大國魂神社〜五月初午の狛犬
 大國魂神社〜五月初午の狛犬  

2006.5.25 〜山田敏春

大國魂神社(東京都府中市宮町3−1)

大国魂神社の随神門前の狛犬は、府中宿の宿屋である新宿東屋の平吉と
番場宿箱屋の政吉によって奉納されました。
狛建立年は
天保十己亥歳五月初□(1839年)
と刻まれていますが最後の文字は異体字で読めません。

稲荷神社の2月初午から連想して「初□」は初午ではないかと考えて午の字を探したところ似たような字体の文字が見つかりました。
やはり「午」と読むようです。

だが字は読めたのですが、今度はその意味が分かりません。
「五月初午」というものが何を意味するのか、二月初午は稲荷神社の祭礼として知られていますが、五月初午と云うのは聞いたことがありません。

そこで江戸の情報誌でもある江戸名所図会で大国魂神社の五月の祭事を調べてみました。
大国魂神社の例大祭は4月25日から始まり5月5日には有名な暗闇祭りで最高潮を向かえますが、馬市が5月3日から開かれ、夜には競べ馬(くらべうま)が行われると記されています。
どうやら
五月初午馬市及び競べ馬のある5月3日を指すものと思われます。
競べ馬とは朝廷への献上馬選定の為に馬場で走らせた事から始まったものです。
大坂方と闘った時の家康の愛馬「立黒」はこの馬市から献上されたもので日光東照宮の初代神馬となったという話が伝わっています。
これは中雀門前の狛犬。随神門前と同じ天保10年ですが1ヶ月早い4月の奉納。
奉納理由は不明ですが、時期から見て例大祭に合わせての奉納と思われます。

そんな由緒ある馬市も享保年間には江戸に移されて府中宿の馬市は廃止されたてしまいました。
だが馬市の再興は府中宿にとって経済活性化の為の悲願であったらしく、幕府に何度も馬市再興の願いを出しています。
寛政年間には三度目の再興が行われましたが数年で終わっています。
天保元年に四度目の馬市が再興されました。
そして
天保十年に馬市再興十周年を記念するかのように狛犬が奉納されたのです。
だがこの年再び馬市は廃止された模様です。安政年間に五度目の再興が行われたがわずか一年で終わっています。
五月初午の銘があるこの狛犬は馬市と関係するものであり、府中市の歴史的文化財と云うべきものです

参考 「家康公と全国の東照宮」高藤晴俊著、「府中市史」