狛犬と社寺めぐり 〜 日光狛犬紀行レポート
8月28日久し振りに市民文化センター主催の狛犬ツアー「狛犬と社寺めぐり」へ参加してきた。
もう第9回目とのことで、今回は特別企画日光狛犬紀行。
天気予報は雨、前夜からの雨は集合時間寸前まで降り続いていたが…幸いなことにツアースタート時には上がり、結局一日中傘は不要のままだった。

バスで神橋へ向かい、そこから歩いて東照宮へ。

仁王門裏側の木彫り狛犬
寛永13年
右・獅子;金色、尾と鬣は緑色。鬣は渦巻き。
左・狛犬;銀色、尾と鬣は青色。鬣は流れる。

写真下は陽明門裏側の木彫り狛犬
寛永13年
上と似ているが、吽像のツノが無い
また、仁王門のものより少し小さい。
仁王門・陽明門の木彫り狛犬に挨拶し…勿論、どこもかしこも歴史話が詰まっている所、三宅さんの解説は止まるところがない。
最初の石造狛犬は陽明門前の「飛び越えの獅子」。
冬木太良右衛門(地元の石屋)の請負。
一匹につき金百両と御造営帳に記載がある。
「恐悦飛び越えの獅子」
   家光がこの獅子を見て「良くできている」と言ったところ、「恐悦至極に存じます」と答えたとか。
昔から備前西大寺の石工築太夫の作と言われているが、その確たる根拠は、残念ながら不明。
しかし岡山県西大寺市に築田屋(後に次田屋)という棟梁格の石工がいて、備前産の花崗岩を馬車に積んで、日光に運びながら石を粗彫りした、との伝承もある由。
(石定さんの見立てでは石垣や獅子は花崗岩ではないと言うことなので、この説はあくまで面白い言い伝えの域を出ません。)
飛び越えの獅子は鐘楼前・鼓楼前石柵が重文となっていて、その一部として重文になってます。

<この項、山田敏春さんによる>

左像を右横から

左像を左横から

玉垣と一体となり逆立ちした「玉垣獅子」だが、寛永13年(1673)の重文狛犬。
感激しつつも、心は次の奥社の狛犬へと急ぐ。

これが今回の目玉、「関東最古の石造参道狛犬」と言われている石造狛犬だ。

力強さと風格がシャッターを押し続けさせる。
素晴らしい!

狛犬解説講師の山田さんによれば「寛永18年10月から19年の4月にかけて奉納された」と推定されるとのこと。(1641〜1642)

もちろん重文だ。

奉納
 阿:松平右門大夫正綱
 吽:秋本但馬守泰朝

「関東最古の石造参道狛犬」と言われてはいるが、庶民の目に触れることが出来るようになったのは明治以降
阿の口中は赤く塗られていた痕がある。
東照宮の寛永大造替が終わったの寛永13年4月、奥の院の造り替えが始まったのが寛永18年の春、そして9月にはほぼ完成、17日に正遷宮しました。
18年10月に松平正綱と秋本泰朝に各々、刀と銀百枚の恩賞が授けられた。
この恩賞をいただいた後の家康の命日の4月17日を考えると寛永19年になります。
確たる証拠が有るわけでは有りませんが、私の推定としては
寛永18年10月から19年の4月にかけて奉納されたと考えています。
この狛犬は昭和48年に重文になったようです。

<この項、山田敏春さんによる>

数少ない石造重文狛犬が2対。
さすが東照宮!
この他に、鋳抜門前のブロンズ狛犬、唐門上の鉱獅子と休む閑がない…

鋳抜門(椎名伊豫 作)
唐銅(金・銀・銅の合金)で屋根・柱・壁などを鋳造し、組み立てたもの
慶安3年(1650)〜重文

このブロンズ唐獅子は正に名品!

鋳抜門の奥は奥宮御宝塔
当初木造であったものが石造になり、更に現在の唐銅に改鋳された
鋳工は鋳抜門と同じ椎名伊豫

御宝塔(墓所〜家康の柩がおさめられている)

香炉(?)の上に獅子像

順路的には戻るが、下は唐門
唐門
柱には唐木の寄木細工で昇竜・降龍の彫刻。
屋根には鰭切れの龍(昼の守)と恙(つつが〜この字に獣偏が付く)(夜の守)が飾られている。
     
<案内板より>

日光東照宮・唐門の屋根の上にある鉱の獅(かねのしし)。
寛永年間、江戸幕府の鋳物師椎名兵庫の作。
長:4尺5寸2分 太:2尺5寸 高:2尺3寸2分
金2百両
〜2000年18号「今月の一枚」にて
 山田敏春さんが紹介

ここには沢山の燈籠が奉納されている。
江戸初期のものから石造、ブロンズが並び、奉納者や奉納年を見ているだけでも楽しい。
下はそんな中のひとつ、獅子の飾られたブロンズ燈籠。
<御水舎の左横>
元和3年4月17日(1617)の奉納
で、昼食はすっかり遅くなってしまったが、豪華に楽しく会食。
食後にもう一社、青龍神社へ。
明暦4年(1658)の天狗(あまいぬ・雨止狛犬)。
円丈本に「世界一コケの美しい狛犬」とあったが、正に偽り無し。
日帰りではとても足りない、中身の濃いツアーだった。

2004年44号より
阿由葉