アフリカ人は働き者だった
  坂本 光弘

 乾季と雨季、二つのシーズンしかないサバンナ気候。この気象条件のなか農産物の生産はどのよ
うに行われているのか?類推の域を出ないが、見て感じたことをお伝えしたい。

 ダルエスサラームからタボラ、タボラからンゴロンゴロまで空路を利用したが、機上から見下ろす
アフリカの大地は赤茶けていた。雨期に入ったとはいえ日本の梅雨のように毎日雨続きというわけで
はなく、夕立程度で雨が落ちてくるらしい。所々緑が見られるもののほとんど褐色と言っていい。幾
筋か川のように見える箇所も干上がっていた。機内で隣り合わせた水道省のお役人に、「ビクトリア
湖から運河を引いたらどうだ?」などと馬鹿な質問を投げかけてみる。相手はとんでもないという
顔をしながら「途中で干上がってしまう」とまじめに答えていた。

 そうした、いかにも痩せていると思われる大地であるが、よく見ると幾何学的に区画され、付近に
は民家が点在しているのが見てとれる。その広さは機上では分からないが相当広大な面積であるこ
とは間違いない。聞けば、雨期を前にこの時期から畑の準備など農作業が始まるとのこと。種を蒔
き、あとは天気まかせの博打的な世界である。

 タボラの空港に降り立つと、機上からのイメージとはうってかわって、周囲の緑が目に飛び込んで
くる。団長の話では今の時期このように緑が多いのはめずらしいとのこと。空港の建物から出ると小
さな畑が目についた。畝が作られ何か植わっている。インゲン、トウモロコシなどが混植されていたの
である。日本だと作業効率を考えて野菜の種類ごとに別々に栽培するところだが、一つの畝に三種
類の野菜が交互に植えられ、見事に混植されている。その理由の一つは、天気まかせの栽培である
ため無収穫という危険の分散である。つまり、豆がだめでもトウモロコシ、トウモロコシが駄目でも…
といった具合。二つ目は、インゲンは蔓性で、成長とともに背が高くなるトウモロコシに蔓を巻き付け
て一緒に成長していくのだという。支柱やネットなど資材を必要としない合理的な方法である。三つ
目には、日本のように畑に肥料を施すというところまで一般的には普及していないアフリカの農業で
あるが、自然界の植物の共生、その視点を持つとこの混植はまさに合理的なのである。豆類は比較
的痩せ地でも実を結ぶ。そして空中の窒素分を根の部分に固定して土を肥やすという性質があり、
他の作物はその養分を吸収して成長を助けられるという具合。

 TDFTの計らいでタボラ郊外の農村を案内してもらった。TDFTの活動の一環として農家一戸に雌
牛一頭を貸与するという事業を行っているという。牛は無償で貸与するが将来雌の子牛を二頭返す
ことが条件になっている。資本がなくても家畜を導入できるのである。農家は牛を飼育して牛乳を搾
り家族の健康を増進する。余った牛乳は売って現金化する。市場とかミルクプラントに出荷するとい
うのではなく、隣近所にお裾分けという認識のほうが当たっているのかもしれないが、これが現地
の人にとってはかなりの現金収入になるとのこと。地産地消の原型である。さらに堆肥を畑に返すこ
とで土が肥える。作物がよく育つという、まさに絵に描いたような循環型農業が確立される。一家の
大黒柱を失い、働き盛りの息子三人とともに生活をささえているという奥さんの才覚は、タボラの街
周辺のそれとはまったく違う、畑の作物の生き生きとした様相に現れていた。牛の餌はどうするの
か?今の時期は周りに緑があり、あまり切れ味のよくなさそうな鎌(?)を振り回して草をかり集める
光景を何度か目にしたが、乾季になったらどうするの?という素朴な疑問。じつは乾季でも枯れない
草があるとのこと。その名もエレファントグラス。裏の畑にありますと案内され見せてもらったのはそ
の改良型であるという。日本でいうとさしずめ茅を太くしたようなものを想像してもらえばよいと思
う。他の植物は枯れても、この草だけは乾季でも青々としているらしく、これを餌として凌ぐのだとい
う。日本では寒さのために植物は枯れていくというのに、この地では暑さのために枯れていくのであ
る。そのシーズンの変わり目、作物の収穫の様子も見てみたいものだ。



 マーケットには米や豆類、トウモロコシ、キャッサバ、ジャガイモ、トマト、ピーマン、シシトウ、オクラ、
タマネギ、名前は分からないが、道ばたでも栽培されていた菜っぱなど、日本ほど種類は豊富では
ないが並べられていて、ベジタリアンの私は安心感を覚えた。日本の食事は「楽しむ」ものに変わって
しまった。しかし、このタンザニアでは今なお「命を繋ぐ食」なのだと感じる。

 表題である「働き者のアフリカ人」からかけ離れてしまった。
 これまで紹介した農業の取り組みは、かつては日本の農家もたどった形態である。今では普通に見
られる農業機械であるが、タンザニア滞在中に農業機械が農地で稼働している光景は見られなかっ
た。アルーシャからナイロビへ向かう道すがら大型トラクターがハロー(トラクターの後ろに装着する
機械。耕転と畝立てを一度にこなす)を付けて道路を疾走するのを見た。その付近では広大な耕作地
が道路両側に広がり大規模農業が行われているようであった。日本ではトラクターといえども操縦
席が囲われ冷暖房完備の快適空間のなかで操縦ができるようになったが、機械作業とはいえ炎天
下のなかであの広大なフィールドを耕す労力は並大抵ではないはず。タボラは比較的高地にあり他
の地域に比べてさわやかな気候である。しかし、夜から朝方にかけて肌寒さを覚えるのもつかの間、
日が昇るにつれ気温は上昇していく。日中の照りつける太陽のもとでの農作業は、いくら現地の人で
も無理に違いない。自然、あまり気温が上昇しないうちに、限られた時間のなかでの仕事のように思
える。あの混植の形態を見れば、機械力に頼るわけにはいかないし、収穫も限りなく続く手作業でそ
の労力は計り知れない。日中木陰で涼んでいるアフリカ人を見ても決して怠けていると思わないで
ほしい。彼らは私たちが考えている以上に過酷な労働をしている働き者なのである。

 日本の農業は世界経済という土俵に引き出されさまざまな摩擦のなか商品という形での作物生
産を余儀なくされている。タンザニアの農業も同じ轍を踏むことになるのだろうか?願わくば、「命
を繋ぐ農業」を継続していってほしいと思うのは私だけだろうか。

 今回の旅の初めは、現地の人々の生活ぶりと私たちの現在の生活のギャップにただただ驚かされ
るばかりだったが、旅の終わりころには、これでも人は生きていけるのだと妙に納得した気分にさせ
られる。途上国には得体の知れないエネルギーがあると感じさせられた旅であった。


ンゴロンゴロクレーター

 また「地球の真実」と題する次のことを実感する旅でもあった。
 1 地球には60億の人が住んでいます。
 2 先進国に12億人、途上国に48億人。
 3 16億人が15年前よりも劣悪な環境で生活しています。
 4 1日1ドル(100円程度)で14億人が暮らしています。
 5 読み書きできない人が10億人います。
 6 きれいな飲料水を飲めない人が10億人います。
 7 8億人が栄養失調で苦しんでいます。
 8 毎年1100万人の子供たちは食べ物がないため死んでいます。
 9 南側の国々では、医師1人につき6000人の患者、北側では350人です。
 10 米国の化粧品の消費額は年間84億ドルを費やしています。63億ドルあれば世界中の人の基本的
  学校教育がまかなえます。
 11 ヨーロッパでは年間111億5千万ドルがアイスクリーム代に費やされています。地球上に住む人々

  水の値段は94億5千万ドル。
 12 世界中の人々が必要とする基本的な食料と保健にかかる費用は136億6千万ドルであるが、ヨー
  ロッパだけでペットの餌代に毎年178億5千万ドル消費されています。
 13 日本の会社が経営する娯楽のために367億5千万ドルが費やされています。
 14 ヨーロッパだけで555億ドルがタバコに費やされています。
 15 世界中で1兆102億5千万ドルが麻薬に費やされています。
 16 4兆200億ドルが世界中で軍事費に費やされています。




 
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