+  夏休みのご一行  +





 ある暑い日のことです。天流闘神士吉川ヤクモさんの頭に、ふいにこんな言葉が浮かんだのでした。
 ――――海、行きたいなあ……。


 ・ 場面1 ・

 折しも世間は夏休みでした。外ではぎらぎら輝く太陽の下、セミたちがうるさいほどに鳴いています。
 ――――いや、ダメだ。我慢しよう。
 ヤクモさんは手の中の符を握り締めてそう思いました。というのも、今ヤクモさんは伏魔殿にもぐろうと装備一式を整え、あとは符を構えるだけという状態でいるのです。
 そう、天流と地流の戦いが激しくなり、その一方で神流の暗躍が日ごと感じられる今の状態で、のんきに海など行っている場合ではない。ヤクモさんはそう思ったのでした。
 ――――そうだ、今は我慢だ。この戦いを終わらせて、来年行けばいいさ。そうすれば心置きなく海で泳ぎまくって、みんなとスイカ割りなんかして、海の家でカキ氷と焼きそばを食べて、疲れたら木陰で昼寝して。岩場で蟹や貝を取るのも楽しいだろうな。そうだ、スキューバダイビングとかサーフィンとか、一度習ってみようか……。
 ヤクモさんは自分が失敗したことを悟りました。すでに頭の中には、魅力的な海の風景がありありと広がってしまっています。焦げるように熱い砂浜と、白く波立つ冷たい海とが、ヤクモさんの心をつかんで離そうとしないのです。やがて、
 ――――今日一日くらいなら、いいかな。
 背徳感とともに、ヤクモさんはそんな風に心でつぶやきました。思えば夏休みに入ってから、伏魔殿にもぐりっぱなしでした。今だって、一週間以上も伏魔殿を歩き回り、さすがにイヅナさんが心配すると思って昨日遅くに太白神社へ帰ってきた、その昨日の今日なのです。
 ――――符でショートカットすれば、海までは一瞬だし。うん、いいよな、一日くらい。気分転換って大事だもんな。よし、シマムラに電話かけちゃえ。
 いそいそと携帯電話を取りに部屋に向かいかけたヤクモさんは、直前で気づいて足を止めました。
 ――――ちょっと待て。シマムラに符のこと言えるわけないじゃないか。
 ヤクモさんの学校の友達は、みんな思い切り一般人なのです。
 ――――いや、別に闘神士のこと打ち明けちゃいけないって決まりはないよな。あいつらなら、きっと理解してくれるだろうし。
と思い直して足を進めかけ、
 ――――待て待て待て。打ち明けるにしても、海に誘うためにってのはダメだろう。あんまりにも情けない。
 再度思い直して足を止めたのでした。



 ・ 場面2 ・

「ヤクモ様、さっきから何をしているでおじゃるか」
 歩いたり止まったり、さすがに不審に思ったか、闘神機からサネマロが出てきました。続いてタカマルとブリュネも、
「伏魔殿に潜るのではなかったのか?」
「みな、準備万端であります!」
 ぞろぞろと出てきます。
「さてはコントの立ち位置を練ってますね? 大事ですからね!」
「ヤクモはそんなことしないよ」
 リクドウとタンカムイも現れ、あたりは一気ににぎやかになりました。
「いーや、ヤクモにはお笑いの才能があると、ワタクシにはわかりますよ!」
「リクドウと一緒にしないでよ!」
「タンカムイはまだ小さいからわかんねえんだよな〜」
「お笑いというよりは、何かに悩んでいるように見えたが」
 タカマルの言葉に、さっとその場は静まりました。ややあってサネマロが真剣な声で、
「ヤクモ様、お疲れなのではおじゃらんか」
「あ、いや、違うんだ」
 いらぬ誤解と心配を招いた事に気づき、ヤクモさんは手を振りました。
「そんな深刻なことじゃないよ。海に行きたいな、なんて考えてたんだ」
「海! いいね、行こうよ!」
 水が大好きなタンカムイが大喜びで乗ってきました。
「ボク、水が好きなんだ!」
 降神してもらうつもりでいるぞ、とヤクモさんは危機感を抱きました。もちろん、一般人の友人たちと海に行くのなら、彼らを降神することはありえません。
 待てよ? 別にシマムラたちとでなくてもいいんじゃないか。一人で海まで行って、こいつらを降神して皆で遊ぶのだって楽しいぞ。それなら符でひとっとび出来るし。
「そう、だな。行こうか。今日は皆で夏休みだ」
 タンカムイはひれを叩いて大喜び、ブリュネたちもまんざらでもなさそうに、
「たまにはいいでありますな」
「休養は必要でおじゃるよ」
と言い合う中、
「そんなことをしている場合でしょうかな」
 硬い声が割って入りました。タカマルです。彼は腕組みして皆を見渡し、
「今、大戦はますます激化し、神流の暗躍も無視できぬものになっている。海などに行って浮かれている場合ではないと思うが」
 ストイックな武士のように言ったのでした。
「……そ、そうだよな」
 ヤクモさんを筆頭に、確かに浮かれていた一同は一気にしゅんとなります。
「海に行くなんて、平和になってからでもできるもんな……。じゃあ、」
「左様」
 伏魔殿の探索に行こうか……と言いかけたヤクモさんをタカマルがさえぎりました。
「行くなら、登山がよい。火山の河口近くまで行って、マグマでバーベキューをするのはいかがかな、ヤクモ」
「………………」
「肉や野菜を、こう長い串に刺してですな、溶岩であぶって、ほどよく火が通ったところで食す。盛り上がって楽しいですぞ」
「つまりタカマルの言いたいことは」
 タンカムイがイルカの住む海のように冷たい声で言いました。
「遊びに行くなら水じゃなく火がいいってことだよね」
「無論」
 大ブーイングが巻き起こりました。
「真面目に聞いて損したじゃねえか!」
「それならまろは高原で森林浴がいいでおじゃる!」
「海でいいじゃん! 今夏だよ!」
「自分は、自分は、……土のあるところなら……」
 せっかく真剣に自分を省みたのに……と脱力していたヤクモさんは、しばらく考え、
 ――――鬼門って、どこにでもあるよな。
「うん、どこにでもあるしな……」
 後半は口に出してつぶやき、なんだかいきなりふっきれた気分になりました。
「みんなちょっと落ち着け」
 ヤクモさんは声をかけ、
「タカマルの言い分もわかる。お前は火属性だから、火のあるところに行きたいよな」
「左様」
 きっぱり言った雷火族を、水が大好きな消雪族がほっぺたをふくらませて見上げます。
「じゃあ火山ですかね〜?」
「いやだよ! ボク、海が良いよ!」
「まろも海がいいでおじゃるな」
「自分は……土があれば」
 また騒ぎ始めた式神たちに、
「じゃ、両方行こう」
 さらっとヤクモさんは言いました。
「要するに海も火山もあればいいんだ。なあみんな、キラウェイ火山って知ってるか?」
「きらうえい……?」
 首をかしげた一同に、
「ハワイってとこにあるんだ」
 ヤクモさんは静かに告げました。

 数日後、シマムラたちのところにやたらよく日焼けしたヤクモさんが訪れ、
「これ土産。ついつい2泊もしちゃったけど、すごく楽しかったよ。今度は皆で行こうな」
とマカダミアナッツチョコを置いていったそうです。

11.10.5



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