原型と狛犬 〜 籠神社 → 目黒不動尊 → 靖国神社 |
かねがね目黒不動尊にある石膏狛犬と靖国神社社頭の狛犬が全く同じなのはなぜだろうと思っていましたが、靖国神社の記録である「靖国神社百年誌」にその答えがありました。
それを元にそれぞれの狛犬奉納を追ってみました。 |
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石は神奈川県真鶴の小松石で、山から切り出して刻みが始まりましたが、終戦を迎えて製作は頓挫、狛犬は未完のまま真鶴海岸に放置されてしまいました。
戦後、目黒不動尊の仁王像製作を当地の和菓子の玉川屋・小川氏から依頼された後藤良は昭和32年に仁王像の原型を完成させた後に亡くなってしまいました。 そして狛犬の原型も転々と所をかえ傷みが加わったそうです。 |
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昭和39年、元衆議院議長の清瀬一郎氏が勲一等を叙勲、記念に狛犬を奉納する事になりました。
清瀬一郎氏は東京裁判で東条英機の弁護をしたことで知られた人物です。 この狛犬奉納と真鶴海岸の狛犬がどのように繋がったかは想像の域を出ませんが、戦前の靖国神社は陸軍省の管轄でしたので靖国神社では真鶴に未完の狛犬が居るのを知っていたのでしょう。 また世話人の中に真鶴町の脇山長男がいます。 真鶴貴船祭りの実行委員長なども務める人で、石屋さんと思われますので、脇山さんと靖国神社とで話をまとめたと考えられます。 |
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靖国神社〜参道の狛犬 八柳恭次 作 石工 小澤映二 |
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かくして真鶴海岸の未完の狛犬は後藤良の直弟子と云われている八柳恭次が完成させ、奉納に至りました。
台座には「昭和四十一年秋 八柳恭次 作」とあります。 原型の方は後藤良の孫である彫刻家安原氏が自分のアトリエに引き取って修復していましたが、昭和53年7月、玉川屋・小川氏の息子さんによって目黒不動尊に寄進されました。 |