虎五郎の狛犬
大工虎五郎の狛犬         

 2005.10.1 〜山田敏春

浅草神社(東京都台東区浅草2-3) 石工:象潟町 大岩

 天保七丙年申三月(1836年)浅草神社に大きな狛犬が奉納されます。
奉納者は田町の文三郎と山川町の大工虎五郎です。

この大工虎五郎が大きな狛犬を奉納出来たのは何故だろう。
世はいわゆる天保の大飢饉の時期であり、そんな中で狛犬奉納のお金をどのように得たのだろうか。

 その手がかりは千葉県に有りました。
流山市駒木の諏訪神社に新吉原の人達が文政十二年(1829年)に奉納した手水鉢があります。
屋号と主人名がずらりと並んでいて、千住の素盞雄神社に狛犬を奉納した松葉屋半蔵の名もあります。
その末席に大工虎五郎の名があります。

 江戸の歴史は火事の歴史でもあり、その復興が江戸の経済を支えているという一面もありました。
材木商や種々の職人を束ねる大工の棟梁が大きな利益を得たわけです。
吉原に於いても小さい火事は日常茶飯であり、全焼と再建を繰り返しています。
吉原が全焼すると仮宅の営業になります。

仮宅の営業は廓内に比べて経費がかからず大層利益があり、建て替えの費用を差し引いても十分残ったと云います。
吉原の主人達は全焼後の仮宅営業で利益を上げ、大工虎五郎は再建工事で利益をあげる。
吉原と大工虎五郎はいわば一蓮托生の間柄だったのです。

 ちなみに狛犬奉納の前年そして翌年にも吉原は全焼しています。

諏訪神社(流山市駒木)の手水鉢