あの人に時計を贈ろう。
と、決めたのはいいが、いつ、どんな時計を贈ればいいか。早速、難問にぶつかった。まあ、どう足掻いたところで、からかわれることは間違いないんだけど。
一応、オレもオレなりにプライドがある。
以前、オレの贈った時計があの人の手首を飾ったらという想像をしてから、どうもそれが頭の中に残ってて、なかなか消えることはなかった。しかも、今は、街の中がクリスマスの装飾に彩られていて、あの人に時計を贈るならこの機会を逃がしちゃならないとまで思えてしまう。何でもない平日にはいとプレゼントをあの人に渡して平常心でいられるほど手馴れているわけでもないから。
クリスマスに、あの人に時計を贈る。―――うん。それなら、オレでも、何とかなるかも。
あとは、どんな時計を贈るかだ。しかも、オレの薄給で‥‥。
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01.
定時上がりの帰り道、ちょっと試しに寄ってみた時計屋で、オレが買えそうな時計を物色してみた。プライベートのときに付けてもらいたいんだから、そんなに高級なものである必要はないとか思っていたけど、安い時計は(オレとしては決してそんなに安いというわけではない)、あくまでも安い感じだった。そんでもって、この手の時計は大佐の手首にはしっくり行かない‥‥。
オレは意を決して、おそるおそる高級時計のコーナーに歩み寄ってみた。途端に、そのコーナーに立っていた店の人間がにっこりと笑みを浮かべる。
――うっ。近づけねえ‥‥。
その店員は、思わず足踏みしたオレから視線を外さずに、近寄ってきた。
「お客さま、どういったものをお探しでしょうか?」
「あっ、あの、見っ、見てるだけなんで‥‥」
軍服を着ている以上、強盗とか思われているわけじゃないことは分かっていても、ひどい動揺が湧き上がって、声が裏返った。
「――では、ごゆっくりどうぞ?」
店員の笑みとその言い方に、冷ややかなものを感じるのはオレが田舎者で金を持っていないからだろうか?
そんなことないと、やさしく言ってくれる人はその時誰もいなかった。
こんな時計つけてそう。
そう思った時計は、オレの給与の3ヶ月分を余裕で超えていた。何回も目で値札の丸の数を数えても間違いなく、背中を冷たい汗が流れ落ちた。
もしかして、オレは何気にスゴイことをしようとしてんじゃないか‥‥?
走って店を飛び出したい気持ちを抑えながら、店員に笑顔で礼を言ってゆっくりとドアを開けて店を出た。幾分、卑屈な気分で。
―――でも!プレゼントは愛だよ。愛。金額じゃねえって!
何とか気持ちを奮い起こして、早く、自分が買える時計を探さなければと、姿の見えない敵に闘志を奮い起こした。
クリスマスが迫っていた。
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02.
何が何でも買うと決意が決まってしまえば、時計屋だって貴金属店だって堂々と入った。しかも、クリスマスがすぐそこだったから、オレと同じようにあんまり金を持ってなさそうなヤツらが真剣にショーケースの中の値札を睨みつけてて、案外、店員の視線を気にせずいられた。
とにかく時間がなかった。
翌日、いつものように遅めの昼食を取るべく司令部の食堂に行くと、そこにはいつもは要領よく定時には食堂に来ているブレダがいた。今後の出費のために、最も安い定食のプレートを手に、オレはブレダの向かいに座った。
「珍しいな。遅いんじゃねえの?」
「いっつも、上手く抜けられるわけじゃねえぜ?」
食堂に来る時間が遅くなると碌なものがないと小言を漏らすヤツが売れ残りの定食を上機嫌に食べながら、にやついてオレを見上げた。
「受付のキレイどころに呼び止められたのさ」
東方司令部の女性の9割9分は、まず、間違いなく大佐に好意を持っていた。特に、キレイどころが揃っている受付の女性たちはマスタング親衛隊を名乗るほどだった。彼女たちは、全く守備範囲外の野郎どもから交際を申し込まれたとき、一様に大佐の名前を出して断る。そうすれば、少なくとも彼女たちには後腐れなく、ことが運ぶ。権力は偉大である。しかし、大佐は大いなる恨みを買っていたが、彼女たちも大佐も、そんなことは全く意に介さなかった。
マスタング親衛隊の活動は主に昼食の後に行われていた。昼休みの時間にこれでもかと野郎どもで混んでいる食堂で、まるでここはどこぞのカフェだといわんばかりに、ランチの後にコーヒーを飲みながらおしゃべりをする。大佐を美女たちが囲んで。ごっきげんな大佐が東方の野郎どもから過剰な恨みを買っているのは当たり前のことだった。
ブレダはにやにやと機嫌よく笑う。
「彼女たちにとって、大佐は嗜好品の1つに過ぎない。ハボック。女性の持つ、俺たち男にはとうてい理解できない優秀な頭がはじき出す答えは、いつだってみんな同じなのさ。あんなのに本気でイレ込んだら痛い目を見る、だ。わかるか?あの人は東方の男という男に恨まれるほど、モテる。だが、あの人に本気でぶつかって行く気概のある女なんてそうそういねえ」
そういう気概のある女性は、今のところホークアイ中尉だけだろう。中尉の日々のストレスを見てると、大佐とは適度に付き合うのがベターだと誰だって思う。
「あー、苦労しかしねえよな。うん」
「お前の口から聞くと、趣き深い」
ブレダは持っていたスプーンで、オレを指して言った。
まるで、お前のことだと言わんばかりに。
「まあ、んで、彼女たちは、退屈な日常を打破するために、大佐を娯楽にする。――そんな堅実な彼女たちがお婿さんにしたい仕官は別にいる」
「何が言いたいんだよ?」
いい加減よく話が見えなくて、昼飯が冷めてしまう前に口にかっこむ。今日こそオレは時計を買う。いよいよ‥‥。そのためには、まず定時にあがらなければ。
「彼女たちに聞かれたんだ。ハボック少尉はどなたと結婚されるのですか、とな」
「‥‥‥げはっ!」
あまりに予想外のことを言われて、マズイ飯が気管に詰まった。むせかえて苦しむオレに、ブレダが余裕綽々に水の入ったコップを寄こした。
「お前が昨日、貴金属店を回って、真剣な顔をして指輪を見てたって聞いたぜ?あれはプロポーズする気に違いないってさ。お前は、エンゲージ・リングを探してるって噂が立ってるぞ」
ブレダはにやにやしっぱなしだったが、オレは、そんなの寝耳に水だった。
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03.
ハボックは思い当たるフシがあるんだろう、その顔が憮然としたものに変わっていった。
確かに大佐に比べれば、コイツはまだ御しやすそうに見えるんだろうが、それでも十分イレギュラーで扱い難い。そもそも南方から、この東方に左遷ばりに異動してきた経緯を考えれば明らかだろう。ハボックは今ここ東方で人生最大のモテ期に入った。絶対、南方ではこんなにモテはしなかったハズだ。
以前、東方司令部の女性仕官たちだけに出回ったアンケートで、ハボックはお婿さんにしたい仕官の上位にランクインしていた。ちなみに、大佐はセクハラしたい上司1位だった。他の追随を許さないほど。これは男として喜ぶべきことなのか悩むところだが。
年上の美人女性仕官たちに、こいつがかわいく見えるというのはわからないわけではない。あの大佐の後ろをわんこよろしく付いて回って、ケチョンケチョンに貶され、理不尽な八つ当たりを受けても、実に納得しきれない顔で、それでも大佐を探して回っているのは、この東方ではいつもの光景だった。そんで、背も高く、ガタイもいい。ヘビースモーカーだが、マメに家事をしそうなところもポイントを手堅く稼いでいる。
大佐が絡んだことに関して、こいつは実に分かりやすい奴になるから、こいつのこういうことを見て、素直そうと思う女が多いんだろう。だが、普段のこいつは、茫洋としてて、掴みどころのない、何を考えているのかわからない(何も考えていない)奴だ。
その上、大佐や中尉、ヒューズ中佐が認めるほど、ずば抜けて戦闘能力が高い。そして、ウチの大佐の下にいる限り、その能力をフルに使う機会は山のようにあるだろう。
つまり、俺はこいつを危ない奴だと思っている。誰の目にも明らかな危ない人である大佐の陰になって見え難くなっているが。――お婿さんにするには難アリだろう。俺の方が適材だ!と心の底から叫びたい。
「――ブレダ、金、貸してくれ‥」
いつの間にか眉間に皺をよせていたハボックが、そう唐突に言った。
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04.
そんな噂、今はどうだっていい(いや、よくないんだけど)。昨日の行動の一部始終がこうまでバレてしまった以上、大佐の耳に入るのは時間の問題で、遊ばれることになるのは決定だ。勢いづいていた気分が一気に萎えてきた。―――ならば、せめて時計ぐらいは贈りたい。
「オイオイ、いきなりな奴だな。なんだよ。金が足りなくて買えなかったのか?」
足りない?――もともとオレは、大金なんか持ってねえんだよ。
「ついに、エンゲージを贈るのか?」
大佐に。あえて、伏せられた言葉が聞こえてくる気がした。
「違う」
エンゲージなんかじゃねえし。ただの時計だ。
「――それじゃないといけないのか?」
「‥‥‥‥いや、そういうわけじゃないけど、何か高いのがいいような気が‥‥」
お互い、月々、いくら貰っているか知っているブレダが思わず目を見張る。驚くな。お前はオレが月々いくら減俸されているか知っているだろ。昨日、いくつもの店を回っていろんな時計を見てたら、だんだんよくわからなくなってきたオレは、高いものにしとけば間違いがないように思えてきてた。
「金持ちに、高級品をプレゼントするのか?チャレンジャーだな。で、ちなみに、いくら足りないんだ?」
「――120万」
120万でも足りない。昨日見た時計の中で、一番大佐に似合いそうだった時計は。何をしたところで、オレには買えそうもない。でも、実は、その時計を見てから、もう、その時計しかないんじゃないかと思えてた。挙げ句の上、あれが買えないなら、時計は贈れないような気がしてくる。
「大佐に分割で借りたらどうだ?あの人ぐらいだろ?お前にポンと信用貸ししてくれんの。それに、どうせ大佐のものになんなら、あの人から借りたらいいじゃん」
大佐に面と向かって金を借りたら、10日で倍になる。
そんな一生をドブに捨てるマネができると思ってんのか。
「あー、くそっ!お前に金の話をしたって無駄なのに‥‥。どうしよう‥‥」
「お前、100万以上のもの贈ったら、ものは何であれ、エンゲージ以外のなにものでもないんじゃねえのかよ‥‥‥」
ハボックはかなり俺に失礼なことを言って、辛気臭く黙り込んで、自分の世界に入り込んでしまった。もはや、何を言っても聞こえないだろう。しかし、まあ、贈る相手は大佐だが、これを上手くぼかして、密やかにかつ確実に噂を流せば、東方司令部内のハボックの人気はがた落ちだろう。――よし!
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05.
どうしようかと迷いながらも今日の仕事が無事に終わって、オレはありったけの金を持って、あの高い時計を売っていた店に行った。が、しかし、その時計はショーケースから姿を消していた。――売れてしまっていた。
分割で買えないかなとか思って、持っている金、全部かき集めてきた貧乏臭いオレにその時計を買う権利はそもそもなかったのだろう。
オレは、大佐の存在を一際遠くに感じながら、その店を出た。
この日もいろいろ店を回ったが、結局、時計は買えなくて、おめおめとクリスマスイヴを迎えてしまった。
激しい落ち込みを感じながらも、司令室の扉を開けたら、いつものように大佐が自分の席に座っていた。東方へ来てから24日、25日は、東方や中央の有力者たちとの会食やパーティを渡り歩いて、朝っぱらからいなかったのに。
何もこんな時に、こんなチャンスが訪れなくてもいいだろう。
つくづくオレはついてない。
「大佐、24日、仕事なんスか?」
大佐の机の上にはすでに書類の山ができていた。
「――そうだ。嘆願されたのだよ。モテない自分たちは、この日に人生かけるつもりです、とな。まあ、私はこの日に特定の女性と過ごすと、たくさんの女性を泣かせてしまうこともあって、ちょうどいいから、たまには部下のためにクリスマスをここで過ごそうと思ったのだ」
そう言われて、司令室を見回すと、確かにブレダの姿はなく、至るところで空席が目に付いた。ブレダに人生をかける女がいたなんて知らなかった。
「モテない男性たちにクリスマスに時間をやるかやらないかを賭けたチェスで、ブレダ少尉に負けたのよ」
ホークアイ中尉が更なる書類を腕に抱えて持ってきた。そして、容赦なく、すでに20センチを越えている大佐の机の上の山に重ねる。大佐がほんのわずかに非難を込めて、中尉と声を上げたが、チラリと中尉に視線をなげられ、大佐は引き攣った笑いを浮かべて、口を噤んだ。
「ハボック少尉、指輪は用意できたのかしら?」
ホークアイ中尉の言葉に、大佐がさっきとは打って変わって人の悪い笑みを浮かべた。
やはり、昨日、ブレダが言っていた噂はちゃんとこの人たちの耳に入っていたのだった。その上、この人たちは、オレが今、誰と付き合っているのか知ってて、エンゲージリングなんか買うことはないことをわかってて、あえて、こういうことでからかってくる。本当に性質が悪い。
「あー、いや、そうじゃないんスよ。田舎の妹たちに頼まれて‥」
「120万もするものをか?一体、何人、妹がいるんだ、お前は?」
結構いるんですよ。
田舎は血がつながっているかいないかなんて、大したことじゃないんで。
「――噂に偽りアリですね、大佐」
「ブレダが流したのだろう。奴が流す噂は嘘と本当が混ざっているから性質が悪い。――しかし、ハボックに女性にジュエリーを贈る甲斐性があったとは驚きだ」
「妹っスよ?」
「妹でも女性であることに代わりはない。しっかり選びたまえよ」
「‥‥‥はあ」
自分で言うのもなんだが、妙に説得力のあるとっさの言い訳のおかげでそれ以上の追求はなかった。
「では、少尉はクリスマスに人生を賭ける気はないのなら、大佐と一緒に仕事しててくれるかしら?」
「あ、はい」
全く構いません。むしろ、仕事でもクリスマスに一緒に過ごせるのなら万々歳です。
「あー、中尉は?」
「私は、今日、人生を賭ける気はないのよ?」
「中尉は今日、休みなんだよ。もう、帰るのさ。これは、以前から申請されていたんだ」
「全くもって迷惑ですね。司令室でクリスマスに休む者が、その日に人生を賭けていると思われたら」
「だから君は私を応援してくれたのか‥‥」
その目が当たり前ですと言っていた。
今日、夜通し仕事をするなら、大佐と25日に休みをとることができるはずだけど、俺はまだ何のクリスマスの準備ができてなかったし、それをする時間もなくなってしまった。さらに、嘘も方便で言った妹たちへのプレゼントががぜん真実味を帯びてきた。
大佐に贈ろうと考えていた時計の予算を田舎の家族たちへのプレゼントに代えて、すっきりしちまうのがいいのかもしれない。――んで、大佐んとこで美味いワインでも飲ませてもらおうか。
これがオレの身の丈にあったクリスマスなのかもしれない。
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06.
昼を過ぎた頃から、司令部への電話の数が増えてきた。それは、街がクリスマス賑わっている証拠だった。
夜半過ぎ、東方司令部がここ数日間、街中に設置していた簡易出張所のようなテントに、大佐と街の様子を視察に行った。
何かと慌しく、ホークアイ中尉不在の司令室内にいるのに限界を感じていた大佐が、視察視察視察視察視察‥と言い続けた。あまりにもうるさくて、これ以上仕事の邪魔をするなと、1人寂しい野郎どもから大佐と一緒に外に追い出された。日頃のサボリ方を知っているオレとしては、今日の大佐はとってもとっても頑張って、周囲の了承を得て公認のサボリを勝ち取った。子供の駄々をこねまくって、ようやく外出を許された大佐のほっとした笑顔を見ると、なんとも情けなくなった。
「やはり、同情してチェスで負けてやるんじゃなかった‥‥」
華やかな街の雰囲気に、前を歩く大佐の口から、冷えた外気に白くなった息と共にぽつりとこぼされた。
思わず、笑うのを堪える。ここで笑ったら、へそを曲げて、街の中で護衛をまくようなマネをする人だ。時計は買えなかったけどクリスマスに、仕事とは言え大佐と一緒で気分が浮上してきた。
大佐が近道と称して裏路地を行く。この人は下手したらそこらの下士官よりもずっと裏路地に通じていて、足に迷いがなかった。オレが一緒だから、そんなに複雑なとこに行かないという感じすらあって、ちょっと不気味だった。
その時、路地の向こうに店の明かりが目に入った。――銃器、オートメイルパーツの店だ。
とびっきりの、いいアイデアが浮かんだ。
外に設置していた司令部のテントに着くと、オレは中に待機していたヤツらに大佐のことをくれぐれもと頼んでさっきの店に走った。
思いついたのは鋼の大将のことだった。大将は自分のオートメイルを練成して武器にする。――時計は身につけるものだから、もしもの時に役に立つのかもしれない。あの人は錬金術師なんだから。練成材料になるような時計があったら、普段、時計をしないあの人でも身に付けていてくれるだろう。きっとそれはあの人の窮地を救うハズだ。そういう時にいつもオレが隣りにいれるわけじゃないんだから。
あの人に贈る時計が欲しい。
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07.
その店が視界に入ったとき、まさに店主が店を閉めようとしていた。
「すみません!!」
あらん限りの声で叫んだら、その店主は驚いて振り返った。オレの顔に浮かぶ必死さを読み取ってくれたその店主は、笑みを浮かべて店の中に招き入れてくれた。
「おそらく、勤務時間中であるだろう軍人さんの行動に敬意を表して。まあ、うん。クリスマスだからね。誰もが寛大だろう。さて、何を探して走ってきたんだい?」
その言葉に自分が軍服だったことを思い出した。これじゃあ、立派なサボリだ。だけど、店主はあまり気にした素振りもなく、いたずら好きそうな顔でオレの答えを待っている。
「時計を。時計ってないっスか?」
「――ここで時計を買う気か?若いの!」
下にずり落ちたメガネを、店主はかけ直して、えらく驚いた。
街の中では時計を売る貴金属店が一年中で一番客が入る日で、ここは時計を売っている雰囲気は微塵もない。でも、オレが欲しいと思う時計は街の時計屋にはなかった。
オレは頷いた。
店主は不思議そうにオレの顔を見てから、背筋を正し、真剣な面持ちになった。
「ここは時計屋ではない」
そう。ここは武器屋だ。
「この店のどこに時計があるように見えるのかい?」
ちょっと怒らせたかなと思ったのはほんの少しだった。
店主がいつの間にか、実に、楽しそうに笑っていた。
「でも、お前さんはこの店が売るような時計が欲しいと思って、わざわざ仕事を抜け出して走ってきた」
そう。だから、大佐のようにサボってここに来た。
「――そこに座ってなさい。なに、時間は取らせないよ」
店主はレジ前のカウンターに置かれたイスを指差し、破顔一笑して店の奥に入っていった。
その店主は、確かにすぐ戻ってきた。手に貴金属を入れるような薄い革張りのケースを大切そうに持って。
「ついに、私の道楽が日の目を見るようになろうとは。これこそ、クリスマスプレゼントというものだ!」
そう言って、カウンターの上で開けられたケースの中には、リストウォッチが並んでいた。その時、オレは自分の考えが間違っていないことを確信した。
店主は嬉々として問う。
「今のところ、ステンレス鋼とセラミックス、そしてファインセラミックスの3種類のリストウォッチしかないのだがね」
その3種は全部聞き慣れたナイフの素材だった。ナイフの素材は耐久性の面を別にすれば、加工しやすい硬質な素材はほぼ全て使える。一般的にナイフの素材といえばステンレス鋼だが、ステンレス鋼と一語で言ってもその種類は多い。オレの持っているものもほとんどがこれで、さび難いていい素材だけど、研いだ時にバリが残りやすく、上手に研ぎ辛いことが難点だった。
セラミックスは今、ナイフの素材で注目されている素材だ。耐熱性は高いが、熱衝撃破壊を起こしやすい。しかし、ステンレス鋼より軽い。そのセラミックスの中でさらに誘電性などの面で高機能性をもっているのがファインセラミックスだ。
でも、オレが考えてんのは使い捨てのナイフだ。研ぐ必要も錆びることも考える必要はない。あの人の無茶に耐えられることが大前提なのだ。熱衝撃破壊を起こすことより、――急激に熱して、急激に冷やす状況よりも、高熱の中で使う状況の方が多そうなことが簡単に思い浮かぶ。
ならば、耐熱性に最も優れてて、高機能を持つものがいい。用途に応じて、何にでも練成できるように。
「重さはどのくらいありますか?」
ファインセラミックスで最も重いものがいい。大切なのは量だから。きっと。
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08.
この店だからこその時計を作りたい。
時計職人になりたくて家を出た。でも、そう簡単にはなれなくて、結局家業を継ぐはめになってしまった。――だけど夢は捨てられなかった。いつしか私はこの店だからこその時計を作りたいと思うようになっていった。
作る時計はとてもシンプルなものにしようと思う。そう、私が作る時計だから。
この時計は装飾など必要としない。
だが、誰が見ても時計以外のものに見えてはならない。
そして、本来のものから不必要なものを何一つ増やすわけにもいかない。
――質量は保存されているのだから。
しかし、今までこの考えに理解を得られることはなかった。
誰にもこの店のこの時計の存在に気付いてもらえなかったら、私は自分の夢に挫折したことを知るだろう。そう思って店を開けた。奇しくもこの店の主になって50年目のこの日、しかもクリスマスイブ最後の客が私に大きなプレゼントをくれた。
私は若者の望む、最も体積のある時計をその大きな手に渡してやった。
その若者は手の中のその時計をじっと見ていた。そして、目元をほころばせ、左手に持った時計のエッジを右手でゆっくりと撫でる。
その様子に、私は言い知れぬ満足感、充足感を感じた。
彼はこの時計を、私が作った時計を、これ以上ないほど優しく愛撫している!
私は人の愛を得られるものをちゃんとこの店であっても作れたのだ。
50年、私があきらめなかった思いが報われた瞬間だった。
その様子をもうしばらく眺めていたかったが、彼は仕事を抜けて来たことを思い出した。
「さて、どうするかい?」
私の言葉に、はっと若者が顔を上げた。そして真っ直ぐに私を見た。
私は私のお客さんの第一号に大いに好感を持った。素晴らしい。好青年とはまさに彼を体現する言葉だ。そんな彼が私の客であることに満足を覚えた。
「ファインセラミックスの含有量はどれぐらいですか?」
そんなことが気になるのか。私は心の底から生じてくる笑いを堪えて、胸を張って言った。100%だと!
若者は力強く頷いて、この時計を下さいと言った。
その言葉は、私が待ちに待った、50年越しの言葉だった。
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09.
その時計はあまりにシンプルだった。
確かに時計以外の何ものでもない。
繊細さはカケラもなく、機能的で、無駄なものが何1つない。
力強さはあるけど、野暮ったさはない。
無駄を全て排除したものはここまで美しいと思わせる時計だ。
高級時計を見続けたオレにとってそのシンプルさはあまりに新鮮だった。
この時計の存在自体がオレにとっては奇跡のようであり、遊び心に満ちているものだった。
そう、案外、あの人の手にはこういう時計が似合うんだ。
オレが知っているロイ・マスタングはそんな人だ。
繊細でもなく、装飾に満ちているわけでもなく、高級なものでできているわけでもなくて、でも、その存在自体が奇跡のような人なんだ。
やっと自分が探していた時計に出会えた気がした。
「さて、どうするかい?」
穏やかな店主の声に我に返った。オレは今、大佐を散歩に連れてきてたんだった。こんなところでのんびりしている時間はなかった。そして、もう、この時計を誰かに渡すことはできなかった。これがいい。これしかない。
「ファインセラミックスの含有量はどれぐらいですか?」
オレにとっては大したことではないけど、大佐が練成する上では重要なことだろうことを聞いておく。大佐はよくこういうことが大切だと言っていたから。
店主は、胸を張って100%だと教えてくれた。
決定だ。これなら、専門じゃないと言っては、指パッチンしか練成したがらない大佐でも簡単に練成できるだろう。オレが探していた時計は、まさにこれだ。
「この時計を下さい」
店主は大きく頷いて、サイズはどうするかと尋ねた。
サイズを小さくしたら、練成する量が減ってしまって、それはもったいないんじゃないかと思ったのが顔に出たのか、すぐに言葉が継ぎ足される。
「ああ、量を減らさないで、サイズだけ変えられるんだ」
「えーっと、すぐできます?」
大き過ぎたら、やっぱりあの人は便利な時計でもしてくれないかもしれない‥。
「もちろんだとも!だが、1つだけ残念なことがある。せっかくのクリスマスなのに、それに相応しい箱も包み紙も、リボンすらないんだよ。――プレゼントなんだろう?」
「それは大丈夫!とっておきの贈り方を教わっているから!」
とびっきりの先生がモテる贈り方を教えてくれた。そして、その人は、オレが大佐に時計を贈るようにと、さりげなく暗示をかけていた気が今になってしてきた‥‥。
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10.
「では、サイズはどれぐらいかね?」
「185mmです」
驚くほど具体的だった。贈る相手への思い入れ方がわかる。そして、そのサイズは女性ならやや大柄で、――男性なら標準よりもやや細めか。うん。まあ、誰に贈られようともこの若者にこんなに愛されている人間になら、私は満足だとも。うん。
時計のサイズの変更は実に簡単なものだ。
錬成陣の書かれた紙を時計のケースから取り出し、そこに若者が選んだ時計を乗せて、両の手を付く。そうすれば、店内に練成光がほとばしり、サイズは思いのままに変わる。
私は鉱物に対してちょっとだけ変形させる程度の練成しかできないしがない錬金術師だった。
こんなところで錬金術が出てくるとは思っていなかった若者は、目を見開き、声もなく驚いてくれた。凄いと呟かれた言葉に調子に乗って、私はこの時計のからくりを披露した。
「全長200mm、刃長95mm、刃厚4mm、ファインセラミックスむき出しの穴あきハンドルのファイティングナイフ。有名メーカーのものじゃないけれど、国内有数のナイフ職人が作った一品で、重心もしっかりしていて使いやすい。この時計はそのナイフ一本分のファインセラミックスだけでできているんだ。――よかったら、教えてくれないだろうか?ナイフやオートメイルに使われるような素材でできたこの時計のどこに魅力を感じたのかを?」
錬金術師で、時計職人を目指した、街の武器とオートメイル店の跡取りだった私の作った時計は、錬金術で武器になる時計だったのだ。誰にも目に留められることなく、それでも作り続けた時計がどうして今日、望まれたのか知りたかった。
「――もしもの時に、武器に練成できればいいと思って。その、錬金術師に贈ります」
「そうか‥‥」
私の考えは、全くの荒唐無稽なものではなかったのだ。それを理解してくれたのは、錬金術を知るものだったというだけで‥。
若者は私の作った時計を胸ポケットにしまい、ちゃんとそこにあることを確認するように数度撫でるように叩いた。ありがとう。大切な人の命を守ってくれそうだ。まるでそんな言葉が聞こえてくるようだった。
「今度はちゃんとした時間に来ますので、他のヤツも詳しく説明してくださいますか?」
それはまさに、私へのクリスマスプレゼントの言葉だ。
「もちろん!さあ、仕事に戻らないと」
この若者が、叱責を受ける様は見たくなかった。
若者は素直にハイと返事をして、私が開けたドアから出て、頭を下げると勢いよく走って行った。が、すぐ戻ってきた。
「――金!金払うの忘れました!」
なんてマヌケな話だろう!金を貰うのを忘れる店主に、金を払うためにわざわざ戻ってくる若者。だが、もっと大マヌケな問題があった。その時計には値段など付いていなかったのだ。
「値段を付け忘れてたな」
「払います。いくらでも払います。その、一括で払えないかもしれませんが」
あまりに人がよすぎるセリフに若者の普段の生活がにわかに心配になってしまった。
「明日はクリスマスだ。――お前さんの付けている時計はいくらだったかい?」
「は?えっと、1万ぐらいでしたけど」
「じゃあ、1万にしよう」
「そんな!いいんですか?」
「ものの価値はな、決して値段だけが決めるものじゃないんだよ」
「――はあ。じゃあ、1万で」
若者は、幾分納得していない顔つきだったが、ポケットから1万センズ札を取り出すと、そのちょっと皺の付いたお札を伸ばしてから私に渡した。そして、今度は戻ってくることなく走って行った。
私には、この時計を元に戻すだけの力はないが、彼が贈る錬金術師には時計を元のナイフに戻すだけの練成力があるのだろうか。もしあるのならば、おの商品の巧妙さに気が付くだろうか。ナイフに復元された時点で時計は、もう元には戻らない。そう、この時計は消耗品なのだ。買い替えが必要となる。――だから高すぎたらイカンのだよ。若者よ。
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11.
結局20分足らずでオレは時計を買って戻ってこれた。2時間はサボる大佐に比べたら上出来だろう。しかし、司令部のテントに大佐の姿はなかった。たった20分弱の時間、同じ場所にじっとしていられないなんて。本当に、権力を持った幼稚園児は最強だ‥‥。
テントにいた下士官たちがオレに気が付いて、急いで走ってきた。
「――ハボック少尉!」
「大佐、どこ?」
どっか行ってた自分が言えることじゃないが、なんであの人フラフラすんのかなと思った不機嫌さが顔に出たらしい。下士官がえらく腰が引けて、言い難そうに言った。
「あ、あのマスタング大佐は、あちらでお知り合いの方とお話されてて‥‥」
指差す方向を見れば、確かに大佐が、路上にでっかい車を止めた、明らかに上流階級と思しき妙齢の熟女と談笑していた。
――なるほど。下士官たちは大佐に追い払われたらしい。
「あー、うん。いいよ。ほっといて。後、オレが見とくわ」
アレが東方司令官だと思うと、一気にやる気というやる気が失われていく‥‥。
しばらくして、その熟女は名残惜しそうに大佐の髪を梳いて、車に乗って去って行くと、大佐が疲れた顔をして戻ってきた。テントの中に、オレを見つけた大佐はコーヒーと言う。
その大佐の言葉を聞きつけた下士官たちがテントの中に用意されていたマズイコーヒーを紙コップに注いで、オレに手渡ししてくれた。あんな人にここまでしてくれるとは。下士官は立派だ。
大佐はそれを片手にテントから華やかな街を見ていた。
「さっきの女性は?」
「――ん?ああ、金持ちのヒマを持て余した有閑マダムさ。香水臭くて華も目ものども痛い。どうして本人は痛くないのか不思議だ。胸焼けして気持ち悪い‥‥」
珍しくマズイコーヒーに文句すら言わず、口を付けているところをみると本当に辛かったらしい。
「全くそんな風には見えませんでしたよ?」
「それはおかしいな」
大佐の黒い瞳に、街のイルミネーションは反射してきらきら光っていた。その目がオレを見上げる。
「お前はどこに行っていたんだ?美人でも見つけたか?クリスマスだからな。ナンパぐらい許可してやるぞ。理解のある上司に感謝しろ」
「しょんべんっスよ」
「なるほど!犬は路地にマーキングするものだったな」
「‥‥‥‥‥」
「ちゃんとマーキングできたのかね?ん?」
何で、この人はこんなことをこんなにもうれしそうに話すんだろう‥‥。
外の散歩に冷え切った大佐が司令室に戻ると言い出したのは、これから間もなくしてからだった。
その後、だらだらと仕事をして、仮眠を取り、翌日の25日の夜までずるずると勤務をして、楽しいクリスマスを過ごそうとした野郎どもと引継ぎをしてから、ようやく休みになった。オレは大佐を家まで送り、いつものやり取りの後、一緒に大佐の家に入ることができたのだった。
さて、どのタイミングでこの時計を渡そうか。
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12.
雰囲気と一連の流れのまま、まだ25日の内にベッドになだれ込んで。――オレは、腹がへって目が覚めた。勝手知ったるキッチンで、オレが以前買い置きしていた食材で朝メシを作る。貴重な休みの日を気が付いたら終わっていたなんてように過ごすのはオレは好きではない。大佐と違って。
「大佐、メシできましたよ?」
さっさと起きて、オレと遊んで下さいよ。
「‥‥何で、‥休日の朝までいつもの時間に起きなきゃならないんだ‥」
ベッドで、枕を抱きしめて丸まっていた大佐が、声をかけたら毛布の中に入ってしまった。オレは寝室のカーテンを開け、冬の柔らかい日差しを入れる。
「いい天気っスから。起きてください」
んで、オレと一緒に溜まった洗濯物洗いましょうよ。
「‥‥やだ。‥もう少し、このまま‥‥」
ベッドに張り付いたままぐずる人を尻目に、ベッドの回りに脱ぎ捨てられた2人分の服を片付ける。自分のタバコ臭い軍服は床の上にあるのに、余裕のないときでも、星のたっぷり着いた大佐の軍服をイスの上にかけて、床の上に置かない習慣が身に付けている自分が切ない‥。大佐の軍服をハンガーにかけ、ついでに自分のもそれなりに扱ってやる。夜、オレが脱がして足で蹴っ飛ばしたスラックスに手を伸ばしたが、それは予想外に重かった。何かがポケットに入っている。
「何、ポケットに入れてんスか?」
「‥‥‥‥ん‥」
「ズボンっスよ?」
毛布の上から、両手で体を乱暴に揺すると、不機嫌そうに毛布の中から声が聞こえてきた。
「‥‥ん、‥やめろ。‥時計だ、確か‥」
「――昨日付けてましたっけ?」
って、そもそもアンタ、リストウォッチする人じゃないじゃん!
「‥‥いや、すぐ外した。‥捨てとけ。その辺のゴミ箱にでも‥」
ねえ、ちょっと。
今日、これから、オレが時計をやろうとしているときに、そういうこと言う?
「扱い悪いっスね。時計嫌いなんスか?」
「‥面倒」
「何が、面倒なんスか?」
「人間が、面倒‥」
「それって、時計をくれる人間がうっとおしいってことっスか?」
「‥‥なんだ、‥やけに絡むな」
だって!これから時計やろうとしてんだから!気になるでしょ!
ちょっとと、言ってますます大佐を揺らすオレについに大佐がやめろと怒鳴った。
「時計が欲しいならやるぞ!そんな時計、私はいらない。悪趣味極まりない!」
大佐は、目が覚めてしまったじゃないかと、オレを一睨みして、ベッドから起き上がって部屋を出て行った。
きっとクリスマスイブの視察の時の熟女が大佐にプレゼントしたんだろう。でも、その時計は彼女が去ってすぐに外された。大佐が時計をしている記憶がなかったから間違いない。そして、翌々日にはゴミ箱行きだ。大佐の気に入らない時計の末路を知ってしまった。
これでオレが時計をやって、大佐の機嫌を損ねたらどうしようって言うか、オレの時計も即、ゴミ箱行きなのか?
戦々恐々としながら、スラックスから取り出した時計は、――オレがこれしかないかもと思ってたあの150万の時計だった。
これを大佐に贈った気持ちはよく分かる。すごくよく分かる。
オレだって、金が湯水の如くあったなら、きっとこの時計を買っていただろうから。
「買えなくてよかったのかも‥‥」
でも、この時計は大佐にとって悪趣味で、ゴミ箱行きなのか。やるせなさが募る。
たった一瞬でもいいから、この時計があの人の手を飾るのを見たい、そう思って、たった一瞬のために150万支払った彼女はその願いを叶えた。
その金を用意できなかったオレには見ることはできない。
そして、庶民は150万もする時計をゴミ箱に捨てることなんかできないのである。
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13.
濡れた髪をタオルでかき混ぜながら、大佐がリビングに入ってきた。
黒のズボンに、普通の白いシャツ。値段を聞いたことはないが、明らかにオレが着ているものとは肌触りが違うそれらは、オレの着ているもの値段とは一桁も二桁も違うような気がしている。でも、その高そうな服がかろうじてこの人を10代に見せない。――GパンにTシャツを着ると、オレより年上には見えない人だった。
大佐は新聞を手に、ソファに座る。オレがこの家にいたところで、この人が自分のペースを崩すことはない。オレは朝食が並んだダイニングから、コーヒーを持って大佐の向かいに座って、コーヒーを差し出した。
「――ん。ありがとう」
コーヒーを差し出せば、反射のように礼を言われる。女性には笑顔つきで。野郎には顔すら上げず。そのあまりの徹底ぶりがこの人らしくておかしい。
「大佐、あの時計いくらか知ってます?」
「――お前は何かものを貰うとき、相手に一々値段を尋ねるのか?」
「ごもっともです」
大佐は新聞から顔すら上げない。
濡れ髪から、雫がぽたりと新聞に落ちた。
そんなことが気になるオレは立ち上がって大佐の後ろに回り、頭にかぶったままのタオルで、その髪の水分を拭っていく。
濡れた髪が冷たかったのだろう、ものぐさな大佐は頭を拭かれるまま、新聞を閉じた。
「――貴金属店をうろついていたらしいな。同じものを見つけたか?」
まあ、そんな感じで‥‥。
「妹たちに頼まれたプレゼントは用意できたのか?」
「あー、まだっス」
「クリスマス過ぎたぞ。できの悪い兄だな」
「いや、その何がなにやらさっぱりで、選べません」
そもそもリクエストなんかないんで選ぶ選ばないはないんですけどね。
「選ぶって?頼まれているんだろう?どこぞのブランドの指輪とか、そういうのじゃないのか?」
「田舎なめんでくださいよ。そんなの知ってるわけないでしょ」
「紙とペンをもってこい」
言われてオレは、ついでにドライヤーも持って来る。
オレがドライヤーで大佐の髪を乾かしている間に、大佐は何件かの店の地図を書いてくれた。そこはこの数日に行ったことのない貴金属店だった。一緒に行ってくれないんスかと一応言ってみたが、やはり予想通り無碍に断られた。
「あのー、大佐、クリスマスプレゼントがあるんスけど‥‥」
ドライヤーの音が止まった大佐がまた新聞を読もうとする前に、オレは本題を持ち出した。が、大佐は、器用に左眉だけ上げて、振り返った。
「――私はない。等価法則により、そのプレゼントはいらない」
「別にオレは大佐から貰おうなんて思ってないっスから!」
「私は錬金術師だ」
「こんな時ばっかり、そんなこと持ち出さないでくださいよ。いいから手、出してください」
「―――手?ハボック、一応、言っておくが時計ならいらんぞ」
予想していた一言だけに、こんなとこで挫けはしない。
「確かに時計ですけどね。でも時計ってわけでもないんスよ。一応、時計ってことなんでしょうけど」
「なんだそれは」
「いいから。大佐、手出して!」
しばらく疑い深くオレを見ていた大佐が、好奇心に負けて左手を出した。
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14.
白い手首に、オレが選んだファインセラミックスの時計が触れる。
この一瞬のために、奔走したんだなあとしみじみとした充足感を感じる。
あー、気分いいわ。確かに。
大佐が面白そうにオレを見ていた。
「お前にこんな渡し方ができるとはな」
グレイシアさんに教えてもらったんです。モテる男の手口ってやつを。
「――頑張っていろいろ応用したまえ。初心者は指輪がいい。お前でも、サイズが分かれば無難に行く。スカーフやネックレスは上級者向けだから、いきなりチャレンジするのは止めとけよ?」
オレはアンタの恋人のつもりなんで、アンタにフラれてから頑張りますよ。ええ。
大佐は思う存分オレをからかってから、じっとオレがはめた時計を見る。
結構、その目は真剣だった。何かを確かめるよう大佐の白い指がオレの時計を辿った。
オレの想像した通り、その時計は大佐の手にしっくりと馴染んでいた。
自分の選択に満足する。――たとえ、3分後に捨てられても。
大佐がようやく時計から顔を上げて、俺を見てにっこりと笑った。
「悪くない。いや、お前にしては上出来だ」
意外な言葉を聞けた。
「こういうのは確かにアリだな。むしろ、今までなかったのが不思議だ。――これは、セラミックスだけでできているのか?」
「ええっと、ファインセラミックスですが、そうです。分かりますか?」
「ファインセラミックスか。練成材料をこういう形で身に付けるのは、面白い。確かに、これは時計ではあるが時計とは言いがたい」
ちょうどその時電話が鳴り、大佐がソファを立った。
電話をする大佐の左手にオレの時計が見える。――あの人の体温が浸透していく。
「司令部からでした?」
「いや、グレイシアからだった‥‥」
もの言いた気に大佐がオレを見たが、グレイシアさんからの電話と聞いて、オレはこれ以上、この話をしないほうが身のためな感じがして、話を強引に逸らした。
「‥‥へえ。‥メシにします?」
「ああ‥‥」
これ以上、この話をしたがらないのは大佐も一緒だったようで、もう冷めてしまったメシを取ることにした。
「よくこんな時計があったな」
大佐は随分気に入ってくれたようで、メシの途中でもふと時計に目を留める。
どこなくこそばゆい気持ちがした。
「店のじいさんが錬金術師で、一本のナイフでできてるそうですよ」
「む!では、復元練成をしたらナイフに戻るのか。――それはあまりに芸術的な話だな。ちょっと、練成してみてもいいか?」
「元に戻せるならいいっスけど‥」
「‥‥・・・」
「あ、できないんスね。やっぱり。ならダメっすよ!せっかく買ったのに!」
「やっぱりとは何かね?」
アンタが実は錬金術師としてはイマイチなんじゃないかと司令室内の人間が疑っている。
「ピンチの時のために、と思って探した時計なんスから、止めて下さいよ」
「ピンチねえ」
「自分からピンチの中に入って行くようなマネはしないでくださいよ」
オレがいないとき、アンタの窮地を救ってもらおうと思って探した時計なんだから。
「ええっと、それ付けてくれます?」
大佐は、まだかろうじて温かいスクランブルエッグに、ご機嫌にケチャップをかけながら、私服のときぐらいはな、と言ってくれた。
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15.
「そうだ。お前は何が欲しい?いや、待て。そうだな。私からのプレゼントはニューイヤープレゼントにしよう!」
大佐の楽しげな様が、オレの不吉な予感を助長する。
「その。大佐。気持ちだけで十分っスよ?別に、大佐から何か欲しくて、クリスマスプレゼント用意したわけじゃないっスから‥」
ガッ、とフォークが皿を突き刺すかのような音が、向かいの席からした。
「あっ、あの、あー、大佐からもらえるならタバコ一本でもうれしいなあ、って‥‥」
「首を洗って、ニューイヤーを待ってろ。ハボック」
「‥‥‥はあ」
何でこうなるんだろう‥‥。