古い写真 | |
あのころ つん も若かった |
浴衣のきみは〜 尾花のかんざし〜 ♪ ♪ 熱燗〜徳利の首〜つまんで〜 ♪♪ 吉田拓郎の歌声が何処からか流れていた。 その頃、つん の山歩きは始まった。 当初から単独行での山行だった。 最近時折何十年か前のことを思い出すことがある。 やはり つん も歳をとったと云うことであろうか。 普段日記もつけなければ山行時、真面目に メモもつけたことのない私である。その上 一人歩きの山歩きを始めた頃より、今日まで 十回ほど引越しを繰返してきたのである。 過去の山行記録となる写真など多くが散逸してしまった。 その時撮った写真でも手もとにあれば、ありありと 当時を思い出すことも出来るのだが ・・・・・ 。 |
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1974年・夏 苗場山は神楽ガ峰にて |
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手元に残った写真の中の一枚 写真は今から四十数年前の苗場山でのものです。 その当時、よく谷川岳や苗場山など上越国境や その近くの山々を週末に歩いていた記憶がある。 苗場山への交通の便も、まだ登山口の一つであった 祓川へ越後交通のバス便があった時代で、当時を思うと 隔世の感がする。八月のとある日、祓川でバスから 降車すると目の前の草原にヤナギランの花が 咲乱れていたのを昨日のことのように思い出す。 この時は確か何度めかの苗場山への山行で 天幕で一泊し赤湯〜元橋へ下山したのである。 苗場山へはこの前後、小赤沢、和山、赤湯からと コースと季節を変えて何回か登っているが、 登山口近くに温泉が湧き出ているところが お気に入りの一つであった。 それにしても写真の つん 若いですね。 この頃、山行時によく手拭などで鉢巻をして 歩いていたこと、写真を見て懐かしく思い出しました。 |
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1976年・夏 北ア・北部にて |
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次の写真は北アルプスや南アルプスの山々を 天幕担いで歩き周っていた頃のものです。 この時は白馬岳を越え、三国境から雪倉岳〜朝日岳へと 歩いた。写真は確か朝日岳を見仰ぐ 白馬水平道付近での1枚かと思う。 この日、水平道から朝日平に入り露営。翌日朝日岳を越え 雪解けの泥濘の中、五輪尾根を下り蓮華温泉に 下り着き、バスで大糸線の平岩駅にでた記憶がある。 しかしこの頃は つん も若く馬力があり、50キロ程の 体重で25キロ近いザックを担いで登山道を闊歩 していたのである。 今では75キロ程の体重に5キロにも満たないザックで、 体は前に出ず、あごばかりが前に出るという情け無いありさまなのです。 |
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1977年・秋 安達太良山にて |
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下の一枚は福島県の安達太良山への山行時のものです。 当時、私は茨城県の海に程近い所に住んでいた。週末となると よく水郡線(水戸と郡山を結ぶローカル線)に沿った国道を往復し 安達太良山へ通っていたのである。 私の住んでいた所からはどの山も遠かった。年末年始や ゴールデン・ウィーク、夏休みなどの連休時は南アルプス 北アルプスなどへも長期の山行が出来たが、 日帰りなどで往復できる山は限られていたのである。 秋の日の週末に入山した。この時は奥岳の駐車場に愛車を停め 勢至平からくろがね小屋に向った。小屋では素泊まりとし、小屋の 温泉を堪能した。翌日、馬ノ背経由で秋晴れの空の下 山頂に立った。那須連山や磐梯山、吾妻連峰、 阿武隈山地まで見渡せる素晴らしい眺望だった。 前日小屋泊まりとしたので、のんびり下山した。 下りの途中でガンコウランやクロマメノキの実を摘み取り 空になった水筒やポリ容器に詰めて持帰った。 この文を打っている時、当時乗っていたマ○ダのロータリー 車を思い出した。安達太良山もその愛車で出掛け 帰りは岳温泉に入湯し帰宅したことなど色々と思い出した。 ところであの時、いつもは日帰りで往復する山を 小屋泊まりとしたのは、ゆったり、のんびりと小屋の温泉に 入湯したいが為だったね。 持帰った山の恵みはその後、リキュールになり しばしの間、黒みがかったガーネット色をして つん の目を愉しませ喉を潤させてくれたっけ。 |
考えてみると昔は時間の感覚が
ず〜と希薄だった。
そして 、知らないうちに
時が目の前を通り過ぎていた。
ふと ・・ 気が付くと、思い出が
こんな古い写真の中に ・・・ 。
過行く時が、愛しく ・・・
感じる様になっていた。