に一枚一枚納めて、夜中にこっそり思い出しては綺麗だなぁなんて呟いているなんてことは告白しません。
だからさ、もう少しだけ、ぼくに時間をくれないかな。
五十年轢かれ続ければ人間になれるなんておとぎ話を信じているわけじゃないけれど、ぼく、まだやれると思うんだ。
本当はもう少し、ぼくでいたいんだよ。
ぼくがぼくの存在意義を堂々と口に出来る日が来るまでは。
あーあ、でもさすがにあのぼくの写真、衝撃的だったもんな。紐の固い金庫番でも、なんか「あー……分かった、分かった」って言っちゃったみたいだしなぁ。
てか、誰だよ。ぼくの保管場所に困って入り口に吊るしておこうとか言ってる奴は。
ほんと失礼しちゃう。(首の糸だっていつ千切れるかわからないのに)
ぼくは人を脅かすために生まれてきたんじゃない。まして心臓発作を起こさせるとか冗談じゃない。
ぼくはみんなの命を守るために、生まれてきたんだ。
あ、堂々と言えた。
しまった。
まぁ、いっか。
うん。
それがぼくの、生まれてきた意味だ。
〈了〉
管理人室 書斎
読了
200710020120