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カツヤのリィンバウム奮闘記 第3話 +
「それにしても立派な家だなあ……」
こそこそと廊下を移動しながら、オレは独り言を漏らしていた。古びているが、とても立派な屋敷だ。そして広い。えんえん続く廊下に、いくつもいくつもドアが並んでいる。だというのに辺りは静まりかえり、人の気配もなかった。
「クラレットさーん……」
ちいさーく呼んでみるが、返事はどこからもない。ドアノブをひねってみても、鍵がかかっているらしく開く扉は一つもなかった。
「この扉もだめか……どうしようかな」
と、
「おい、そこの貴様」
押し殺した声をかけられ、オレは悲鳴を上げそうになりながら振り向いた。
「しっ……」
人差し指を口の前に立て、オヤジが一人、廊下の真ん中に立っていた。先がワカメっぽい長髪に、かなり面積の広いデコ。くすんだ緑のローブを着た、悪人面の40代くらいのオヤジだ。ちらりと周囲に視線を走らせ、
「……こっちだ。足音をたてるな」
オレを手招く。……ど、どうしたらいいんだ? オレはうろたえたが、人でも呼ばれたらたいへんだ。不意打ちに備えつつもオヤジの方へ近寄った。するとオヤジは先導するように先へ進みはじめる。
廊下の奥へと進みながら、用心深く辺りを警戒し、
「わしがオルドレイク=セルボルトだ。今日からおまえの上司というわけだな。よいか、上司の命令は絶対だと、じゅうじゅう承知しておるだろうな」
「は……はあ」
「よし。これから、おまえの一番大事な仕事を教えてやる。ある部屋の管理だ」
「ある部屋?」
「そうだ」
とりあえず調子を合わせておくと、オヤジは重々しくうなずいた。
「そこには、このセルボルト家の宝が収められているのだ。すばらしい宝物だが……危険な代物だ。よいか、けしてその存在を漏らしてはならんぞ」
「はあ」
「誰にもだ。わがセルボルト家の者であっても、ワシとおまえ以外にその存在を知られてはならぬ。よいな?」
「はあ」
オヤジはうなずき、「ここだ」とたどり着いた部屋の鍵を開けた。
「これがワシの宝……傷つけぬよう、慎重に扱うのだぞ」
オレはちょっと緊張し、そっとその部屋に入った。中はがらんとした小部屋。
……いや、がらんとはしていなかった。床に何もおいてないと言う意味ではがらんとしているが、その壁には、
「……あのー、すんません」
「なんだ」
「これが全部……宝物っすか?」
「そうだ」
オヤジは得意げに言い、ドア近くの壁に手を伸ばした。壁面にえんえん貼られた写真うちの一枚に。
「これは5年前に付き合ったマリーだ。こっちは6年前のローラ。あっちは二年前のキャシーで、あれはジャネット。サラ、ユーミ、ダイアナ、それから……」
一枚一枚指さし、うれしそーに解説してゆく。四方の壁一面に、オヤジと女の人が仲良く手をつないだ写真が隙間なく貼られていた。その数、100枚か200枚か、それ以上か……。
「あのー、オレ急ぐんでもう行ってもいいっすか?」
「……で、あれが4年前のジェシー。気だてのいい子でなあ、毎日恋文をよこすのだ。ほら、写真の横に便せんがはってあるだろう。それからあれは3年前の……」
聞いてない。うっとりと胸の前で指など組んで、オヤジはひたりきってしゃべっている。
見捨てて行っちまえ。オレがさっさとドアを開けたとき、廊下から飛び込んできた声があった。
「父上ー?」
そのとたんオヤジは全身でビクッとし、オレを押しのけるように部屋を飛び出すと後ろ手にドアを閉めた。声の主は茶色い髪の、多少気むずかしそうな少年で、ちょうど廊下を曲がってきたところだった。
……どっかで見覚えがあるような……?
「ど、どうしたソル。何か用か」
ソルと呼ばれた少年は、うわずったオヤジの声と、その後ろのドアを見てわずかに軽蔑の目をしたが、口に出しては「資料が出来たので、持ってきました」と言っただけだった。
「そ、そうか。早かったな。さすがにおまえは優秀だ。すばらしい息子をもって父はうれしいぞ」
なんとなく白々しいことを言いながら、オヤジはさりげなくドアの前から離れようとしている。その様子をソルが冷たーい目で見ていることに気づいたか、唐突に、
「おお、そうだ。新しい秘書が来たのだ。今は仕事を教えていたのだぞ」
とオレを少年の前に押し出した。
「秘書? 父上、秘書が来るのは明日ではなかったのですか? 一日遅れると、連絡がありましたよ」
「ん? そういえばそうだ。貴様、誰だ!」
オヤジはいきなり態度を変え、一歩跳んで離れるなり錫杖をかまえた。
「侵入者か……? どこの派閥の者だ?」
反対側では、少年がオレを見据え、ポケットからサモナイト石をとりだしている。二人の気迫にはさまれたオレは剣に手をかけることもままならなかった。
どうする、こいつら意外に強そうだ……。なんとかごまかさなくては。でもキールに案内されて来ましたって正直に言ったらまずい気がするし、うかつにクラレットさんの名前は出せない。えーっと、えーっと……。
「蒼の派閥か金の派閥か、まさか聖王の……」
「ち、ちがうっす! オレはカシスさんのお友達っす!」
うわしまったつい言っちゃったよカシスってたしかさっき本気の攻撃してきた女の子の名前じゃん何言ってんだオレやば、
「……何だ、カシスの友達か」
「……え?」
口走った下手な言い訳に即刻後悔の嵐だったオレなのに、ソルの方はいとも簡単に納得したようだった。
「あーあ、一瞬どきどきしちゃったぜ。今あいつ散歩に行ってるから、ちょっと待っててくれよ」
「は、はあ、どうも」
「いつもなら玄関に人がいるんだけどな。今日はサイジェントに出てるヤツが多くて、派閥の人間ほとんど出払ってるんだ。誰もいなくてビックリしただろ?」
「あ、はあ」
よ、よかったーっ。オレが全身で安堵したとき、後ろから冷たい声がかかった。
「待て。貴様がカシスの友人……だと?」
その底冷えする響きにぞーっとしながら振り返る。オヤジが、うすら寒い視線をオレに向けていた。そこだけ温度が違っている。
……ばれた。そう確信するしかない、慈悲のかけらもない目だった。オヤジはゆっくりと口を開く。
「つまり貴様……ワシのかわいい娘をたぶらかしたということか?」
「……はい?」
オヤジは狂気を秘めた冷酷な瞳で一歩近づく。
「あれが箱入りなのをいいことに、友人面をして近づき、あんなことやこんなことをしようとたくらんでいると言うことだな?
愚か者め! このオルドレイクが矯正してくれるぐげっ」
カエルのつぶれたような声を出して、オヤジはいきなり床に沈んだ。崩れ落ちるその後ろにいつのまにか、シスターの格好をした美女が立っている。とても物静かなほほえみを浮かべているけど、……その右手の錫杖、オヤジの頭の高さにあったのは偶然ですか……?
「まあ、カシスのお友達……? 母のツェリーヌです。娘がいつもお世話になって……。こんなところは何だから、応接間にどうぞ……。ソル、お父さんに、ちゃんとした格好に着替えてくださいって言っておいて……。さ、こちらに……」
静かな声でおっとりと、かつさくさくしゃべったツェリーヌさんは廊下の奥へとオレの背を押した。
「ごめんなさいね……、お父さんったら休みの日だからだらしない格好をしてて……。ボーイフレンドが遊びに来てくれたっていうのに、だめねえお父さんは……。ああこのお部屋よ。どうぞ座って……。今お茶を入れてきますからね、ソル、お客さんをおもてなししておいてちょうだい……」
オレに口をはさませず出ていったツェリーヌさんの代わりに、さっきのソルが入ってきた。
「父上もなあ。自分は浮気しまくってるくせに。愚か者はどっちだよ、まったく……」
ああ悪い、座れよ、とイスを勧めてくれる。自分も座ろうとしたソルは、ふとオレの後ろの窓に目をとめ、「あれ」といいながら近寄っていった。
腰ほどの高さの出窓を開け、その外の森に向かって、
「キール。何してるんだそんなとこで」
「ああ……助かったよソル、入れてくれ。ペン太くんにまきこまれて……」
力の抜けた声でうめき、ソルに助けられて窓わくを越えてきたキールは、オレを見て悲鳴を上げんばかりの顔をした。
「き……きみ……」
オレもまた固まってるのをどう解したか、ソルが、
「ああ、紹介するよ、これ、うちの兄上のキール。キール、こっちはカシスの友達で……名前なんて言った?」
「カツヤっす……はは、どうもお兄さん、初めまして!」
「……初めまして……」
即刻、初対面のフリに決定したオレに、キールも何とかあわせてきた。たぶんプニム本がまだオレの手中にあることを思い出したのだろう。
「ええっと、ソル、父上や母上は? 彼が来たことを知ってるのかい?」
「うん、今お茶の準備をしてるから、もうすぐ来るはずだ」
「そ……そうか……。母上お1人では大変だから、手伝ってあげてくれるかい?」
兄の威厳なのか、ソルは「はいはい」と答えると素直に部屋を出ていった。ドアが閉まるなり、
「何がカシスの友達だ! どうやって母上やソルを丸め込んだか知らないが、もう帰った方が身のためだぞ」
もちろん僕の本を置いて、だ。そう言ってキールがすくい上げるようににらんでくる。
「クラレットさんに会わずに帰れるもんか。ちょうどいい、クラレットさんのいるところまで案内しろよ」
人質(モノ質だけど)があるのでこっちも負けていられない。オレ達はテーブルをはさんでにらみ合った。
「もうすぐカシスが帰ってくるぞ。そうしたらきみのウソもばればれだ。セルボルト家の召喚術に、きみ一人でかなうと思ってるいるのか?」
「ふん、オレがやられたらこの本だって無事にはすまないぞ、それでいいんだな?」
キールは低くうなるような声を出してオレをにらむ。その時オレの後ろでドアが開いた。
「お茶が入りましたよ……」
静かに言って入ってきたのはさっきのツェリーヌさんで、ソルを連れている。その後ろには、見覚えのない若い男が、ティーセットの乗ったお盆片手についてきていた。黒い長髪に丸いサングラスなんかして、でも目つきは結構するどいからすごく怖そうに見えるヤツだ。と、キールに気づいたそいつは張りのある声で、
「おお、キール。帰っていたのか」
「……ただいま戻りました、父上」
……はい?
キールの「父上」?
「ほらあなた、ちゃんとごあいさつしてください……」
ツェリーヌさんが軽く男の肩をつつく。先に言い含められていたのか、男は仕方なさそうにせき払いをしてオレに向かい、
「さっきはだらしのない格好で失礼した。改めて、ワシがカシスの父のオルドレイクだ。娘が世話になっているようで、礼を言う」
…………はい?
こいつまさか……さっきのオヤジぃ?!
「全く、父上はねぐせも直さずうろうろするんだからな……老けて見えるってカシスにいやがられてるくせに」
ソルが笑う。いや、ねぐせの問題じゃないって! あのオヤジがこの男にはならないって! タイムふろしきがいるって!
俺は軽いパニックにおちいったが、家族のみなさんは全くそんな疑問を感じていないようだった。なごやかに席につき、紅茶を注いだカップが配られる。
「……ところで、うちのカシスとどのような付き合いなのだ?」
せき払いとともに、おもむろにオヤジがたずねてくる。え、えーっと〜。
「なんつか、そう、友達の友達って感じっす!」
できる限りあいまいに答えたが、それで切り抜けられるほど甘くなく、
「その友達と言うのは、まさか男ではあるまいな?」
オヤジがギロリとにらんできた。こ、怖〜。
「いやあの女の子っす! 変な子じゃないっすよ、すっごくおしとやかで、まじめで生徒会長もしてる……」
「セイトカイチョウ?」
やべ、ごまかそうとするあまり口数が多くなって余計なことまで口走ってる! オヤジがさらに追及してくる前に、あわててツェリーヌさんに向き直ることにした。
「トイレ貸してもらっていいっすか?」
「あら、お手洗い……? そこの突き当りを右に……」
「そうっすか、ありがとうございます!」
みなまで聞かず、オレは部屋を飛び出した。
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