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2005年7月27日(水)
ブログに引越し

 本日より、日記はブログのほうに引っ越します。

2005年7月25日(月)
 エアコン

 正確に言えばクーラーだろう、暖房機能は無い。10年ほど前、ここに越してきてすぐに設置した機種だからかなり古い、が、6畳間くらいの台所(キッチン)とその倍くらいある居間の両方を冷房するために、機能は大分と大きい。 妻の生前は寝室は二階にしていたので、帰宅して食事のあと、テレビを見るくらいの時間帯に使用していたので、急激に冷えるこの機種が良かったが、独り身になって、二階に上がるのも面倒になり居間で寝るようになって、困ったことになった。
もともとが寒さが苦手なので、28度に温度調整してあるにだが、調節機能が効かないのか、20、5・6度まで下がってしまう、しかも、放っておくとどこまでも稼動しているので、タイマー調整で2時間で停止するようになっていた。
今年は使い始めてから、具合が悪い、或る程度冷えるのは確かなのだが、時間がかかる、3時間、4時間、しかもガ・が・ゴ・ゴ、モォターが壊れたような音がする、昨日曜日はそれが頂点に来た、一日中、が−・が−、ゴー・ゴー、で、停めれば暑い、結局、夜中まで、スイッチを入れたり止めたりで、睡眠不足。
朝から業者にきてもらったが、不思議なことに、専門家が見ていると正常に機能する、店の機械と一緒だ、何回か来てもらっている間に原因が解る。
恐らくこのクーラーもそうなんだと思うが、電気屋の兄ちゃん、「調整のため、24度に温度設定をしておいたから、適度な温度に設定してください」、と言って帰っていった。
帰宅すると、ガン・ガン冷えている、一度停止しておいて、28度に設定しなおしたが、2時間のタイマーが半分の一時間も経たない間に体感温度は20度くらい、寒い、機械の指標は28度、 もう消そう、夜中暑くて眼を覚ましてしまうのが心配だ。

2005年7月24日(日)
 電話

 休日に限らず、家にいると、新聞の勧誘から、エアコン、風呂、トイレの清掃、屋根や、床下の点検まで、執拗に言ってくる。
断り方が拙いと2度・3度と掛けてきて、受話器を上げるまで、鳴り止まず、出ると、ツー・ツーに変わるのは本当に腹がたつ、病持ちで、日頃、ごろごろと寝ている身には結構応える。
今日は先ずY新聞、よう粘るは、近所の誼(よしみ)と云うけれど、なら言いたいわ、あんたとこの配達員の兄ちゃんたち、夜中に必要以上のバイクのおとを響かせて、睡眠の妨害してるんだよ、(商売だから、近所だから) 思って何も言わず我慢してるけど、かっちは精神安定剤の常用者になってるわ。
腹の虫が収まらないうちに今度は義兄からの電話、夏休みの旅行の話し、兄貴も一緒だと言う、一体なにを考えてるのか。
上の義兄が長年営んでいた、食料店を店じまいしたのは、4・5年前、手伝う、と云うより、その店の中心になって切り盛していた長女(私から見て姪)のことを頼みに来たのは先方からだ、亡き妻の身内とあって、丁重に扱った心算だ。
早くしごとを覚え、一日も早く独立してもらおうと、作業の順序を教えているのに、仕事は他の従業員に押し付けて、覚えようとせず、息子や嫁の経営の批判ばかり、 「冗談じゃない、自分の店は潰しておいて、例え従姉であれ、年上であれ、頼って来た身で、厚かましい」。 早く外に(独立させて)出してしまおう、とお思っていた矢先、義兄が別の職場を探してきて、引き抜いていってしまった。
あちらは、可愛い姪っ子のことだし、こちらは辞めてもらってほっとしたのだが、一方的にこちらを悪者にして出て行った
以来付き合いは殆んどしていない、身内の(といっても、上の義兄の妻の弟と言う、こちらとは殆んど関係の無い人の)葬儀の連絡があったので、れんらくを受けた以上、義理があるからと参列したが、甥や姪の挨拶は殆んど無しだった、それまでの付き合いからして、考えられないことだった。
それにしても腹の立つのは孝一義兄、あんたさえ口出ししなければ、なんとか上手くいく方法もあったものを、周りをめちゃくちゃにしておいて、当時は気まずかったのか、よりつかなかったが、義姉(彼の妻)が長年我が店に勤めている従業員と云うこともあって、近頃は平気で出入りしている、正直いって、あんたが来ると、金が掛かる、来て欲しくない、その場良かれの人生に巻き込まんでほしい。
この旅行にしても、兄貴夫婦が一緒なら、こちらは行かない、判っていて、余分なも揉事を持ち込まないで欲しいもんだ。

2005年7月23日(土)
 残念だなー。

 前に使っていたパソコンのように、機能全部が不能になり、棄却して、入れ替えたのと違い10日間の日記が飛んだだけだから、被害は少なかったけれど、おじいちゃんとしては、60年前の7月8月のこの期間は一生の間で、忘れることの出来ない体験だったので、孫たちにはぜひ読んで欲しいと思って、一生懸命想いだしながら書いた10日間だったので、残念だ。
思い出話しだから、また書けばよいとしても、結構労力が要るから大変だ。
それにしても、何処でどう、キーの打ち間違いがあるのか、判らんと云うのが厄介な話しだ。

2005年7月22日(金)
蜆(しじみ)

むかし、息子が子どもの頃、住んでいた町内会(六地蔵、札の辻町)では、夏の行事として町内全体が揃ってバスで水泳に行く一日があった。
場所は琵琶湖の東岸、新開浜に決まっていた、湖のことだから、その年によって、水面に上下の落差があって、岸辺の松林のなかに建つ休憩所でくつろぐと、眼の前に水面が迫っている年もあれば、大分と歩かなければ水辺に入れない年もあったりで、 「今年は水の心配は無いな」、とか 「水不足が心配だな」、とか話し合いながら、楽しい一日を過ごした、町内会行事と云うことで、老若男女みな参加することから、泳ぎと言うより、水に浸かって遊ぶ要素がつよく、腰くらいまでのところで足先で貝を探して採っていて、帰りのバスの中で、収穫した蜆(しじみ)の量を競いあうのも、楽しみのひとつだった。
その頃は瀬田川でも、しじみの収穫は結構あったらしく、自転車の荷台に籠を載せて、或いはバイクで、しじみを売りに来る人は結構いたのに、いつの間にか、その姿を見ることは無くなってしまった。

2005年7月21日(木)
困ったもんだ
過ぎたるは   こればっかりは
 
及ばざるとは 始終とねがう・。 
言うけ れど
誰にでも 
 他人に負けない
 とこがある

身長・体重
明るさ・ヤンチャ

 少女A,としようか、中学2年生、この子の持って帰った成績表がオール5、先生の所感にも悪いところ無し、両親や祖父母にすれば、おおいに誇れるところだ、だけど困るんだよなー、同世代の子供としては!、
子供の頃、兄弟7人、近所に住む従兄弟7人の中で、ある学年、或る先生の時に、全甲、を取って来た奴がいた。親にすれば、鼻高々、トンビが鷹を生んだと言うやつだ。
長兄の事なのだけど、周りの迷惑を考えず、親は常にこの子の尺度で周囲を見ていた、勿論、担任先生は、最高の先生、だけど、その先生って、全体を公平な眼で見ていたのかなー?、母の小言を聞く度に、心の中で思ったもんだ。 

当時も5段階表示で、(おでん<当時の田舎ではなかなか食べられない高級食>、(あひる)(へい、丁、ぼう、近頃死語になってるのか出てこない)、
ヘい、は内の上に横一(どっちにしても、屁だ)、(他人に使われる丁稚)、ぼう(立て一、ただ立っているだけで、なんの役にもたたないの意味。その子の将来が見通せる。
私に時は、国民小学校と体制も変わったので、優、良、可、と変わったが、特別良いのは、秀、悪いのは不可、があったらしいから、前と一緒。
 へいまたはが一個きり無いから、本人は意気揚々として帰ってくるが先例に全甲があるから、親に褒めてもらったことが無い、子供心にこんなの可笑しいよ、と思ったもんだ。孫たちには気を付けよう。