タンザニア旅行 個人的エピソード
谷内 有

 まずは参加のきっかけから。昨年夏ごろから年末年始はどこか海外へ行こうと考えていた。今いる
ところが私の職場のなかで最も休暇を取りやすい部署だからである。来年はどこの部署に行くやら
わかったものではなく、今年は遊ぶ年にしようと張り切っていた。そんなところに、9月頃「タンザニ
ア・スタディツアー」の募集を見たのである。
 どなたかが書かれたように僕はちょっと見おとなしそうで、実際、そのとおりおとなしい、さらに加
えてとてもめんどくさがりやである。ただ、だからこそ、たまに自分にあえて「修行」を科すようにし
ないといけないと思っている。「修行」といっても僕がいうのであるからそう厳しいものでは当然な
い。何か新しい体験、貴重な体験をするといった類のことである。何を「修行」などと偉そうに、とい
う感じではあるが、もともと僕はおとなしいのであるから、まあそれくらいでも「修行」なのかなと。
普段の生活に埋没していると積極性とか感覚とか認識とかだんだんと鈍ってくるから、たまに「修
行」しなおしていかないといけない。そういうわけで、タンザニアなんて(そもそもアフリカなんて)
なかなか行こうと思う機会ないし、スタディツアーで観光では行けないところに行ける、これは「修
行」になると思い、申し込むこととした。タンザニアに行ったと言ったら、友だちに自慢もできるかな
とも思ったりもして。

 そして、帰ってきて早2週間。今また行く前と変わらない日常を送っている。帰ってきた当初の興奮・
勢いで1ヶ月位は過ごそうかなと意気込んではいたのだけど、もう普段どおりになってしまった(おと
なしい、めんどくさがりに加えて飽きっぽくもあり・・・)。もとどおり普段の生活をしている僕は、ツアー
前と何ら変わっていない(当然そう簡単に変われるものでもないです)。そうではあるけど、でも、今
回のツアーの経験は、僕のなかに普段は沈み込んではいても、これからところどころで意識・無意識
のうちに僕の性向や志向に影響を与えられるのではないのかな、「修行」になったな、そう感じられ
ている。
 また、今回のツアーでは現地の方々、ツアー同行者も含め、たくさんの人に出会った。そしていろい
ろな場所に行き、生活・活動に触れた。トゥエンデに参加するようになったのも今回のツアーからであ
る。世界にはいろいろなところ、人、生活、活動があって、そのなかで何かの縁でこれらに触れたのだ
から、このせっかく得た縁を今後大切にしていけるとよいなあと思う。

 ところで、正直に言って僕はどうもいろいろと忘れっぽい方で、ややもすると今回のツアーのこと
もところどころ忘れてしまうかも…(いや、決してそんなことはないはずなのですが…)。というわけ
で、旅行の個人的エピソードとして話のネタになりそうなところをつらつらと書き留めたので、つい
でに付け加えておくこととした。なお、職場に知れると僕の今後の海外渡航をさらに難しくさせてし
まう部分があるので、その部分は秘としてくださいね。
 
1. 年休申請
 今回のツアー参加するにあたって、6日間の連続有給を取った。年末年始の休みを入れると、18日
間仕事を休むことになる。さすがにちょっと上司に言いずらく、機嫌がよさそうなときを見計らって
言わなきゃと思っていたら3週間が過ぎてしまった・・・。やむなく、意を決して申し出をしたところ1度
保留されて凹んだが、さらに3週間、仕事をがんばっているところをアピール、もう一度さらにがんば
って言ったら許してもらえた。これまで以上に仕事がんばらなきゃ・・・とその時は思ったのだけど、思
いは続かない・・・。

2. 海外渡航申請
 うちの職場では、海外に行くときは「海外渡航申請」なるものを提出し、トップの承認を得なくては
ならないこととなっている。申請書には滞在中の日程や宿泊場所を記入し、さらには「渡航先、渡航
期間及び渡航目的は変更しません。○○公務員法及び××院規則に定める服務に関する規律を遵守
します。」といった誓約書にまで署名押印させられる。なんで個人のプライベートのことまで職場の承
認をもらわなきゃならんの? いったい何を根拠に承認するんだか。でも承認になったのもここ何年
かで、その前は「許可」が必要だった・・・まったく。
 まあ、でも、それに文句を言っていてはさらに職場に険悪さが生じてしまうので、おとなしく適当に
(実際に日程も二転三転していたし)書いて出しておいた。が、部長のところで決裁がストップしてし
まった。ダルエスサラ-ムが外務省サイトの危険地帯情報に載っていたためである。部長と直面談す
ることになり、「他にもいろいろ国があるのだから、他の国に行ったら?」と切り出された。所属長か
ら年休許可を得たことでタンザニアへの最大の関門を突破したつもりでいて、僕は行く気いっぱい
になっていたので、「そんな、それはないでしょう。」なわけで、ちょっとむっとした。承認してくれなく
ても勝手に行くし、それで不利益を科されるのであれば組合闘争にし、さらには裁判も辞さない、と
まで思ったが、まあ、でも、ここでも僕はおとなしく適当に言い訳をでっち上げたら、どうにか決済を
通してくれた。いろいろ面倒であった。
 さらにこの申請書のせいで海外に行くときはそのことが職場の方々に広まってしまうので、これも
また少々やっかいなのだ。

3. 忘年会
 出発前日、職場の忘年会であった。おかげで出発は少々だるいなかで始まってしまった。この職場
の忘年会、サボろうと思ったのだが、上司に「谷内さんが参加できるように、忘年会を17日にしたか
ら。」と言われ、そう言われれば出ざるを得ない。本当は僕のためではなく他の都合で日程がきまっ
たくせに、余計な言い方をしやがって・・・
  
                              
4. 忘れ物
 このツアーで、僕はいろいろと忘れ物、なくし物をしてしまった。まず、大阪でお気に入りだったサ
ングラスをなくした。まだ日本も出ていないのに。ダルエスで行った教会で財布をなくした。このとき
は関空でドルに換えた5万円分及びクレジットカードが入っていたので相当に焦った。教会でのミサ中
に財布がないことに気づき、こっそりとザックの中をがさごそ何回も探って青くなっていた。が、バス
の運転手さんが見つけておいてくれていた。よかったー。次になくしたものはお土産の絵、ナイロビ
空港で。でもこれは玉熊さんが確保しておいてくれた。この場を借りてお礼いたします。えーと他に
何を忘れ物したっけかな。何を忘れたのかも忘れてしまった・・・。あと腕時計も壊してしまったなあ。 
まあ、そんなことのため、ツアー後半では移動前には「谷内さんが忘れ物なければ大丈夫だな。」と
ご心配をおかけするようになってしまった。いやあお恥ずかしく、心苦しかったです。。

5. ホテル
 泊まったホテルはダルエス、タボラ、ンゴロンゴロ、アルーシャの4箇所。ホテルはンゴロンゴロのは
きれいで設備もよく立派だった。欧米や日本のサファリ観光者用のホテル。スタッフにも日本語を話
せる人がいた。他のホテルも予想ほどに悪くはなかった。もちろん、日本の格安ホテルよりもさらに
快適ではなかったけど。泊まったホテルに順番つけるなら、ンゴロンゴロ、タボラ、アルーシャ、ダルエ
スの順かな。水道の水は茶色くて、色のとおり土の味がした。

6. ホームスティ、ママの家
 タボラでママの家とカリムさんの家、それぞれ1泊づつ。タボラについてから「ホームスティしても
いいよ」との話しがあったので、希望して僕だけ特別にオプションで付けてもらった。そこの土地土地
の生活に実際に触れるのは楽しいし、電気もガスも水道もないタンザニアの村という貴重な経験。こ
れも「修行」のうちだし、友だちにも自慢できる。

 ママの家は、タボラの中心から車で
30分くらいのところ。電気もガスも水道もない。僕はこう見えて意外とアウトドア派でもあるので、そ
ういう点は、それほど気にすることはなかったのだけど、ちょっと不安だったのが、言葉。ママには英
語が通じない。でも、これもまあ一晩くらいならどうにかなるかなと思った。
 夕方、ツアーのみんなが帰っていくのを見送ったのはちょっとだけ寂しかった。一人ママの村に残っ
てからは近所の方々と楽しく会話(スワヒリ語のテキストを基に片言だけど)。暗くなったら、家に入り、
ママが蚊帳をつってくれた。明かりは灯油ランプ。
 その後、ピウスと遊んだり、片言でママと話したりしていたが、ピウスが寝てしまうとさすがに片言
のスワヒリ語で会話続けるのは限界に達し、9時頃、ママとピウスと同じ部屋で就寝。後で真奈美さん
が「寂しいだろうから、一緒の部屋で寝た。」とママが言ってたよと教えてくれた。ランプを消すと真
っ暗闇。久々の真っ暗闇であった。日本にいると夜といっても何らかの明かりが届いてきていて薄暗
いものだけど、ここでは目を開いても目を閉じても同じ真っ暗闇になった。

 翌朝、僕は6時に目を覚ました。7時過ぎ頃には隊員宿舎に戻ることになっていると思っていたから
だ。ママの家から隊員宿舎までは歩いて1時間近くかかると聞いていた。そんなわけで、僕は6時頃に
目を覚ましたのだが、ママはまだ寝ているようだった。うーんいいのかな?でもそろそろいかない
と7時過ぎにはつかないのでは、と思い、がそごそしてママにアピールしてみた。ママは起きてくれ
た。何かスワヒリ語で言ったので、隊員宿舎にはまだ行かなくていいのかとゼスチェーをしたら、ママ
は僕の手を引いて家の外へ連れて行った。なんだ? と思ってついていくと、トイレの前であった。マ
マは勘違いしていた。そうじゃなくてー、と伝えようと思ったが、ママはもっと寝ていろと言うので、
僕はジェスチャーをするのを諦め、実際眠いからいいやと思い、二度寝した。そしてようやく8時頃起
こされ、起床。朝ご飯にウガリ(とうもろこしの粉をお湯で練ったもの)をいただいた。もち米のよう
な味。
 食事の後、ママとピウスといっしょに畑の間の道を30分ほど歩き、そこからバス(「豊島莫大小
(株)」と書かれた日本の中古車)に乗ってようやく隊員宿舎に到着。ツアーのみんなに会え、ちょっと
だけ懐かしい感じがした。それまで8日間いっしょだったツアーメンバーと別れ異国の言葉も通じず電
気もガスも水道もないところに一晩とはいえ泊まったということは、正直やはり心細いところはあっ
たので。
 今回は一晩だけ泊めていただいたが、実際にこのような環境で暮らせるかなあとちょっと考えて
みた。先にも書いたが意外とアウトドアな僕としては、きっと他の人が思うよりわりと快適な一晩であ
った。うーんでも、実際住むかといわれると、1年に10日くらいかな、それくらいなら住めるかな。10日
じゃ住んだことにならんね。電気がないと不便というよりさびしい              
            気がする。                          
  
     

7. ホームスティ、カリムさんの家
 カリムさんの家は、かなり立派でした。来客用の部屋を使わせていただいた。カリムさんは「前は小
さな家に住んでいた。料理するのも、食事するのも、寝るのも、何をするのも1つの同じ部屋でしてい
た。そしてお金を少しづつ貯めて、この家に住むことができた。」と話していた。カリムさんとは英語で
話しができたので、僕の仕事のことや家族のことなどいろいろ話をした。

8. 飛行機
 ダルエスからタボラ、タボラからンゴロンゴロにはプロペラ機だった(タボラ~ンゴロンゴロはセス
ナをチャーター)。プロペラ機に乗ったのは2回目だったが、滑走路が土であるのは始めて。タボラ出
発の日は大雨で、土の滑走路で大丈夫なのかと不安に・・・。でもちゃんと飛んだ。ちゃんと飛ばせてく
れた操縦者には感謝なのだが、ンゴロンゴロに着陸した後に操縦席の近くに座っていた人が「パイロ
ットさん、居眠りしていたよー。」と教えてくれた。そりゃあ、自動操縦だろうし、ぶつかるものもない
(鳥くらい?)だろうから、居眠りしててもいいのかもしれんけどさ。でも、いいのか? 居眠りして。
タンザニアだからか? 

9. ンゴロンゴロ
 サバンナを駈ける野生動物が見れる、これが今回のツアーの大きな楽しみであった。RV車をガイド
付でチャーターして、公園内へ。象、シマウマ、ガゼル、かば、バッファローなどなど間近に見ることが
でき、感動。それと見たかたったライオンやサイ、これも一応見たことにはなっているらしい。ただ、
ガイドの人が「あそこにライオンが寝ている。」と指差した方にはなんとなく黄色い点しかなく、「サイ
だ。」と言った方には確かに何か黒い動物はいたが、まったくバッファローやら何やらと区別つかなか
った。やっぱりガイドさんは目がよい、きっと本物のライオンとサイであったのであろう。でも、できれ
ばライオンやサイもそれとわかるくらい近くで見たかったなあ。でも、「サファリ」という雰囲気は十
分味わえ、満足。

10. チャーター車
 ンゴロンゴロでチャーターしたRV車でアルーシャまで移動。100キロ近くでとばす。僕は助手席にす
わったのだけど、シートベルトが壊れ装着できない。怖かった。眠かったけど、怖くて居眠りもできずに
アルーシャに着く。

11. 言葉
 タンザニアの言葉はスワヒリ語である。ただ、割と英語も通じる。出発前、英語にもさして自信がな
かったので、この際だからスワヒリ語も少々覚えてみるかと思い、勢い込んでCDつきのテキストを買
ったのだけど、いつものごとくやっぱり3章で挫折・・・。でも、ちょっとは覚えた。こんな感じ。
     僕  : ウナセマ キジャパニ? [日本語話せる?]
  タンザニア人: ハパナ [話せない]
     僕  : ニナセマ キスワヒリ キドゴ キドゴ キドゴ
         [僕スワヒリ語話すよ。少し、少し、少し。]
     僕  : (物を指差しながら)ニニ? [何?]
  タンザニア人:  △×○▽□
     僕  : ウナペンダ △×○▽□? [あなたは△×○▽□が好きか?]
  タンザニサ人: ンディヨ [好きだ。]
     僕  : シペンディ △×○▽□ [僕は△×○▽□が嫌いだ。]
          ―――以下△×○▽□を入れ替えて繰り返すのみ―――


12. 美人
 タンザニアの町を歩いていると、やはり美人がいる。僕はこれまで、あまり黒人の女性で美人だな
あと感じたことはなかった。そもそも黒人の女性と直接会う機会というのはなかった。日本にいて黒
人の男性に会う機会はごくたまにあったけれど。米国の映画などを見ていても、美人でかわいく描か
れるのは白人だったりすることが多いからなあ。でも、やはりどの民族にも美人というのはいるよう
だ。また少し、タンザニアで暮らしていく楽しみができた。いや、やはりまだ暮らせないけど。

13. 建設現場
 仕事柄、建設現場には興味がある。今回はほとんど見る機会はなかったが、ドバイの建設現場はパ
ッと見、日本とさほど変わらない感じだったが、移動式クレーンでなく設置型のクレーンを使うことが
多いようだった。アルーシャでは、型枠支保工(コンクリート打設のための支柱)が木材。日本の枠組足
場からすると足場もいいかげんな感じ。実は将来的に外国(主に途上国になるかな)の労働条件(作
業の安全衛生を含めて)の改善に携われるような仕事をしてみたい、と密かに思っていたりもする。

14. 体調
 良好。でも下痢の日3日、頭痛の日1日。小野寺さんに鍼を施術していただいた。鍼初体験であった。
痛いのは大きらいでちょっと怖い感じをもっていたが、痛くなかった。おかげで、翌日からは体調も復
活。小野寺さんありがとうございました。



 
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