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カツヤのリィンバウム奮闘記 4 +
「ふう……」
ようやくため息をつけたのは、応接間からひたすら廊下を走って全力で角を曲がってから。
ああどきどきした。あれじゃ、カシスの友達だなんて嘘がばれるのも時間の問題だ。あの部屋には戻らず、このまま急いでクラレットさんを探した方がいい。オレは左右のろうかに人影がないことを確認し、忍び歩きで移動を開始した。1階はさっき見て回ったから、次は2階。とりあえず目指すは階段だ。確かこっちの角を曲がると階段が見えたはず。
と、そっと角から様子をうかがおうとしたとたん、誰かとぶつかりそうになり思わず「うわっ」と声を上げた。
女の人だ。
オレと同じように角からそっと顔だけ突き出し、ぶつかりそうになったオレにもまったく動揺を見せていないその人は、なんだか可愛らしい格好をしていた。オレンジ色の服の上に白いエプロンを着けたその人は、どっからどう見てもメイドさん。 ……てことはこの屋敷の使用人だ!
「あっああああのオレは道に迷っただけで」
「しっ!」
メイドさんは鋭い声で言った。動転していたオレを我に返らせるのにさえ充分な強さをもった声だった。つづいてささやくほどの音量で、
「静かにしてください。見つかったら大変ですよ。あなたも、私と同じで、こっそり忍び込んだクチでしょ?
」
「は、はあ」つられてオレも小声になる。
姿勢を低くして忍び歩きする彼女に倣いながら、恐る恐る尋ねてみた。
「あの……お姉さん、何をしてるんすか?」
メイドさんは進行方向に視線を向けたまま、意外と軽い声で「お仕事ですね」と答えた。
「お仕事って、何の?」
「見てわかりません?」
「はあ、さっぱり」
「ヒントはですねー、このバスケットですね」
左手に持った大ぶりのバスケットをちょいと持ち上げてみせる。
「何が入ってるんすか?」
とオレがきこうとした矢先、メイドさんはふいに歩みを速めた。まっすぐに一つのドアに忍び寄る。
確かそこは……あのオヤジの宝物部屋じゃないか?
メイドさんはそのドアにぴたりと張り付き、バスケットの中に手を突っ込んだ。取り出したのは細い針金。すばやく鍵穴に差し込んだかと思うと、次の瞬間には音を立てて鍵が外れる。細く開けたドアのすきまから差し込んだ右手は、出てきたときには例の写真を数枚握っていた。
「……というお仕事なんですよ〜」
「…………泥棒じゃないっすか!」
「いえいえ、ちがいますよう」
メイドさんは明るい笑みを浮かべる。
「これは私の雇い主さんからの命令なんです。蒼の派閥がのちのち有利になるように、オルドレイクさんの弱みをにぎって来いって。私はただのアルバイトなんですね」
「実行犯じゃないっすか……」
「うーん、そうでしょうかねえ」
あくまでも明るくメイドさんは笑い、
「でも私、一番長いアルバイトが暗殺者だったもので……」
「なにいきなり怖いこと言ってるんすか! しかも関係ないでしょ!」
「しっ! 声が高い!」
いきなり鋭い声になったメイドさんが警告を発したが、遅かった。
「今、こっちから声がしたか? おーい、どこだ? 迷ってるのか?」
あの声はソルだ。戻ってこないから探しに来たのか……?
「まずいですね。それでは私、お先に失礼します。おつかれさまでしたーっ」
言うなり、メイドさんは床を蹴った。おお、足速っ! この世界に来て、オレより速く走る人なんてはじめて見た。オレの倍近いスピードでメイドさんが廊下の角に消えると同時に、反対側の角からソルとキールが現れた。
「お、いたいた。どうしたんだ、迷ってたのか?」
「あ……ははは、広いっすね、このお屋敷」
「無駄に広いんだよ。ほら、こっちだ。お茶がさめちゃうぜ?」
親切に言ってくれるソルにつれられ、背中にキールの無言の威圧を感じつつ、オレはまたさっきの応接室に連行された。
「ただいま。やっぱり迷ってた」
「まあ……困ったでしょう。さ、座って……」
ツェリーヌさんが椅子を勧めてくれる。と、
「そうだ母上、せっかくのお客さまですし、彼にアレを飲ませてあげたらいかがですか?」
キールが、ツェリーヌさん似の淡々とした口調で言った。
「む? アレをこんなふらちものにか?」
オヤジは横目でオレをにらむが、
「まあ……それはいいわね……。今用意してきますから……」
異議をはさませずツェリーヌさんは廊下へと消えた。
「アレってなんだよ」
低い声でたずねたがキールはそしらぬふり。代わりにソルが、
「父上のもと弟子で、お茶マニアな人がいてさ。父上とケンカして派閥を飛び出したくせに、毎年のお中元だけはかかさず送ってくるんだ。今年も、シルターンの珍しいお茶を手に入れましたって、すっごくうれしそうな手紙付きで……」
「用意ができましたよ……」
ツェリーヌさんが入ってくる。運んできたポットから注いだ茶をオレの前に置き、自分用にもう一杯注ぐ。
「シルターンで有名な、健康にいい茶なんだってさ。母上すっかりはまってるんだ」
「おかげで、お肌の調子がとてもいいのよ……」
すべすべしたほほに手をあて、ツェリーヌさんは微笑む。そしてこくりと一口飲み、
「さ、どうぞ……」とオレにも勧めてきた。
「はぁ、じゃ、いただきます」
まあ、のどはかわいてるからちょうどいいけど……何でこんなことになったんだ?健康茶なんか飲んでるヒマにクラレットさんを探しに行きたいのに。そんなことを思いながら何気なく茶を口に含み、
「………っぶ―――っ!」
次の瞬間オレは思いっきり吹き出していた。
マズっ! なんだこの味! 某ラッパのマークを煮詰めたみたいな!
思わず手を振り回したオレはカップの中身を自分の胸元にぶちまけ、
「あち―――っ!」
続けて叫ぶハメになった。
「うわっ大丈夫かよ! ヤケドしたか? 上着脱げ上着!」
ソルに言われ、慌てたオレが上着を脱いで放り投げた瞬間………。
ばさり。
本が一冊すべり落ちた。表紙に輝く『プニムファンブック』の文字。オレが手を伸ばすより速く、手袋の手が横からそれをかっさらった。
「取り返したぞ、僕のプニム本!」
キールは拾い上げた本を高く掲げ、宣言する。
「もうどうなっても知るもんか! カシスにでも父上にでもやられてしまえ! いや、僕がこの場で引導を渡してやる!」
プニム本のことでよっぽど頭に来ていたのか、キールは本気の目でサモナイト石をつかみ出す。
「なんだ? キール、どうなってるんだよ」
「はなれるんだソル! そいつはカシスの友達なんかじゃない! 侵入者だ!」
一家の顔に緊張感が走る。
「侵入者だと?!」
3人が素早く武器を取り出す中、
「たっだいま〜」
お気楽な声と共にドアが開いた。入ってきたのはカシス。オレと目があい、
「あ―――っ!」
と口を開ける。
「きみ、兄さまをおどしてたヤツ! 今度こそやっつけてやるんだから! 来て、ツヴァイレライ!」
「こっこら、室内ではやめろ!」
オルドレイクが声を上げるが、カシスはお構いなしに召喚術を発動させた。
閃光。現れた骸骨の騎士が、オレに向け槍を構える。宙を蹴る馬と共に猛烈な勢いで迫ってきた。その槍の穂先の鋭さ。
間一髪、オレは横にとんで床に身を投げ出した。即座に風圧がほほをなで、残されたイスがまっぷたつになって倒れた。
かわせた! そう思ったのは一瞬で、馬が素早く壁を蹴り反転、騎士の槍がするどく光った。
やられる! オレもここまでか? クラレットさんに会えずに終わるのか? こんな遠い世界で、わけもわからないうちに……!
『……手間取りやがって』
心臓がどくんと鳴った。深い深いところから、不意に冷たい声がしたんだ。
04.00.00