あ・うん  斎藤 良夫

『斜陽』の家の狛羊

平成21年暮れ、不審火で焼失した空き別荘跡地の片隅に2匹の石彫羊が置かれている。

別荘は昭和5年春、梅林で有名な小田原市曽我谷津の丘陵地に、東京の印刷会社社長・加来金升氏が病気の母のために建てたが、建築中に母親が亡くなったために貸し別荘にした。
和洋折衷に中国様式を取り入れた建物で「大雄山荘」と命名し、羊の石像は玄関前に置かれた。

「玄関前に朝鮮から来たもので有り又千年も以前の品で有るといふ来歴付きのみかげ石で羊の形に彫刻したものを直す…」。
別荘建築職人の昭和5年11月16日付け日記である。

「羊」について、狛研会員の福田博通氏は、「弘法の教えの羊」「鎮魂の羊」「一代守本尊の羊」(神使のページ・羊の項)があると説明しているが、別荘の<狛羊>の資料は乏しく加来氏の意図は不明だ。

職人日記は、空き別荘になる前の最後の主・林和代さんの著『雄山荘物語』(東京新聞出版局)からの引用だ。
林さんの父は俳人・林周平で高浜虚子の弟子。
別荘は改装時に「雄山荘」と改名した。
別荘の改装は一部手直しで、林周平が行い、「雄山荘」と大の字をとって改名。


加来金升氏(「雄山荘物語」に掲載されたもの

88年 「雄山荘」

この別荘が世間の注目を引くようになったのは、太宰治の小説『斜陽』の舞台になったからだ。

林さん家族が住む前の主は太田静子。
静子は太宰の愛人で彼女の日記が『斜陽』の下敷きになっている。


  「今の世の曽我村は唯梅白し

焼け跡に別荘の面影はない。
羊の像の傍らに、周平が建てた
虚子の句碑が転がっていた。


虚子は、「大雄山荘」時代に、ここで(当時は曽我村)句会を開いた。
その時に詠んだ句を、周平が碑にした。
字体は虚子のもの。



               
2011年83号より

現在「寄りあい処こうづ」にて、開設三周年記念として
みかんの花咲く曾我丘陵「雄山荘」を愛した人たち 展が開催されていて、
斎藤良夫さん
(写真下)が「『斜陽』の家の羊の石像」を特別寄稿しています。
会期は 5月7日〜5月24日

この原稿を大幅に増補した冊子「
『斜陽』の家の羊の石像」は 以下からご覧いただけます。

  ・表紙
  ・斜陽の家と羊像=本文
  ・太宰治と国府津館
  ・太宰から静子への手紙
  ・参考文献・資料

                「寄りあい処こうづ」
               小田原市国府津3-14-3 ちえのわ2F
                   TEL  0465-47-0933