星摘み
流れ星に手をあわせる。
幼いときから、願いごとってのはそうやってするもんだと思ってた。
けれど大概、手をあわせようと腕を持ち上げているうちに星は痕も残さず流れ去ってしまう。三回願いごとを唱えている暇などありはしない。
「千郷ー、頭できたー?」
「できたよー。千尋、体は?」
「ばっちり」
目の前でせっせと雪玉を転がしていた双子はようやく立ち止まり、胸ほどまである雪の塊を傍らに期待をこめておれを見上げた。
「わかった、わかった。こいつをのせりゃぁいいんだろ?」
昼間の白銀の世界は駆け足で進んでいく夕闇にあっという間に塗りつぶされ、寝床へ帰っていく烏の鳴き声だけが遠くからかすかに聞こえてくる。
姪と甥にあたる双子の姉弟は南国で生まれてこの方、夏にしかこの雪国に来たことがなかった。かれこれ一時間、はしゃぐにまかせて憧れの雪だるま作りに没頭していたのも無理はない。
二人の母親から夕飯まで一緒に遊んでやるように仰せつかったのに、終止邪険にされっなしだったおれは、ここぞとばかりに期待に応えて気難しい双子のご機嫌をうかがう。
だが、二人は礼すら言わず、出来を確かめるように偉そうに腕を組んで雪だるまを見つめたあと、同じタイミングでうなずいた。
『次は星だね』
動作同様、二人の幼い声は一人の口から出たようにぴたりと重なる。
「……星……?」
てっきり次は顔を作ってやるのだと思っていたおれは、意表をつかれて思わず首をかしげた。
「そう、星。広兄、どこに行けば星、摘める?」
おれの困惑をよそに、姉の千郷が嬉々としておれのコートの袖を引っ張った。
「僕たち、ママから聞いたんだよ。ボタンがわりにここに星をつけてやれば、動く雪だるまになるって」
今度は弟の千尋がのっぺらぼうの雪だるまの胸の辺りを軽く小突く。
暗がりが雪に染みゆく中、絶句した俺と期待に胸膨らませた双子はしばし見つめあう。
「動く雪だるま……って……」
あいつ、ほんとにそんな説明したのか?
「そう。星のボタンがあれば、雪だるま、動くんでしょ? 動く雪だるまじゃん」
「ねー」
邪気なく双子の姉弟はうなずきあった。
「あのなぁ。動く雪だるまとか、そんなもんじゃないんだよ。おれたちが会えたのは」
頭を掻きつつ、おれは夕空を見上げる。
朱と深いの浅いのか分からない青が混ざり合う空。雲はなく、西には最大輝度を誇る金星が一番乗りとばかりにはりきって輝く。
あの日も確か、西に宵の明星が輝いていた。これくらい明るく、太陽が消えた後でも寂しくないようにと。
月はない。星だけがおれたちの導だった。
「そんなもんじゃないって、じゃあどんなものだったの?」
頬を膨らませながら、多少上目遣いに姉の千郷がおれを見上げた。
「会えたって、何に会えたの?」
眉間に皺を寄せんばかりにしかめ、口元をゆがめて弟の千尋が楽しみを邪魔されたとばかりにおれを睨む。
おれは、逃げるようにもう一度視線を空に放った。
おれの双子の姉、杏。それがこの双子の母親だった。
「ママはね、動く雪だるまはわたしたちには必要ないからって、星を摘める場所は教えてくれなかったの」
姉の千郷が教えろと目でせがむ。
口をつぐんだまま、おれは二人の顔を見比べた。
幼い顔。それでも、この二人はちょうどおれたちが母親を亡くした歳と同じ歳だった。
まだ、人の生死も何も分からない歳。
大人から見ればあどけなさと幼さがあいまって確かにそう見える歳だが、しかし、本当はもっと聡いものなのだ。少なくとも、幼いこいつらは自分たちのことをそう思っている。おれだって、杏だって、こいつらくらいのときはそう思っていた。
大人になればそんな幼いときの気持ちも考え方も分からなくなってしまうものなのだろう。幼さとあどけなさが、いつの間にか理解力不足とイコールで結ばれてしまう。だから、難しいことは伏せておこうとしてしまう。
死というものは子どもには難しいものだと、よくないものだと、勝手に線を引いてしまう。大人の目線で。
「お前たちのおばあちゃんは、お母さんと叔父さんが小さいときに死んでしまったんだよ」
普通なら、そう一言で片付けてしまえばいいはずのことなんだ。
それをもし、その部分に触れずに星のボタンと雪だるまの話だけしたのだとしたら、この二人が「動く雪だるま」と呼び習わすのも無理はないのかもしれない。
「広兄!」
弟の千尋がコートの裾を掴んでおれを揺さぶった。
杏が話すのをためらったのは、それなりの理由があるはずだ。それを、おれが無にしてもよいものか……。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいでしょ。ママも広兄もっ!」
白い息が怒気を孕んだまま姉の千郷の口から溢れだす。
「恐い話ってわけじゃないんだ」
わかってる。きっと二人はこの話を聞いてもそんな捉え方はしないだろう。
なのに、思わずそんな前置きをしてしまったのは、おれもとうに子ども時代から遠ざかってしまっているからなのだろう。
あるいは、死という言葉の重さを考えるようになったからか。
双子は神妙におれを見上げていた。
夕闇に汚されることなく鋭く輝く二人の目は、揃っておれに何かを挑むようだった。子ども扱いするな、とでもいうように。
「その頃、」
おれは長く息を吐き出して、一片の思い出を二人の上に降らすようにそっと、二人に声を投げかけた。
「その頃、おれと杏は、父さんと母さんと四人でここよりももっと雪深いところに住んでいたんだ――」
*******
大好きだった母が突然いなくなってしまったのは、おれたちが八つのときのこと。寒さにちょっと体調を崩して病院に入院しに行っただけなのに、帰ってきたときには眠ったまま木の箱に入れられていた。
おれたちは何がなんだかわからなくて、だけど、お母さんがいなくなってしまったことだけはわかっていて、毎夕、晴れてる夜は父が仕事から帰ってくるまで外に出て、日ごと増えゆく流れ星に熱心に手をあわせていた。
『お母さんに会えますように』
願うことは、ただその一つ。
でも幼いからか、なかなかろれつが回らなくて、二人で「お母さんに」と「会えますように」とを分担して唱えてみたりもしていた。
それが功を奏したのかどうか。
雪だるまを作って夕方を待ち、その日も一番星が輝きだすなりおれたちは「お母さんに会えますように」と、いつものように二人して天の真ん中を一心に見つめて唱えていた。
すでに星が流れているかどうかは関係ない。願い事を口にするのは、星が流れているのに気づいてからでは遅いのだ。手をあわせて休みなく口を動かし、うまいタイミングで星が流れてくれるのを待ちつづける。それがこの一ヶ月間、流れ星に願いをかけ続けて学んだ方法だった。
つと、宵闇の中。それまでなかった場所に星がひとつ、輝きはじめた。
「杏ちゃん、あれ!」
なかなか消えないことに気づいたおれは、思わず願いごとを唱えることも忘れて歓喜に空を指さしていた。
杏はこういうときでも動じない。おれにうなずいて見せながら、間断なく「お母さんに会えますように」と唱えている。
すぐにおれもそれに習った。杏の呼吸を読んで、声を合わせる。
『お母さんに会えますように。お母さんに会えますように。お母さんに会えますように』
三度唱和したところで、おれたちの願いを聞き届けてくれたかのように星は何度か瞬き、淡く緑がかった尾を引いてゆっくりと天頂から滑りだした。向かう先は誰もいない真っ暗な雪原のさらに向こう。
「杏ちゃん」
「広くん」
どちらからともなく、おれたちは手をつなぎあって星の流れていく方へと走りはじめた。一人では暗い野原も二人手をつないでいれば怖くない。何より、大切な願いをのせた流れ星の行方を、おれたちは確かめなきゃならないような気がしたのだ。
雪は深い。長いこと外にいたせいで、ブーツの中の足の指先は妙に熱く膨れている。その足で何度となく雪に埋もれかけながら、それでもおれたちはいつしか流れ星の落ちてくる明るい大地の中に踏みこんでいた。
「杏ちゃん、雪が光ってるよ」
「ううん、違うわ。これはみんな星よ。流れ星が落ちて、今度は大地で輝いてるのよ」
大人びた口調はいつものことながら、その声は興奮に震えていた。
ここでは濃紺の空に星はない。
輝くものは、すべておれと杏の足元にあった。
咲き乱れる星の中、見渡せば、真ん中あたりにさっきおれたちが作った雪だるまがぽつんと一つ立っていた。おれたちが追ってきた流れ星はゆっくりとその雪だるまの中に吸いこまれていく。
おれと杏は慎重に星をかきわけ、そいつに近づいていった。
星を飲みこんだというのに雪だるまは自らうっすら光ることもなく、ただ地上からの星明りをうけてどこか寂しげにきらきらと輝く。
それを見たおれたちは同時にしゃがみこみ、それぞれ雪原から星の花を摘みとっていた。この花畑の中でも一等明るく色彩豊かに輝いている星の花を。
思わず、同じことをしていたことに気づいたおれたちは顔を見合わせた。
「やっぱりこの星は」
「雪だるまのボタンだよね」
おれたちは嬉々として摘んだ星の花を雪だるまの胸元につけてやった。刹那、星は輝きを増し、雪だるまの全身を包みこんだ。
「杏、広」
不意に聞こえたのは、一ヶ月前に二度と聞けなくなったはずの母の声。
『お母さん?』
おれたちは声の出所を求めて視線をさまよわせた。
「杏、広」
声が聞こえてきていたのは明らかに目の前の雪だるまからだった。
おれたちはおそるおそる雪だるまに視線を戻す。
『お母さん!』
そこにいたのは、紛れもなく雪だるまだった。ただし、母のホログラムを抱いた雪だるま。白銀の光に輝く母はいつものようににっこり微笑み、枝でできた両腕を広げた。
否も応もなかった。おれたちは我先にと雪だるま、もとい母の胸の中に飛びこんでいた。
「元気だった?」
母の腕の中は生前と変わらず温かく、力強くて柔らかかった。細い木の枝の感触などどこにもない。声と温もりと、それだけで懐かしさが胸に熱くこみ上げてくる。
杏は母の問いに激しく首を振りながら、今まで泣かなかった分めいっぱい泣いていた。
「さびしい思い、させてしまって……」
言葉詰まった母の声に、ついにおれの涙腺も決壊した。
「お母さん、お母さん、お母さん」
母は両膝をついておれたちを丸ごと抱きしめていた。
「ごめんね。ごめんね。ごめんね」
それ以外にはもう、言葉にできないらしかった。
流れ星に願いごとを唱えるのと同じだ。本当に叶えたいことっていうのは、いざとなると気持ちばかりが前につんのめってしまって言葉にならない。だから、触れ合ってお互いのぬくもりを確かめ合うしかなかったんだ。
でも、温かいと感じれば感じるほど、寄せた頬に感じた母の感触はもろく融け崩れていくようだった。
いや、事実、雪だるまは融けはじめていた。
二つの星の周り、僕たちを受け止めるその胸元から、驚くほどの早さで形を失いつつあったのだ。
「お母さん、またいなくなっちゃうの?」
「ううん、お母さんはいつでも杏と広の側にいるわ」
「いやよ。いつでも側にいたって、話せなきゃいや。ぎゅってしてくれなきゃ、杏、いやだもん」
「杏……」
母は困ったようにおれを見た。
そんな目で見られたら、おれも同じことを言うわけにはいかなくなるじゃないか。かといって「ぼくはだいじょうぶだよ」などと言えるわけもない。
「杏ー、広ー!」
ふと、聞き覚えのある声が背後から近づいてきた。
「どこだー、杏ー、広ーっ」
焦燥感の入り混じった父の声。
だけど、その声を聴いた母の顔はさっきまでの困惑を脱ぎ捨てて、幼いおれから見ても何かの期待にほんのり赤く上気していた。
「広、杏のことをよろしくね」
落ち着きを取り戻した母は、現れたとき同様透明な微笑をおれに投げかけた。
おれはうなずく。
母も満足そうにうなずき返し、泣き続ける杏の顔を上げさせて優しく涙をぬぐった。
「杏、広のことをお願いね」
「お母さん……」
杏はまだ茫然と母を見つめている。
おれは軽く杏の右足を蹴った。
はっと杏の顔に正気が戻る。その顔で、杏は力いっぱい何度もうなずいた。
「うん、まかせて」
ようやく、母は安堵したようにほっと息を吐き出した。
おれたちは確かにその吐息を受け取って、もう一度母に抱きついた。感触など、もうほとんどなかった。霞を抱きしめているようなものだった。
なのに、母の腕だけはしっかりおれたちの背中を抱きしめていた。
「杏、広。お母さん、ずっとあなたたちのこと大好きだからね」
『お母さん』
せき止めたはずの涙が再び溢れ出す。
交互におれたちの名を呼びながら近づいてきていた父の声は、杏の名を呼んだところでふと途切れた。
父が、すぐ後ろに立っているのがわかった。
母はおれたちを抱きしめる腕にいっそう力をこめ、一方で静かに顔を上げたようだった。
二人がどれだけ見つめあっていたのか。そんなこと、おれたちにはわからない。
「愛してるわ、あなた」
ただ、その一言が母の口から発された瞬間、降り積もった星々はいっせいにまばゆい光を放って、風に掬われるようにふわりと舞い上がった。
そんな光景に目を奪われれば奪われるほど、視界は黒く暗く閉じていき――
気がつくと星の大地は消えうせて、目の前には雪だるまの目と鼻と口を形作っていた小石や枯れた杉の葉、それにおれたちを抱きしめていたはずの二本の枝が融けかけた雪の上に無造作に散らばっていた。
杏はそれを見て再び泣いた。二度母を失ってしまったと、泣いていた。
おれは泣かなかった。まだ背に、腕に、頬に、胸に、雪だるまの母のぬくもりが残っている。杏をよろしくといった言葉が耳に残っている。
でも、それよりもなによりも、母が最後に残した言葉。
おれたちにではなく、父に残した言葉。
振り向くと、父は呆然と立ち尽くしていた。幻にでも出会ったかのように。
「大好き」と「愛してる」の違いは何なのだろう。
愛してるの方が、なんだか深い気がする。そう考えて、おれはちょっとだけ父に嫉妬した。だけどきっといつか、自分も「愛してる」と言ってくれる誰かに出会うのだろうと、ぼんやり思った。
融けかけていた雪は吹きさらす寒風にあっという間に凍らされていく。おれはそこから小石三つと枯れた杉の葉、木の枝二本を拾いあげ、ざらめの中に埋めなおしてそっと手をあわせた。
「いつかぼくにも愛してるといえる人が現れますように。その人がぼくにも愛してるといってくれますように」
口には出さなかったけれど、おれはそう心の中で唱えていた。
気づくと、横で杏も手をあわせていた。
たぶん、同じことを願っていたんだと思う。
おれたちの新たな願いをかける星は、この雪の中にあったんだ。
父は、そんなおれたちの肩を抱いて、消えてしまった母にやっぱり「愛してる」と言った。
幼いおれたちは思わず顔を見合わせて微笑みあった――
*******
おれが息をついたとき、いつの間にかしゃがみこんでいた双子は、まだ神妙な顔で息をつめてうつむいていた。
雪だるま作りですっかりならされてしまった雪面に、かすかに指先でかいたらしい線が浮き上がり、浅い溝に暗い影がさしている。
「千郷、千尋、広、夕飯できたわよー! もう暗いんだから早く戻ってきなさーい」
不意に、台所の窓から母に似たよく通る杏の声が沈黙の鎖を断ち切った。
「あ、」
「あ、」
『ごはん……!』
戒めを解かれたようにふらふらと二人は立ち上がった。
空はすっかり暗く、錚々たる冬の星座たちが冴えた光を放っている。そろそろ杏の旦那の俊之さんも到着する頃だろう。
「愛してる」と言い合える相手を見つけたのは杏の方が早かった。それから杏が「大好き」と手放しで言えるこいつらに出会えたのは、あの夜から十二年ほどあとのこと。
おれは、二人の肩を抱くようにそっと叩いた。
「おれたちの見つけた星は雪だるまを動かすためのものじゃない。大切な人に会うためのものだったんだ。だからその人に会いたいって強く願いつづけていれば、もしかしたらお前たちも、そのうち星を摘める場所に行けるかもしれないな」
双子たちはそれぞれ考え込んだ末、眉根を寄せて互いの顔を見合わせた。
「ねぇ、千郷。千郷はそんなに会いたい人、誰かいる?」
「えー、特にいない……かな。だって、おじいちゃんもママもここにいるし、パパもそろそろ来るんでしょ? 友達だって、学校始まればまた会うし」
おれは二人の頭を毛糸の帽子越しに軽く撫でてやった。
「二人は星なんか摘みに行かなくたってとっくに持ってんだよ。雪だるまを動かすよりももっと貴重な星をな」
自分でもちょっと気障だったかと思いつつ二人の様子をうかがう。
二人はふきだすことなく真面目に顔を見合わせて小首をかしげ、やがて同時にうなずいた。
そして、静寂の中にタクシーのエンジン音が割りこみ、勢いよくドアが閉められる音が木立に響く。
「千郷ー、千尋ー」
その声はちょっと昔の父に似ていた。
双子はぱっと顔を輝かせ、くるりと踵を返して二人のほうへと走っていく。
「パパー」
「パパー、おかえりなさーい!」
旦那の来訪に杏までが家から飛び出してくる。
おれは、未完成の雪だるまと一緒にぽつんと雪原に取り残されていた。
かすかに胸のうちがざわついて、腰に手を当てながら深くその要素を吐き出す。
同時に、星明りに照らし出された雪だるまの影が僅かに身じろいだようだった。
「広くん」
遠慮がちに呼びかけられた声に、おれは驚きながら顔を上げる。
「……結衣」
雪だるまの傍らで外套も着ずにどこか身を潜めるように立っていたのは、杏と一緒に夕飯を作っていたはずのおれの未来の嫁さん。
今日、杏たちが冬休みを利用して帰ってきたのはほかでもない。おれたちの結婚前祝をしてくれるためだった。
「どうしたんだよ」
「夕飯できたよって、呼びに来たんだけど……」
結衣は笑いながらひたすら目の下を拭っている。
「ったく、いつからいたんだよ。おれの話が気障だからって、笑いこらえて黙って見てたのか?」
赤面した顔を背けながらも、とりあえずおれは結衣の方に自分のコートを着せ掛けてやる。
結衣はそのコートの襟元をかき集めて、笑い続けながらも首を振った。
「ちがうちがう」
「そういう顔、してないんだけど?」
手袋を取って頬に触れると、長いこと外にいたおれの指先よりも結衣の頬は冷たくなっていた。とめどなくあふれ出す涙だけがじんわりとぬくもりを指先に移す。
「広くん、私もきっと今、その星持ってるよ」
不意に、泣き笑いながら、結衣はしっかりした声でおれを見上げてそう言った。
「愛してるよ、広くん」
おれはそらしていた顔を正面に戻し、潤んだ結衣の目を覗きこむ。
双子にしてやった話を聞いてたのかどうかなんて、確かめるまでもなかった。どこから聞いていたのかも、知る必要なんてない。
「私、ちょっとだけまた広くんのことわかったような気がしたよ。私に直接話してくれなかったのはむかついてるけど」
「ごめん」
こつんと額を押し当てる。
冷たさは、ついばむように口づけた唇のぬくもりに融かされていく。
この暗さだ。とうに家に入ってしまった杏たちはもちろん、顔のない雪だるまじゃきっと何も見えてはいないだろう。
「おれも愛してるよ、結衣」
結衣を抱きしめて、おれはそっと空を見上げる。
一筋。願いをかける間もなく星が深まる夜の帳に短く尾を引いて、輝き増す星空の彼方へと吸いこまれていった。
〈了〉
管理人室 書斎 読了
20072190105