SAIKAI
01

大きく息を吐き出す。ほっとしているのだと思う。だが、目が見えないことが少し疎外感を際立たせた。皆は無事なのか。皆の怪我の具合は如何ほどだろう。身体を取り戻したアルフォンスは? 鋼のは? 
テント越しに聞こえてくる声は至極明るい。深刻な事態にはないことの証しだと自分にくり返し言い聞かせて、もう一度、大きく息を吐き出した。


行き交う足音が響く。体格によって足音が変わることは机上では学んでいたが、訓練を積んだ軍人といえどもこれほどまでに異なっていると今まで意識したことはなかったと思った。一定の規格内にある軍人であっても骨格や体重は同じではない。筋肉のつき方にまで言及すれば、むしろ同じ足音になると考える方がおかしいのだろう。
その様々な足音がこのテント前で一様に潜める。変わらず歩いていくものには、足音がふと止まり、その後は潜めて歩いた。誰かが、このテント前に詰めているものが、何かを伝えたのだろう。恐らく、私がここにいることを。
ここから動くなと連れて来られた際、声を潜めて、やっぱりここに誰かいないとダメだと言われ憤慨し大丈夫だとは言ったが、誰か居てくれているのだろう。確かに急な尿意や便意を催したら格好つかないので、この忙しい最中ではあるが正直ありがたかった。そして、こんな時までこんなことを考えている自分がおかしかった。
「――くくくっ…!」
息を潜めて笑う。どんな状況でもおかしければ笑える自分がいる。そう思えば目が見えないことぐらい些細なことに思えた。私には目が見えなくとも、私の目になってくれる仲間がいるのだから。
テントに響く喧騒が大きくなっていく。それは相変わらず明るい。敵が何かを知らずとも、誰もが強大な敵に打ち勝ったことを知っているということだ。心地良い。それを聞いていれば、肩の力が抜けた。――疲れた。まあ疲れもする。自覚すれば、言いようのない疲労感が襲ってきた。

喧騒をかき分ける大きな足音、歩幅。力強く踏み下ろす、軍靴を履いた大きな足。心当たりはアームストロング少佐。しかし、それでも踏み下ろす足音は彼の体重より重い気がした。それはすぐに解決する。
「アームストロング少佐です。申し訳ない。マスタング大佐。テントの隅を少々お借りしますぞ」
肩を貸して歩く、怪我を負った軍人と一緒なのだろう。少佐の声ではないくぐもった声がすみませんと謝る。
「私は座っているだけだ。使ってくれ」
私は迷子にならないようにここにいるだけなのだから、好きに使ってくれ。むしろ外にいようか? うろちょろせずにじっとしているよ。そう言えば、口々に礼を言われた後、口々にそれはやめてくれと言われた。疲れが増した気がする…。

風向きが変わる。テントの中にまで硝煙の臭いが漂ってきた。その中、微かに消毒薬の尖った臭いが混ざる。迷いなく、テントに張られた幕をかき分ける音。
「お? マスタング大佐?」
「――ノックス先生か?」
その声は偶々このテントの幕を開けたことを教えた。この混乱した状況の把握に至っていないのだろう。しかし、その声にずっと滲んでいた厭世観が薄れている気がした。
イシュバールでなくしたものは取り返せはしない。だが、新たに築くことはできる。ノックス先生も何か新たに築くことができたのだろうか。
「おう、えらい事になってるな。おまえさんもどっかケガしたのか? こんなとこにいて」
「目が全く見えなくなった」
「なんだってぇ!」
反応が真っ直ぐだった。常ならはここで毒の一つでも吐く人が。先生の抱えていた蟠りが氷解したことを察した。よかった。単純にそう思う。
「未来を夢見た者に真理が罰を与えた」
ふん。目が見えるから夢を見るとでも思ったか。目が見えなくなったぐらいで夢を見ることを諦めるとでも思ったか。
「――だとさ。鋼のがやったように自分の扉を通行料にできれば良いのだが帰りの通路がなくなる。この目はあちらに持って行かれたままもうどうにもならん」
目が見えることがそれほど大切か。私の目は見えずとも、私の変わりに未来を見据えるものがこれほど数多くいるではないか。むしろこれでいいのかもしれない。自分独りの力で何でも出来ると勘違いしないためには。
「目が見えん軍人は退役させられる! おまえさん、トップになるどころか…」
「うまいところはグラマン中将に譲るさ。あの人なら大丈夫だ。目が見えんなりに私にできる事を考えようと思う」
私はね、言うほどそれにこだわっているわけではないんだ。だから、そんなに深刻になってくれるな。背後にいる、息を飲み、言葉を探してはそのまま何も発せずにいるアームストロング少佐。診せてみろ。そう言ったそばからああ、そういうんじゃなかったかと口を噤んでしまったノックス先生。
沈黙のテントの中、テントの外に意識を向けた。ノックス先生に遅れるようにしてもう一つ足音がこのテントに向かっていた。潜めるように。足音を立てないように。周囲を気にして歩く。自分が小石を弾いた音に動揺して次の一歩が大きくなり、それを反省するようにすり足で歩き始める。その足音はテントの中には入らず、じっと震えるように衣擦れの音を立てながら、止まっていた。明らかに軍人ではない足音。その人物をなぜノックス先生が同行している? じっとテントの外に顔を向けていれば、ノックス先生が頭をガシガシと掻いた。
「――ああ、そうだ。さっき街でおもしろい奴に声かけられて連れて来てるんだ。おい、ちょっと、マルコーさん!」
「マルコー…」
聞いたことがある名前。というか、つい最近までその行方を捜しては居なかったか!
「ドクター・マルコーか!」
恐る恐るテントに踏み入れ、内ポケットを探る衣擦れ。そこに何が入っているのか分かっている気がした。無数の命の塊。拭うことはできない罪の重さ。
それがまた目の前に差し出される。
言いようのない目眩と嫌悪感が湧き上がった。
鋼のは己の誓いを貫いた。賢者の石は決して使わずに身体を取り戻すと。そうだ。君たちはこの罪に触れてはならない。触れようとしてはならない。それを諦めてはならない。そして、それを貫いた。輝かしい。自らの知恵と諦めない思い、仲間との信頼。泥の河から自力で這い上がったのだ。
賢者の石と引き換えに提示されるイシュバール政策。目が見えずとも生きて行ける。目が見えずとも、イシュバール政策は行える! 貴方の罪まで背負えない! そう言って、それを拒否できるものなら良かった。
『死から目を背けるな。前を見ろ。忘れるな』
そう言ったのはキンブリーだったか。
死して甦ることはないのだから、その死は幾ばくかでも報われるものであってほしい。そして、その死を報われるものにするかは生者の行いだ。私にとって、死から目を背けず、前を見据え、忘れないとはそういうことなのだ。細く息を吐く。それは随分長いものになった。
「そうか…。貴方もまたイシュバール経験者だったな」
賢者の石はドクター・マルコーにとって己の犯した罪の塊であり、切り札だった。それを誰かに託す。それが彼にとっての前の見据え方なのかもしれない。
「約束しよう。全力を尽くす」
貴方がそれで良いと決めたのなら、それを受け入れようではないか。貴方の罪まで。右手を差し出せば、縋る勢いで両手で握られた。

テントの外で喧騒が割れる。また重いものが、今度は軽い足取りで向かってくる。一直線に。軍人の足音。ブレダが行うべきを行い、戻ってきたのだろう。その弾んだ足音に出来は上々だと知る。
「――ああ、そうだ。私が視力を取り戻す前にしたいことがあります」
「は?」
「半身不随の部下の怪我を治さなくては」
視力を取り戻すために賢者の石を使ってしまう前に、少々この力を借りておかなければ。手合わせの練成でならこの私でもあいつの脊髄を繋げることができるはずだ。
途中まで汽車を使うか。それとも車を使った方が確実か。ブレダに尋ねようとした瞬間、
「マスタング大佐!」
ドクター・マルコーが激怒した。
その感情が渦を巻き、この暗闇の世界まで震わせる。恐らく、元々感受性が豊かな方なのだろう。私の言葉を反芻し、耐え切れなくなったのだ。
視力がなくなり世界は暗闇となったが、全く何も見えないということはない。見えなくなって分かることは多い。
耐えられないとばかりに声を震わせ、顔を顰め、ぐっと拳を握る、筋肉がしなる音すら聞こえてきそうだと思った。
「これは多くの命そのものなのです! これのせいで失われた命のために、これからあなたの全ての人生を全て賭していただく条件で、私はこれを譲ると言っているんですよ! 分かっておいでか、マスタング大佐! あなたはこの意味を分かっておいでか!」
貴方こそ分かっているのか。私は今までもそれに全てを賭して生きてきた。既にその覚悟など付いているとこを分かっているのか。
「ドクター・マルコー。それは私が光を取り戻すことと同義です。彼は私の片腕なのですから。私は自分の視力を取り戻し、動かなくなった片腕もまた取り戻す」
「マスタング大佐。あなたはこの罪を誰かにも背負わせると言っているんですよ。本来ならイシュバールを経験した私たちが背負うものを!」
「マルコーさん。彼は私の片腕なのですから、私が背負うものを共に背負って当然なのです」
「…………」
沈黙。戸惑いの沈黙だった。
ドクター・マルコーは医者であり、長い逃亡生活の中で片腕と呼べる存在を持たなかった。故に、今言ったことは理解の及ぶことではないのかもしれない。だが、彼は自ら知らないものを理解しようと努めていた。くり返し汗を拭う。


「ブレダ!」
間髪居れず、捲られる幕。テントの前でぴたりと止まっていた足音から、聞き耳を立てていたことは知れた。テントの中の状況も十分把握しているだろう。私の視力が失われていることも。珍しく踵を鳴らして敬礼なんぞする。私に見えないことを承知で。
「私を連れて行け」
「はっ! ――って、どちらに? 中央墓所?」
中央墓所。ヒューズが眠る場所。さっさと死んでしまった奴を揺すり起こしてたっぷりと愚痴ってやるのも一興だ。思わず頬が緩む。
「馬鹿者。ファーイーストに決まっているだろう。行き先はハボック雑貨店だ」
ブレダが大きく息を飲み込んだ。動揺しすぎだ。挙句、それを隠しもしないとは。見えなくとも分かることは実に多い。それに気付かないとはお前もまだまだだな。
いや、私の目が見えないと知っているから、こんなにも素直に感情を顕わにしているのか。今まで私が人の機微に疎かっただけなのだろうか…。
立ち上がれば、ブレダがたった数歩の距離を慌てて駆け寄り、腕を掴む。そして、言葉もなく固まっていたドクター・マルコーがその手を私に差し出した。赤い石を握った手を。
鋼の錬金術師27巻P143付近から。

ハボロイプチオンリー「サイカイ!!!」で配布させていただいた企画のペーパーが、
正直時間がなくて自分のネタメモから一部抜粋で書かせていただいたものでした。
実にお粗末で申し訳ありません。
なんとか体裁を整えたくて必死でした>< 
ということで、その長いバージョンをアップさせていただきます。
これの用意をしていてスパコミのご挨拶が遅れました。すみません

2011/05/14