今思うこと
小野寺 武男

 旅行から戻って数日後ある方から紹介されて「ザンビア通信」という本を読んだ。これはその方の
友人で元国立仙台病院ウイルスセンター長の沼崎義夫さんという方が書かれたもので、もともと
JICAの「ザンビア感染症プロジェクト」に参画されていた沼崎さんが95年に退官された後に2000年ま
での5年間現地に赴任されて、そのときにザンビアから友人達へ送った通信記録をまとめたものであ
った。今回のツアーでタンザニアの治安の悪さには驚かされたが、そこにはそれ以上に危険な日々
が綴られていた。長年雇っていた現地の運転手すら車を奪って逃走してしまう実態。暴動に巻き込ま
れると命の危険さえある国情。

 また、つい先日テレビで放映されていたが、アフリカのマリという国ではエネルギー資源として森
林の伐採が進んでおり、その為に国土の砂漠化が進行し、結果農業が立ち行かなくなりさらに貧しく
なるという悪循環となっているという。それを食い止めるために新しいエネルギーとして牛の糞を発
酵させてガスを作り出す方法やソーラーパネルの導入などに奔走するNPO団体の活動が紹介されて
いた。

 アフリカのすべての国の実情を調べたわけではないが、タンザニアが最も安定した政情だという
話を聞けば、多くの国において治安の悪さと貧しさが共通していることが推察される。しかし、「ザン
ビア通信」の前書きに非常に印象的な一文が載っていた。

 「ひとたびアフリカの<赤い水>を飲んだ者は再びアフリカに帰ってくる」
 誰の言葉か紹介はされていなかったが非常に印象的だった。なぜだろう。なぜ再び帰るのだろ
う。アフリカを訪れたナントカという芸能人も「世界観が変わった、また行きたい」と言っていたとい
う。夜は現地の人でさえ出歩くことを控え、外国人であれば昼間であっても気をつけねばならず、衛
生状態も悪く、人は何かというともらうことを考え、おまけにめちゃくちゃ不便と来ているというのに
だ。

 タンザニアの魅力のひとつはやはり人にあるのだろうか。あけすけではあるが、あの陽気さと物
事をあまり小難しく考えないところが裏表の無い人間性となって憎めないのかもしれない。それか
ら時期がよかったのだろうが気候的にも気に入ってしまった。ダレエスサラームの蒸し暑さは勘弁願
いたいが、タボラのからっとした暑さは直射日光にさえ当たらなければ心地いいものだった。普段は
緑がほとんど無く赤く乾いた台地が広がるだけで、道路は土ぼこりが舞い上がるという話だったが
一度見てみたいものだ。

 心残りなのは自分に語学力が無いために病院にもう一度訪問できなかったり、全般的にコミュニ
ケーションがあまりとれなかったことであった。病院で現地の理学療法士とあったが技術的な指導
をするために後日再訪問をする約束をしたが通訳の手配がつかず結局行くことが出来なかったの
である。仮に気持ちが通じ合えたとしてもそれだけでは不十分であることが多いことを感じた。そし
て治療をした彼らのことも気になる。その後どうなっているか、おそらくまた苦痛の日々を過ごして
いるに違いない。お金を要求してきた青年は今はどんな生活を送っているのだろうか。

 そんなこんなに思いをはせると遥か彼方のあの地がまた身近になってくる。不思議なものだ。
 もうひとつ気になることは、帰ってから聞いた話だったがタボラは奴隷の収集地であったとのこ
とだった。恥ずかしながら、その話を聞くまでアフリカから多くの奴隷が欧米諸国に送られていたと
いう事実を忘れていた。まったく頭から抜けていたのである。タボラホテルは植民地時代の建物だと
は聞いていたが、奴隷についての認識は思い浮かばなかったのである。過去にそのような歴史を持
つことについてどう思っているのかなどは誰にも聞くことは出来ないであろうが、せっかく自分が
訪れる地についての認識が欠けていたことが残念だった。もっと勉強してみたい。

 自分は再びアフリカに帰るのだろうか。というか帰ることが出来るのだろうかというのが今の気
持ちである。



 
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