エピソード5:まーくつー
小浜の愛車はマーク2。色はワインレッド。シートカバーもワイン
レッド。大阪ナンバー。悪く言うと、あずき色。どこからみても族車だ。
最初は、シートカバーは白、フェンダーミラーで、ごくごく普通の車
だった。そこは小浜、ドアミラーとシートカバーを買ってきた。家の
近くで、早速作業。どう見ても、シートカバーは合わない、二人で
笑ったが、ずっとそのままだった。ドアミラーセット完了、あれ。
フェンダミラーが取れない。ワイヤーが切れない。う〜ん。小浜は、
暫く、族車に4つのミラーといういでたちでドライブしていた。細部に
こだわりがあるようで、お構いなしのところが小浜らしい。
エピソード6:まーじゃん
大学の頃は、よく麻雀をやって親睦を深めた。小浜は、大学3年
から本格的に始めた。皆がやっているので、仕方なく本格化した
のだ。もともと克己心が強い小浜、遅れを取り戻すべく、週3回の
徹マンを暫く実行したいた。そんなある夜、まだ慣れない小浜は、
少し熟考、そして牌をきる。元気者の小浜、歌を歌いながら、力
強く切るので、牌がバウンドして台から転げ落ちることもしばしば。
そのお店では、牌を窓から飛ばした男として伝説となっている。
そんなタフガイ小浜も睡魔に襲われ、盲牌しながら、そのまま寝
てしまった。どこまでも小浜らしい。
麻雀で小浜と言えば、南入。南の風に入るときに、いつからか、
「南にゅう〜う〜」と叫ぶようになった。他に客がいようが、どこだ
ろうがおかまいなしだ。卒業後にやったときは、声の張りがなく
なったと悩んでいた。小浜がいないとき、南入の声を聞きたくて、
夜中に電話。でも伸びのある声で応えてくれた。夜2時を回った
頃からは、留守番電話のアナウンスに入れてまでも期待に応え
てくれる、どこまでも小浜らしい。
エピソード7:すずか
大学3年のとき、一緒に鈴鹿にF1を見に行った。あいにく小浜の
チケットはなかったが、そこは豪快な小浜、東京を出発した。車
は小浜の愛車マーク2。6時間ほどで三重の私の実家に到着。
金曜日の予選を見に行った。そこで小浜、まず金・土の予選のみ
のチケットを購入。その後、ダフ屋をみつけて決勝のチケットを
交渉。当時F1人気絶頂、そんな時決勝のチケットをダフ屋から
定価で購入した。しかも予選チケットを渡して差額だけだ。どんな
交渉かというと、「ない袖は振れんといいますやん。おいさん。
貧乏学生、これだけでかんべんしといてえやあ」と普段は使わない
関西弁で交渉、ダフ屋も参ったという感じだった。
土曜日の予選終了直後から、明日の決勝に向けて並ぶという
異常な人気だった。我々は小浜を列に残して、家に明日の道具を
取りにいった。2時間後に戻ると、F1素人の小浜は、F1ブックを
読破し、ブーテェンは医師免許ももっているなど語りだした。
その夜、7時に開門、全員目指すは第一コーナ。我々は100番手
だった。ご存知のように、鈴鹿は起伏が激しく、第一コーナまでも
かなりの距離がある。一斉にダッシュ。私と小浜が2人でダッシュ
することにした。私も昔は健脚。暫く走ると、脱落者続出。小浜と
私はひたすら走る。最後の坂の手前で私は限界。あとは小浜に
まかせて息を整えた。私が30番手くらいで到着すると、あたりは
真っ暗で小浜の姿がわからない。すると、聞きなれた大声がする。
小浜が一番いい席を確保していた。なんと小浜は3人目に到着した
らしい。さすが池田市民マラソン優勝者だ(実話)。その優勝盾を
麻雀のチーチャマークに使用しようとしたら怒っていたが、知らな
い間に、灰皿にしていた。そんな剛脚小浜である。
エピソード8:いえろーさぶまりん
野球のOB合宿に皆で顔を出した。明日のOB対現役戦を前に飲み
会、小浜は、現役にも負けずがんばっていた。そんな小浜をみて、
4年生の子がさっき飲まされたから、今度は仕返ししてきますと意気
込んで、小浜の部屋へ、その彼が入るかいなかで、「はあ〜、
イエローサブマリン、イエローサブマリン」と金沢あきこ風のこぶしの
効いた合唱だ。その彼は、勇んでいったが、黄色いTシャツを着てい
たために、入った瞬間にイエローサブマリンと歌われ、何杯も飲まさ
れていた。宴会には小浜、一家に一台小浜といわしめた男だけある。
まだまだ話は尽きない。このくらいで終わろうと思う。
帰国後は大阪勤務となるようなので、また関西電力の小浜と会え
そうだ。カズと黄金のツートップ再結成だ。
つづく