帰ってきたぞタンザニア
玉熊 亮慈


1 はじめに
 今回の研修旅行に参加した小生は、1986年から2年間、キリマンジャロ州農業開発プロジェクト
(KADP)農業機械専門家として、タンザニア・モシ市で暮らしました。帰国後15年余り経過し、遥かタン
ザニアの生活を思い懐かしんでいました。帰国後は現職に復帰して国内勤務し、3年後にインドネシア
へ赴任、3年間農業開発プロジェクト協力に参画しました。懐かしさが遠のくばかりの昨今、チャンス到
来との思いから参加しました。
 現在は青年海外協力隊を育てる会の支援の他、米澤さんが代表のボランティア団体「トゥエンデ」
の活動の様子を拝見して、自分自身の思いを更に強くしました。

 空路を乗り継ぎタンザニアのタボラ空港へ。時節がら、高温多湿で少雨期(11月~12月)である。機
内の窓から見下ろす赤茶色の畑地には播種後の緑がまばらに見えた。我々11名のタボラでの滞在が
ここから始まるのである。ここでは青年海外協力隊員のパソコン教師を務める梶田氏の寄宿舎を借
用、ここがトゥエンデの数日間の活動基地、米澤さんが3年間教師として暮らした宿舎でもある。

 タボラの寄宿舎から車で5分、ポリオで手足が不自由な障害者の方たちの自立を助け、技術を身に
つけながら働けるチャワタという施設の他、教育、医療、孤児施設(協会が運営)など、我々の訪問を
喜んで受け入れてくれました。
 私たちの訪問に関わってくれたカリムさん並びに関係者の方々に感謝すると同時に、現地で体験
した事柄を踏まえ、15年ぶりの里帰りで感じた事をまとめてみたいと思います。


2 消えゆく民族衣装
 タンザニアの人々の衣服は、近年諸外国から多くの物資が流入したことによって急速に変化して
いることが伺われます。特に近代化が進んだ都市の周辺ではその影響が強いです。首都のダルエス
サラームに限らず、マンションに住居を構え、街のティーショップでパンと紅茶の朝食を摂るなど、西
欧の影響と変わりない生活ぶりもみうけられます。
 衣食住の全般で近代化が進んでいる昨今、第一に目に付くのが衣服です。東アフリカの代表的な
民族衣装といえばカンガで、鮮やかな原色の布を胸と肩に巻いて歩く女性の姿は特に美しいです。
 少数さを感じながらも民族的な姿を見ると、この国の人々のおしゃれのセンスのよさが感じられま
す。
しかし今日のアフリカでは、これらの民族衣装にも増して普及しているのが西欧的な服装で、男性は
背広、ネクタイ、スラックスなどのいで立ちです。
今では、大都市周辺はもちろん、辺鄙な地方に行っても伝統的な服装は徐々に影が薄れ、特に男性
の服装は西欧的に変わってしまうような気がします。

 これらの伝統を固辞する一部の部族(遊牧民)は、勇猛果敢・沈着冷静な性格を持ち、美貌と長身に
恵まれたマサイ族で、伝統的存在感さえあります。
 「世のウシ・ヤギはすべて神から授かった動物だ」と信じるマサイ族の人々は、牧畜を生業とし、農
業を含め外部からの生活方法を一切受け入れません。
 彼らが狩りをするのはウシの保護のためと遊びのためであり、食料を目的としたものではありま
せん。他の部族が食べるために狩りをする際、毒を用いたりするのに対し、マサイ族はそれを許しま
せん。長い槍と楯と自らの勇気だけを頼りにライオンのたてがみを求めて草原を歩き回ります。
 また、アフリカ全域の伝統的な衣装には、装飾的な表現の発達が古くから存在し、その一例が、色
とりどりのビーズで作った首飾り、腕輪、足輪などの装飾品としてアフリカ各地で見られます。
 また、直接身体に彩色をしたりするのは自己を装飾するもので、個人の社会的地位や履歴を示す
ものでもあります。彼らに何が欲しいかと聞くと、多くの者は服が欲しいと答えます。服を手に入れた
彼らは、靴や時計、トランジスターラジオなどを欲しがります。彼らにとって時計やラジオは、自己を
飾るための最大の衣装の一部なのです。


3 社交場はバザール(市)~食文化の固持
 市の広場はあっと驚く極彩色になります。女性たちがきれいな布を頭に巻き、カンガという色模様
のあでやかなプリント地を身にまとって市場へやって来るからです。このようにおしゃれをするのは、
市場が単に物の売買だけではなく楽しい社交場にもなっているからである。なれない我々にとって
は、迷路のような売り場を見ていると仲間同士でさえはぐれそうになるほどの混雑ぶりです。
市場には物資が豊富で、その土地の人々が常食している食品がほとんど売買されています。まず身
近なものとして、野菜は白菜、なす、きゅうり、トマトなど、果物はバナナ、パパイヤ、マンゴー、パイナ
ップル、グレープフルーツ、オレンジなどが豊富です。
魚はマグロ、カツオ、アジ、イカ、エビ、ロブスターなどが豊富です。ただし刺身として食べる時は浜の
魚市場で自分の目で見て入手するのが望ましいです。
今回も市場へ行ってみて驚かされることがいくつかありました。肉売り場では処理したばかりのヤ
ギ、ウシの生首がそのまま置いてあったりで驚かされます。書物で知った物や、話で聞いた物など珍
しい食物が目にとまることもあります。
市場といっても全く予想もしなかった風変わりな食物に出会うことがあります。容器の中でうごめい
ているのでのぞいて見ると、色とりどりの虫が売られています。初めてこれらを見た人は身震いを感
じるでしょう。我々には奇妙な虫であっても、その土地の人々にとってはごく普通の食物で、文化が
変われば食材も異なり、彼らにとっては美味しく滋養に富んだご馳走の一つでもあるのです。


タボラの市場

4 障害者施設を訪問して
 ツアーの日程が決まり、事前研修が行われた中で、障害者の活動状況をビデオで拝見しました。自
ら障害者で施設を運営しているカリムさんは、木工・溶接・ミシン縫製などの仕事を障害者に提供し、
技術を身につけながら働ける作業所を設置したのです。
 寄付が集まる毎に足の不自由な方へ三輪車を作ったり、将来の自立を助けるための施設でもあり
ます。私は何か手助けできないものかと思い簡易の工具を持参しましたが、今回は作業の補助はで
きませんでした。障害者が安全に作業を進めるために、施設内の改善を必要とする点をあげてみま
す。
 1,ワークショップ内の照明と明かりとり
 2,作業台及び機器材の配置換え
 3,電動機器材の補修、スイッチの取り付け再配線
 4,グラインダーの粗目・細目(丸型)  5,電動用鋸歯(丸型)  6,オイルストン
7,カンナ(大工用)   8,機械工具一式
 ※これらの対応については国内においてリサイクルなどで材料を収集可能なことから、できるだ
け早期に実施したく考えています。


5 ンゴロンゴロ・クレーター
 完全な形としては世界最大の規模を誇る(世界遺産にも登録)噴火口です。直径が14.5kmあり陥没
したクレーター(凹)の中には湖があります。湖の標高1,722m。ここは年中青々とした草が茂っている
ことから草食動物が多く、乾期になるとガゼルやシマウマなど草食動物が高さ600~700mもある火
口壁を横切って移動してきます。その群れを追ってライオンやヒョウなどの肉食獣も移動し住みつい
ています。
 我々ツアーの一行は3台のサファリカー(専用車)に分乗し動物のいるクレーターへと向かいまし
た。15年ぶりのサファリです。当時は凹への車の乗り入れは進入路のみであまり規制は厳しくなかっ
たように記憶しています。
 現在は道路が整備され車両の乗り入れが可能なことから、観光客の多いのに驚かされました。動
物のアップ写真は難しく、遥か遠くからの撮影でした。火口外縁部には観光用ロッヂがあり多勢の泊
まり客でした。


6 遊びの本能
 自然の中に住んでいでも何かしら自分たちで創意工夫しながら遊び方を考え遊びを創り出すもの
ですが、ここタボラの子ども達は一日中木陰を求め路地や空き地を移動して歩いているだけで、特
に目立った遊びは何一つ見られませんでした。その状況を見ていた我々11名のうちの若者が、竹とん
ぼを彼らに手渡して飛ばして見せました。子ども達が大空に舞い上がる竹とんぼを追いかけ遊んで
いた光景が今でも思い出されます。
 ここタボラの子ども達にも古来の遊びが何かあるはずです。折り紙やお手玉・けん玉など、我が国
においても古来の遊びは沢山ありますが、伝統的な遊びを守っていきたいものです。


Sさんがマンゴーの木に登り、ロープをくくりつけ簡易ブランコに(ママの家にて)

7 日本の現状
 子ども達の遊び場であった路地や空き地が失われ、都会の子ども達はテレビゲームの前にへばり
ついて野山を駆け回ることを忘れてしまいました。田舎の子ども達は動物園の子猿たちより遊び方
を知らないでいます。遊び仲間でつちかわれるべき社会的な連帯とコミュニケートを失った子ども達
は、不毛の世代しかつくり得ません。そんな子ども達の遊びを眠らせることのないよう、遊びの本能
を掘り起こし役立てたいと思います。
 国内外に限らず世代を担う子ども達に対し、どのようにしてこれからつながりを持っていくかがこ
れからの課題でもあるでしょう。


8 さいごに
 この土地に生きる人たちは、生きる術のすべてをこの痩せ細った土地から吸い取るように幾世代
にも渡って生き続けてきています。遊牧民達にも同じことが言えるでしょう。
 ほどこしの無い土地でかろうじて生きているトゲだらけの草木を食し、家畜の胃袋を通してミルク
や肉に換えることでこの土地は生き抜いてきています。
 燃料といえば薪か木炭しかないこの地域。何年もこのようにして生きてきた彼らに、道ばたで高々
と積み重ね売られています。切り放題切りっ放しにされ何年もの年月、砂漠化を進行させていたので
はないでしょうか。我々の生活が豊かで便利になればなるほど、ここアフリカの人たちの環境問題が
深刻化すると考えられます。自分たちが使用したものが末端でどう影響を与えているかを互いに考
えてみたいと思います。



 
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