浜松けいわんのまとめ


1.けいわん発症の背景

 

 浜松情案で「けいけんわん障害」(けいわん)が発症したのは、1996年(H6年)の2月24日でした。当時の104番号案内の職場(通称情案)は、案内台の電子化、通称エンジェル台が導入され、NTTの民営化後の収入確保を目指すとして、104の有料化が実施され、さらに全国の電話局、事業所、職場の統廃合で全県一極集約やブロック集約が進められていました。むろん各地の情案職場も例外ではありませんでした。

 その情案職場に、ニュウエンジェル台が導入され、それと併せてサービス向上の名目と、「成績が悪いところは集約され職場がなくなる」と、全国の各情案職場で生き残りを賭けた応答率競争が開始されました。県下でも静岡、浜松、沼津、伊東等で一日単位、時間単位で過酷な応答率競争が行われました。

 当時の情案労働者は、いわゆる中高年労働者が主体で、どちらかと言えばパソコン等は不慣れな年代でしたが、エンジェル台のタイピング速度が、応対秒数の短縮にはかかせないとして個人管理の秒単位のタイピング訓練が開始され、目標秒数に達しない人は着台させて貰えませんでした。

 そのような背景の中で「けいわん」が多数発症しましたが、「けいわん」が職業病だと認識していても黙って職場を去った情案労働者もたくさんいました。

 

2.なぜ秒単位の応答率競争がされたのか

 

 104番号案内は、1997年(平成9年)11月1日に別会社に完全依託化され、NTTから番号案内職場がなくなりました。
 この依託化にあたり依託コストを少しでも安くするために、一通話当たりの応答秒数を数秒短縮すれば、全国規模では千人削減出来ると、全国平均を少しでも短縮すれば、依託コストが大幅に安く出来るのが会社のねらいでしたが、各条案職場には「成績が良ければそこの職場が残る」かのような幻想を抱かせて、待ち呼を出さないように、背面監視を取り入れ猛烈な秒を争う応答率競争が展開されました。

 

3.労災認定の闘い

 

 米山さん、鈴木さんが、「けいわん」発症にあたり浜松支店に対し、職業病として認めて労災処理にして欲しいとの申し入れに対し浜松支店は拒否しました。

 やむをえず二人は浜松労基署に対し、労災申請をしました。申請にあたり、マスコミ発表し、マスコミもNTT民営化後初の労災申請として大きく取り上げ、浜松支店にも取材が集中し浜松情案の職場が騒然としました。次の日から通信労組の組合員とは口を聞くなと職場の中で差別と人権侵害が始まりました。

申請者が労災であると証明すると言うことは膨大な時間と資料整理が必要です。会社からの資料提供はありませんから自ら調べるしかありません。この作業には二人が所属する通信労組浜松分会が大きな力を発揮しました。平成7年12月に三重支店の古田さん、そして当時の通信労組浜松分会の分会長でありこの認定闘争の中心であった澤根さんも「けいわん」を発症し、事態を重視した通信労組東海交渉団が「浜松情案職場への立入調査」を実施しました。

澤根さんも古田さんも会社に申し入れしましたが拒否されたので、米山、鈴木さんについで労災申請しました。

 申請から2年半後の平成8年12月6日、米山さん鈴木さんに浜松労基署から「業務に起因する」と、いわゆる業務上認定の通知がありました。その日は、都合良く通信労組浜松分会の忘年会が向宿ビルの食堂にセットされていて美味しいお酒を飲みながら各地に勝利報告ができました。

 業務上認定を勝ち取る活動の上で、労基署要請行動の度に、机の上に積み上げられた、全国の仲間の要請署名は、団体署名1,241筆、個人署名22,500筆にものぼり、私たちに大きな力と勇気を与えてくれました。

 

4.認定後の「病気休暇による昇給減額を回復せよ」の闘い。

 

 二人の認定後の団体交渉で、「就業規則」にのっとり「けいわんに伴う病気休暇は、業務上(公傷)なのだから、発症時に遡り一般私傷病扱いから公傷休暇に切り替え減額分の回復措置をとれ」と要求し、会社も「いまその手続きをしている」と一旦は回答しましたがその後、給与規定にのっとり減額していますとの一点張りで回復処置を取りませんでした。

 

5.澤根さんも労災認定される。

 

 浜松けいわんを支援する会と通信労組を中心に大阪けいわん原告団や各地の職業病連絡会や各争議団と共闘し、多くの要請署名(団体署名が1,073筆、個人署名が17,832筆)、とカンパが寄せられました。春と秋には静岡県争議団総行動で浜松支店、労基署、労働局に要請行動がなされました。その中で澤根さんにも、平成10年8月7日に「業務上」の認定がなされました。認定までの闘いは以上のような取組でしたが、三重の古田さんは残念ながら「業務上認定」が勝ちとれませんでした。

この認定闘争に寄せられた暖かな大きなご支援とご協力には心から感謝すると共に労働者が団結して共に連帯して闘うすばらしさを実感しました。

 

6.NTTが労災(公傷)と認めない理由。

 

 就業規則では「労災認定は労働基準監督署が認定する。」となっているのに、NTTは「公傷休暇にするには、療養補償とは別に休業補償の認定なされていないから、減額措置の回復は出来ない。休業補償認定を申請したら」と、療養補償は労災認定とは違うからという態度をとりました。労災認定の中には、療養補償と休業補償があります。3人が申請した時点では、無給ではありませんでしたので、療養補償の申請は出来ましたが休業補償は請求できませんでした。一般企業では、病気休暇は無給の所が多く、NTTは労働協約で病気休暇制度が確立していて病気の種類によりますが、一定期間は補償されすぐに無給とはなりません。

 そのため就業規則には、「公傷の場合は、4日目以降は無給とする」とわざわざ書いてあります。NTTも労災保険を掛けていますので、通勤災害、業務災害で自社に責がない場合には休業補償を申請しています。また、「労災申請して認定がどちらかわからない場合にも4日目以降は無給とする」とも書いてあり、これは「認定されれば公傷として4日目以降を扱い、認定されなければ労働協約に従って一般私傷病として扱う」と付記してあります。無給にするのは、NTTがすることであり本人の請求ではありません。

 

7.NTTが就業規則どおりの処理をしなかった訳。

 

 一般的には労災が発生するとその原因を取り除きさらなる労災が発生しない処置が求められます。交通事故とか本人の不注意とか取り扱い不良とか原因が特定でき改善出来る場合は問題がありませんが、この「けいわん」のように日常作業の中での発症に対しては会社の対応も日常作業の見直しをしなければなりませんのでとても大変です。しかも、104完全依託化を控え、応対時間を少しでも短縮しなければならない状況で業務の見直しをすれば、予定している104の全面依託化に支障が出るからです。

 

8.あらゆる手だてで闘いを継続する

 

 情案職場がなくなり、NTTが分社化され、退職・再雇用のリストラがされる中で、仕事が原因でなった病気と国が認めたにも関わらずNTTが業務上と認めないことは許せないと、団体交渉を始め、毎年春・秋に争議団の支店要請行動、職場の上長面談、労基署、労働局の個別紛争解決とあらゆる手だてを尽くしてきましたがNTTは給与規則に則り、公傷休暇ではないのでとの理由で病気休暇扱いを続け減額措置を続けました。

 2001年(平成13年)の年末一時金より成果業績でA〜Dランク評価が導入されました。評価の基準があいまいで弱い者いじめの評価で病気休暇取得者はまっさきにD評価でした。「けいわん」患者の澤根さん・鈴木さんもD評価でした。D評価は人間性をも否定するもので、まして業務上の疾病治療のための病気休暇を理由にすることは許されるものではありません。

 

9.ついに司法の判断を決意

賃金支払い等請求訴訟(別称 けいわん訴訟)は、2003年9月17日に当時NTT静岡支店勤務であった米山範子・澤根逸子さん2人が原告となっておこした訴訟です。

米山・澤根さん(鈴木美和子さんを含む)は、かってNTT浜松支店情報案内営業部に勤めていましたが、1990年代前半から始まったNTTによる情案合理化計画の下で「けい肩腕障害」を発症しました。しかしNTTがこの「けい肩腕障害」を業務災害としてかたくなに認めようとしなかったため、1994年に米山・鈴木さんが、1996年に澤根さんが浜松労働基準監督署に労災認定申請をおこない、それぞれ2年後に労災として認定されました。

この間3人はやむを得ず私傷病扱いによる病気休暇を取得したりして治療にあたってきましたが、その病気休暇を理由に定期昇給の減額処分や特別一時金の減額等が適用されました。

しかし「労災」として認定された時点では本来NTTの就業規則に基づいて「業務災害」として認定し、すくなくとも「発症」時点までさかのぼって「減額処分等」の措置を回復するのが道理でしたが、「労基署は労基署、NTTはNTT」という姿勢をとり続けるNTTは、度重なる本人たちの申し入れや通信労組の団体交渉等による申しいれを拒否し続けてきました。

こうした経過を経て「泣き寝入りしない」という決意で米山・澤根さんが訴訟に踏み切ったものです。

 NTTリストラ裁判が開始される中、弁護団の先生に相談したら、そんな馬鹿な、裁判にかけてさっさっと片付けましょう。書面審査だけで済むかも知れません。とのことで一昨年9月15日に米山・澤根の両名が提訴し鈴木さんは和解が進む中で最終的に原告に加わりました。

 

10.原告の主張

 社内規定による給与等の扱い

1 NTTにおける病気休暇の場合、社員就業規則第48条が適応され、同91条に基づいて翌年度の定期昇給が減額される。

就業規則抜粋

48条 社員が次の各号の一に該当する場合は、当該各号に定めるところにより、その者に病気休暇が与えられる。

(2)  その他負傷し、又は疾病にかかったとき(第50条の公傷休暇及び第51条の通勤災害休暇の理由に該当する場合を除く) 医師の証明に基づき別表2に定める期間を限度として療養に必要な期間

91条 前年度の勤務期間中に病気休暇、通勤災害休暇、看護休暇、休職期間(組合専従休職及び留学休職を除く。)、懲戒処分及び無断欠勤がある社員の職能賃金の定期昇給は、別表3に定めるところにより、昇給額を減じて行われる。

2 しかし業務上の負傷、疾病については療養のため「公傷休暇」(同50条)が与えられ、定期昇給や特別手当のあつかいについては「その期間中通常の状態で勤務していたものとみなされる」(社員等業務災害付加保障規則第22・23条)ので定期昇給等の減額は行われません。 

50条 社員が業務上負傷し、又は疾病にかかったときは、医師の証明に基づき療養に必要な期間公傷休暇が与えられる。

社員等業務災害付加保障規則抜粋

第22条 定期昇給に係る第5条の公傷休暇の扱いについては、その期間中の通常の状態で勤務していたものとみなす。

第23条 特別手当および寒冷地手当の支払いに係る第5条の公傷休暇の扱いについては、その期間通常の状態で勤務していたものとみなす。

3 また「当該疾病が業務上か否かの認定は、所轄労働基準監督署長によりこれがなされる」(同第1条)と定められているので、「業務上」と認定された3人の定期昇給や特別一時金の減額は、当然の事ながら回復措置がとられるべきものです。

 

11.被告の主張

 被告NTT主張の基本点

1 被告NTTは原告の理を尽くした主張に対し「NTTに責任はない。手続き上に手落ちのあった原告に責任がある」との態度に終始しています

2 のみならず、「原告らが所属する通信産業労働組合においては、原告らが、けい肩腕障害に罹患した平成6年あるいは8年より相当以前より「けい肩腕障害」が労災であるとの立場から労働基準監督署あるいは被告会社(旧日本電信電話株式会社)に対し、「けい肩腕障害」が労災であることを認めさせるための運動を展開していたのであるから、原告らが労災申請以前において、「けい肩腕障害」が労災であると考えていたことは明らかであり、公傷休暇申請も可能だったのであるから、この点からも原告らの主張は失当である。」

3 さらに次のようにも主張しています。

「本件において、原告は被告の定める公傷休暇制度につき、原告のさまざまな独自の解釈を展開しているが、突き詰めれば本件の場合は、そもそも原告らが定められた手続きに従い、当初から公傷休暇願を提出し、更に原告米山については、休業補償給付請求をするなどの手続きを踏んでおれば、何ら問題は生じなかったことなのであり、原告らが当該制度を論難するのは自らの手続きミスを被告の責任に転化しようとしているにすぎないのである。(第2準備書面5〜6頁)

 

12.なぜNTTは回復措置を拒むのか

1 盗人猛々しいという言葉はまさに被告の主張のためにあります。

米山・鈴木・澤根の3人が、当時の浜松情案の職場で受けていた仕打ちを知るものなら、また余人にはなかなか判りえない「けい肩腕症害」からくる3人の痛みや苦痛を、少しでも知りえる者であれば、このような被告の暴言を許しておくことはできないでしょう。自らの責任を認めようともせず、被害者をなお苦しめつづけるNTTの恥知らずな企業感覚はどこからくるのでしょう。

2 NTTは情案合理化を推進する中で、利用者へのサ−ビス低下と情案労働者の労働条件切り下げに反対するという姿勢を堅持してこの合理化計画に反対する通信産業労働組合(通信労組)を嫌悪してきました。「けい肩腕障害」を発症した3人(浜松では3人以外にも「けい肩腕障害」に該当する労働者は数名存在しましたが)も通信労組組合員として、NTTの情案合理化と対峙してきました。

こうした彼女たちへの攻撃はすさまじく、全国的にも例をみない厳しいNTT浜松情案の労務管理政策の1つが「けい肩腕症」発症の要因になっています。

「業務上災害」と認定することは、施行中の情案合理化計画の見直しを迫られることにも通じかねません。こうした背景が労働基準監督署という公的機関が認定した「業務上」という結果を無視する行為に走らせていたものと考えられます。

3 NTTのこうした姿勢は「ごく普通の社会常識が社内ではまったく通用しない」ということを公言していることにほかならず、その後の51歳定年制の導入・企業年金改悪提案につながっています。蟻の一穴が堤防を崩すとのたとえがありますが、社員を虫けらのように扱い、利用者のための電信電話事業を放棄して反社会的な態度を貫き通す以外に自己防衛の道はないと考えているところに現在のNTTのさまざまな悲劇の根幹があるのではないでしょうか。

 

13.裁判長の和解打診

 当初一人の裁判長によって進められてきた審理は二人の裁判官による合議制に変わり、更に2004年7月16日の後半では。裁判長から「和解を考えませんか」という打診がなされました。裁判長の意見としては「原告が提出しようとしていた業務災害申請を会社側が受け付けなかったという被告の主張を、証人調べなどで確認していくと多くの時間が必要になり、解決が長引きます。もし双方に譲れる点は譲るという意向があるようなら、和解という形で早期解決をはかってはどうでしょうか。」というものでした。

この時点では双方が「持ち帰って検討」と言うことになりましたが、9月15日の公判では、双方が「和解の意思有り」との立場を表明して、和解に向けての動きが始まりました。

 

14.和解についてのたたき台案と原告の基本的立場

 

1 和解のたたき台になっているのは「労災認定された事実を被告が認め、減額処分等を回復し、解決金を支払う」というものです。この裁判長の提案を被告NTTは受け入れを表明しました。

本当に長い時間が必要でしたが、とうとう認めさせることが可能な条件が生まれました。

2 いつの時点まで減額措置を回復するかが次の問題です。原告としては最低「発症」時点までという立場を原則的に表明していますが、被告は「労災認定時」までと主張しています。その点については原告としても「やむをえない」という理解で今後を進めようとしています。

3 被告の謝罪も話しに上りました。しかしこの点は被告としては飲めない条件だろうという判断が働き、「同じような苦しみを味わう労働者を二度と生まない保障をさせる」という方向で確認されました。

 

15.裁判所が和解提案

 

 裁判長から3回目の裁判で、双方に和解の打診の打診があり、4回目の裁判で正式に和解の打診があり、双方和解の受け入れを表明して5回目から和解条項の協議に入りました。減額回復次期を何時にするのかで、原告側は発症時点にと主張しましたが、認定時点になりました。今後も今回のように、会社の意に沿わない労災申請で同じようなケースが出ないように、労災認定された時点で不利益をこうむらないように、就業規則に盛り込めと要求しましたが、グループ各社の同意を得るには稟議書を回して承認を得なければならないので時間が掛かるということで、原告らが定年退職を目前にしていることから、和解条項に盛り込むことで同意しました。被告NTTが和解条項の中で固執したのは、和解内容の開示に関する守秘義務でした。第3者に「勝った勝った」と言わないで、「特にビラでの街頭宣伝は困る」との主張でした。ただし「組合活動を規制するものではない」との確認で合意しました。

 

16.闘ってこそ道は開ける。

 

 けいわん発症から、労災認定、そして賃金減額措置の回復まで、11年間かかりましたが、NTTを始めとした大企業が憲法や労働法を無視した職場支配に一石を投じた闘いでした。

この正式和解の日は、原告米山さんの定年退職の日でもありました。原告の3人が「これからも私たちと同じような労働者が出るそれだけは許せない」との熱い思いが、金額はともかく和解条項の2を勝ち取る原動力となりました。原告を始めここに参加しておられ皆さんや、弁護団、通信労組、争議連、地区労連、県評、各支援団体などの力強いご支援とご協力が、NTTをして頼むから「勝った、勝った」と宣伝しないでと言わしめています。まさに闘ってこそ道は開けるのです。みなさんこの気持ちを持ってNTT11万人リストラ裁判に向けてがんばりましょう。

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