SAIKAI
02

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ラジオ放送の大方を終えると、どうしても戦闘班の安否が気になって居ても立ってもいられなくなる。ソワソワし出す俺に、向こう行って大丈夫ですよと口々の端に上った。それを簡単に鵜呑みにはしないまでも、タイミングを見計らって一度ここを抜けようと決める。そう決断してしまえば、今やっておくべきことに気が付いた。
大きく息を吐く。落ち着け。ここでの一手一手全てがキモだ。
情報の把握。共有。指示。
本来ここのポジションに収まっているはずだった男を思う。――ああはできない。だが、口惜しさより、俺なりの方法で同じ結果を導けば良いと割り切っている自分を自覚していた。
「ブレダ少尉、大総統補佐官のシュトルヒを確保したと報告入りました!」
フュリーが今一番待っていた情報を高らかに告げる。肩の力を抜いた。事後直後の情報操作はこれで良いだろう。今後の詰めはアームストロング少将と大佐次第か…。 
「ここは大丈夫です。一端、大佐たちの方へ行ってください。僕はここにいますから、何かあったら連絡します」
同じ状況を把握しているフュリーのタイミング良い言葉に頷き、背中を押される形で、今後の打ち合わせと経過報告にここを経つことにした。


瓦礫の山に、未だ噴煙が上がる大総統府。聞き及ぶ状況に何の違いもなかった。
半壊に近い大総統府の前には無数のテントが現在進行形で建てられていた。辛うじて瓦礫に覆われなかった場所には、青い空を反射する白い布で覆われた遺体が整然と並べられている。敵も味方もない。軍人たち。この事態を知って死んでいったものたちと知らないで死んでいったものたちの区別しかない。しかし、そうであろうがなかろうが、この国の未来は彼らの上に続いていくのだ。生き残ったものの一人としてその責任の重さを改めて感じる。新たに鬼籍に入った英霊たちに背筋を伸ばし、黙祷。誓うべき物事が多すぎて、まあ頑張っから、としか言葉が出なかった。
目を開ければ、遠くから、テント資材を抱えた、顔を見知っている北方軍が晴れやかな笑顔を浮かべて、大きく手を振っていた。
「ブレダ少尉! ご無事だったんですね。見かけねえからとっくの昔に逝っちまったと思いましたよ!」
「俺様は非戦闘員なんだよ。ラジオ、流れてただろ?」
マスタング班の重要なブレインに対して何を言う。うちは大将が生粋の戦闘員だから苦労すんだぜ!
「ラジオ? ああ、勝利宣言ですね。ほとんどライムラグなしに流れてくっから誰がしてんのかって不思議に思ってましたよ。ブレダ少尉でしたか」
もっと華々しくオレたちの活躍を話してくれればよかったのに! あまり残念がってもない調子で言う。その表情は明るい。機会があったらな。そう無責任なことを言ってやれば、また笑い声が上がった。
「そっちの女王さまはどちらにいる?」
「閣下か? さあ、先ほどは傷病兵の救出の先頭に立っていられたけど…」
号令が掛かれば、すぐに女王陛下の下へ駆けつける。それまでは自由裁量で好きなことをする。北方軍の性格はここ中央でも変わらないようだった。まあ、培った性格はそう簡単に変わるわけではないのだろう。そういう独自な性格は東方軍にも言えるかもしれない。その勝負強さを信じてはいるが、どこか心配を誘う大将。自分のやることをやれば、その動向が多かれ少なかれ気になるものだった。
「うちのは?」
「あー…、マスタング大佐は…」
少し表情を曇らせ、傷病者用のテント群を降り返る。滑って転んで頭でもぶつけたか。あの人は、全くこの忙しい最中に! あー、いいって。衛生班にでも聞くよ。そう礼を言って、一番人の出入りが多く、一際大きな天幕に足を向けた。


簡易ベッドが整然と並べられている。その隙間を縫うように足早にナースたちが立ち回っていた。その中で入れ替わり立ち代り慌しく動いている一角があった。その血臭が立ち上がっているベッド群を伺うと、そこの一つに横たわっていたのはうちの中尉だった。
「ホ、ホークアイ中尉!?」
頸部。鎖骨下? 首元からの出血が止まっていない。ベッド脇に立つ医師が、簡易ベッドに引かれた白いシーツの上に下に真っ赤に染まった多くのガーゼが投げ捨てる。周囲を見渡せば輸血の準備はまだされていない。普通の電解質の点滴が一本、左手に射されているだけだった。
「――ああ、ブレダ少尉。首尾は上々だったようね」
ちらりと向けられた視線。小さく頷く姿はいつもと変わらずに力強く鋭い。その中尉に、歳若いナースが鋭い声を上げた。
「喋らないで! 傷口縫いますから! ドクター、準備できました!」
その手の上のトレーには整然と手術器具が並ぶ。権力など通用しない勢いの若いナースとその器具たちのの迫力につい尻ごみしてしまった。
「だ、大丈夫なんですか?」
「ええ、私はこれだけよ」
「ホークアイ中尉、しゃべらないで下さい! あなたも後にして下さい!」
再三の注意に、ベッド脇に座っていた、ホークアイ中尉の友人のレベッカ少尉が肩を竦めた。その様子からも注意の怪我は深刻なものではないと知る。傷が首だから、ということなのだろう。胸に溜まった重いものを吐き出す。それだけで少し余裕が生じてきて周囲を見回せば、この人が怪我をして一番慌ててそうな人が近くにいなかった。
若いナースがドクターの指示で薬剤を取りに小走りでベッド脇から離れる。それを目で追ってから中尉が小さく苦笑して口を開いた。
「ブレダ少尉。私は大丈夫だから、大佐のところへ行ってもらえないかしら」
「はあ、どこにいるんですか?」
「近くのテントにいると思うのだけど。アームストロング少佐もご一緒のテントにいるはずよ」
「イエス・マム」
ベッドの隙間を小気味良く抜けてくるナースを視界の端に見つけて、そそくさとその場を立ち退いた。
相変わらず日差しは強く、空は青い。薄暗いテントの中にいたから外に出て一層そう感じることを理解していても、胸に迫るものがあった。うちのクイーンは大丈夫。無事だ。
「――よし。大丈夫。無事」
見上げれば、空の眩しさに耐え切れず素直に目を細めた。

さて、うちの大佐の方はどこにいるのか。また良い格好しいで何かの雑務に追われているのか。アームストロング少佐が一緒にいるなら、もうそれだけで目印になるはずだった。それに、あの人は単体で十分旗印になる人だ。立ち並ぶ同じ姿のテント群を見回せば喧騒が響くのみ。テント用の資材が届いた。民間人から食料の差し入れがきた。瓦礫の撤去。その撤去先はどうするんだ。
――それがぴたりと止まる。
くぐもった男の怒号。それだけなら喧騒の中に紛れるだけのことに過ぎなかった。
「マスタング大佐!」
その名を怒鳴りつけるか。忙しない人の流れがぴたりと止まり、戦々恐々とした視線が他と何の変わりもない一つテントに向けられ、その人の居場所を教えた。
「マスタング大佐! あなたは分かっておいでなのか!」
憤懣やるせなし。男の怒号は留まることを忘れたかのようだった。
「これは多くの命そのものなのです! これのせいで失われた命のために、これからあなたの全ての人生を全て賭していただく条件で、私はこれを譲ると言っているんですよ!」
恐らく、その話はこんな開けた場所でするものではない。多くの命そのもの。俺はそういう表現をされるものを知っていた。それを持っている人物も知っていた。生きていたのか。そう感慨に耽る前に動き出す。それに釣られるようにしてまた人が動き出し、喧騒が徐々にではあるが幾分戻っていく。相変わらずその興味の矛先は変わることはなかったが、睨みを利かせれば、ぎこちなくも僅かながら喧騒が引いていった。
この話のキモはその譲るというブツに違いない。だが、ここにいる多くの奴らにとってはそうじゃないだろう。うちの大佐に向かって、うちの大佐のこれからの人生全てを要求する交換条件なんかを上から提示しているということに単純に驚いている。

テントの前に立てば、相変わらず通りの良い、冷静さを失っていない声が耳に入ってきた。
「ドクター・マルコー。それは私が光を取り戻すことと同義です。彼は私の片腕なのですから。私は自分の視力を取り戻し、動かなくなった片腕もまた取り戻す」
賢者の石の製造に関わり、その現物を持つ医師。行方不明となっていた国家錬金術師がこの場にいること以上に思考が混乱する。光を取り戻す? 自分の視力を取り戻す? 大佐が言ってるんだから、大佐のことか。大佐が視力を失ったのか。あの戦いの最中に? 目が見えない軍人は退役させられる。
舗装が剥がれむき出しになった地面に写る自分の影がより濃さを増したような気がした。
――ああ、でも、ドクター・マルコーの賢者の石を使って視力を取り戻すって話をしてるのか。ドクター・マルコーの賢者の石はイシュバール人の命でできている。それをうちの大佐に使わせる気か。悪趣味極まりない。だが、もう大佐は使う覚悟が出来ている。視力を取り戻し、片腕を取り戻すと言っているんだから。なら、もう俺たちがどうこういう余地はない。ないのだろう。
「マスタング大佐。あなたはこの罪を誰かにも背負わせると言っているんですよ。本来ならイシュバールを経験した私たちが背負うものを!」
「マルコーさん。彼は私の片腕なのですから、私が背負うものを共に背負って当然なのです」
「…………」
沈黙。ドクター・マルコーの戸惑いを伺わせる沈黙だった。俺も沈黙する。大佐の、取り戻す片腕って誰だ? ヒューズ准将? そんなまさか。でも、あの人が自分が負うべきそれを共に背負わせて当然だって言うんだから、ヒューズ准将以外に考えられないんじゃ…。だけど、この人が人体練成をするってか? それこそ、そんなまさかだ。その当然極まりない思いが俺を行動を鈍らせた。立ち尽くす、無様にもテントの前で。
強い日差しがむき出しの首筋を容赦なく照りつける。鳥肌が立った背中を冷たい汗が伝って落ちていった。目眩がする。嫌なものが込みあがる。動けばそれが零れてしまいそうだった。
「ブレダ!」
俺がそこにいることを疑わない、当然のように掛けられる声。いつもの声に、身体が反射して、間髪いれずテントを捲くった。
薄暗い簡素なテントの中に佇む人。起死回生の将。
純粋な敬意が込みあがる。ぴたりと俺に向けられる視線には何の変わりもない。視力を失っていると知らなかったら、思いもしなかっただろう。その気持ちのまま、それを見えていないこの人に伝えたくて、珍しくも踵を鳴らして敬礼なんかをしてしまった。
「私を連れて行け」
「はっ! ――って、どちらに? 中央墓所?」
ヒューズ准将が眠る場所。つい思わず言ってしまえば、大佐が僅かに目を見開き、次いで頬を緩ませた。
「馬鹿者。ファーイーストに決まっているだろう。行き先はハボック雑貨店だ」
「――、っ!」
何しに? そんな疑問は生じなかった。
この人はあのハボックを自分の片腕と言ったのだ。
あのハボックに、自分が負っているものを共に背負わすと言ったのだ。
報われた。あの頭の悪い、ずっとテストというテストの面倒を見てきた、腐れ縁の親友の思いが報われたのだ。あのはた迷惑な奴の思いが。何ということだろう。思わず息を大きく飲み込んだ。
大佐がすっくっと立ち上がる。見えないという素振りすらなく。そのまま無謀にも歩き出すから慌てて駆け寄り、その腕を掴む。間違いなく転びますよ。そう言ってやれば、小さく肩を竦めて見せた。
「車を、用意させます」
俺の一言に笑う。この人には珍しく、伏せた目元でなく、口元で鮮やかに。

テントを出ようとした時だった。沈黙を保っていたドクター・マルコーが勢い良く踵を返す。まるで縋りつくように大佐の手を取り、堅く握った手の中の小さな赤い石を渡した。投げ捨てるように…。
「わ、わたしの言ったことを、忘れないで下さい…」
そして、大きく息を吐き出し、肩の力を抜いた。それだけで、文字通りの小男となった。
鋼の錬金術師27巻P143付近から。
2011/06/22