鳩森八幡神社の狛犬
 鳩森八幡神社の狛犬  

2006.4.2 〜山田敏春

鳩森神社(渋谷区千駄ヶ谷1丁目)                           (写真;阿由葉)

会報「狛犬の杜」(2003年37号)の「江戸名所図会狛犬巡り12」で
富士塚の登山口にいる享保20年(1735)建立の狛犬を
江戸名所図会に描かれた狛犬としましたが、
渋谷区の資料などから再検討してみました。

富士塚と狛犬…この狛犬を江戸名所図絵のものと考えたが、再検討…

狛犬台座の銘は

奉納 御宝前
 享保二十乙卯年九月吉辰 市谷田町三丁目 □□や

となっています。
この後の字は読めませんが、市谷田町三丁目には石工がいた事が分かっていますので、おそらく石工の名前でしょう。
奉納者は「千駄谷新町」の七名です。

都教育委員会の調べでは富士塚は寛政元年(1789)に築かれたとされています。

だが地元研究家によれば、もっと古い可能性もあるとして、富士塚中腹の浅間社にある享保16年の水盤、享保19年の灯籠、そして享保20年の狛犬がその遺物ではないかと云っています。
浅間社の勧請時期と富士塚の築かれた時期が同じなのか、違うのか、はっきりしませんが狛犬は浅間社に奉納されたものと考えられます。
江戸名所図会の千駄ヶ谷八幡神社(現鳩森八幡神社)には、拝殿前の参道に狛犬が描かれていて、
その位置には現在、昭和29年に奉納された狛犬がいます。

梅と松で見にくいが、江戸名所図絵ではこの位置に狛犬が描かれていた。
これは現在の昭和29年に奉納された狛犬。

だが下の台座は古いものがそのまま使われていて

維時文化十一年龍次甲戌晩穐九月穀旦(1814年)

と銘があります。

この文化11年の狛犬については昭和16年に発行された渋谷区の資料「渋谷区神社仏閣名所画報」に写真が残っていました。

不鮮明な写真ですが、よく見ると、それは現在富士塚浅間社の裏にいる先代の姿です。

先代は吽像のみで拝殿側の背中が火で焙られて破損しています。
これは昭和20年の戦災の痕です。
残された台座や戦前の写真などから
この先代が「江戸名所図会」に描かれた狛犬だと思われます。

これが江戸名所図会」に描かれた狛犬!