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秋風吹くころには +
伏魔殿は崩壊を始めていた。
「ヤクモさん、どうしたら」
「ヤクモさん!」
いつのまにか俺を頼りにしているらしい地流の闘神士たちにしがみつかれ、俺は脱出方法を必死に考えていた、ちょうどその最中だった。
突然目の前に道が現れ、その中から人が出てきたのだ。神流の、マサオミ。その姿を見たとき俺がいきなり不安になったのは、故ないことではなかったらしい。
「ヤクモ。あんたに会えてよかったよ」
悟りきった表情で、マサオミはそんなトチ狂ったことを言う。
待てよお前、それは死亡フラグってやつだろ?!
「死ぬ気かマサオミ! よせ、お前にはまだやることがあるだろ?!」
俺がとうさんを助けるまで死ねなかったように、お前にも助けたい人がいるんじゃなかったのか。
「会えてよかったなんて勝手なこと言うなよ、俺は全然そんな風に思えないぞ! 俺たちは敵としてしか向かい合ってないじゃないか。ほんの一瞬しか仲間として話すことはできなかったじゃないか。一人で自己完結してかっこつけようとするな!」
俺の声に驚いたように振り向いて、マサオミは呆然とこっちを見ている。
ヤクモさん、と地流の闘神士たちが俺を門の中に引きずりこんだ。
そして伏魔殿の地面が崩落する。ぐらりと傾ぐマサオミの姿だけが、目の奥に残った。
天流闘神士吉川ヤクモさんは、そこで夢から覚めました。起き上がれば、そこは自分の部屋の畳の上です。世界は静かに節季が移り行き、あの戦いからはすでに一年近い時間が過ぎているのでした。
『ヤクモ様、大丈夫でありますか』
『うなされていたようだが』
零神操機から、ブリュネとタカマルが気遣う声が聞こえます。ヤクモさんは額の汗をぬぐい、
「心配するな。ちょっと大戦の夢を見ただけだ」
いつもの余裕ある声で答えました。ため息をつくと、のどがからからに渇いています。台所で水でも飲もうと、庭に面した縁側に続く障子を開けようとし、―――そしてヤクモさんは顔に警戒の色を上らせました。
ポケットから符を取り出し、構えます。そして一気に障子を開け放ちました。
「ハッピーバース……うわあっ!!」
庭に立っていた人影が、悲鳴とともにのけぞります。同時に爆音もかすかに響きました。ヤクモさんはあわてて障子をすり抜けます。そこにいたのははたして、
「マサオミ!? おまえこの時代に戻ってきてたのか」
「……いや、あんたその前に言うべきことはないのか……」
『滅』の符で上半分が消滅したクラッカー(の残骸)を手にしたまま、座り込んだマサオミさんは青い顔でつぶやきます。ヤクモさんは草履をはいて庭に下り、マサオミさんを助け起こしてあげました。
「一体どうしたんだ。平安時代で何かあったか?」
マサオミさんはすごく何か言いたそうでしたが、結局口の中でごにょごにょと何か言っただけであきらめたようでした。
「どうしたんだ? 困りごとなら力になるぞ。俺もイヅナさんに頼めば時渡りできる。こんなときのための零の力だ」
「ああ、そうじゃないんだ」
マサオミさんは苦笑し、わきにおいてあった銀色の箱を取りました。よく見るとそれは、ラーメン屋などで出前に使われるおかもちなのです。
「じゃーん! 特製牛丼メイド・バイ・マサオミくんのお届けでーす!」
しゃっとフタを開くと、中には湯気の立つ牛丼が二つ、並んでいるのでした。ヤクモさんはびっくりしてしまいました。
「牛丼? おまえが作ったのか? なんで」
「さっきも言っただろ? ……いや、言ってないか。あんたの節季を祝いに来たんだよ。これ、一緒に食べようぜ」
ヤクモさんは目を見開き、ひとつ瞬きして、それから「ははっ」と笑いました。
「そうか……ありがたくいただくよ」
マサオミさんも笑顔でうなずきました。
2人は並んで縁側に腰掛け、あつあつの牛丼をほおばります。
「驚いたな。美味いじゃないか、これ」
「だろ? 全国の牛丼を食べ歩いたこの俺が、練習に練習を重ねて作ったんだからな」
「牛丼食べ歩きか。平安時代の人間が作った牛丼だと思うと、なんだかすごく希少価値を感じるな」
「いやいや、俺はパソコン使える平安人ですから。これくらいは朝飯前です」
2人は声をそろえて笑いました。
「まさかあんたとこうして牛丼を食べる日が来るなんて、伏魔殿で初めて会った日には思いもしなかったよ」
マサオミさんがしんみりと言います。ヤクモさんもうなずきました。マサオミさんとは、出会って10秒で戦闘勃発した仲なのです。倒すか倒されるか。それ以外の可能性など考えたこともなかったのでした。
「覚えてるか? 大戦の最後に、伏魔殿が崩れる中で少し話したこと」
言われて、ヤクモさんは思わずマサオミさんを見ました。マサオミさんはというと、右手に箸を持ったまま、頭上の青空を見上げています。
「あの時、あんたに会えてよかったって言っただろ? あんたはピンと来なかったみたいだが、俺は今でもそう思ってる。あんたの戦う姿を見て、俺は自分が何をすべきか、ようやく気づくことができたんだ。今も、それは俺の中に生きている」
「余裕がなくて無我夢中でやってただけだけどな」
ぽつっと言ったヤクモさんに、マサオミさんは空を見上げたまま笑いました。
「あんたにはわからないだけだよ。リクも、ソーマも、きっと同じことを思ってる」
なんと返事してよいかわからなかったので、ヤクモさんは黙って牛丼を口に運びました。
やがて傾きかけていた太陽はだんだんと夕暮れの色になり、2人の丼はきれいにカラになったのでした。美味かった、と2人は口々に言い合います。
「牛丼食べるの、久しぶりなんだよな。あんまりこっち来ると姉上に叱られてさ」
「そうなのか。でも、時々戻ってこいよ。リクたちも会いたがってる。うちにもまた、遊びに来いよ。……そうだ、今度は俺が得意料理作って食べさせてやるよ」
「おっ」マサオミさんは笑み崩れました。「いいね、時々この時代の食べ物が恋しくなるんだ。で、あんたの得意料理ってのは?」
「妖怪汁だ」
ヤクモさんは胸を張って言いました。
「結構うまいぞ。伏魔殿で散々改良したからな。次来た時に作ってやるから、たくさん食べろよ」
ヤクモさんは輝くような笑顔でしたが、対するマサオミさんは、いつのまにか顔から血の気を無くし、微妙に逃げ腰になっているのでした。
「そ……そうか。楽しみにしてるよ。俺もう帰らないと姉上が怒るから」
「そうか。ウスベニさんとタイザンさんにもよろしくな。……今日はありがとう」
「いや、気にするなよ。本当に。そんじゃな!!」
逃げるように駆け去るマサオミさんの背に、「待ってるからな!」と呼びかけ、ヤクモさんは手を振りました。
「これも絆かな? ありがたいもんだな」
美しい夕日に向け、ヤクモさんは微笑みとともにつぶやきました。と、零神操機からサネマロの声がします。
『ヤクモ様、今はもう妖怪汁が作れるほどの数を捕まえるのは難しいでおじゃるよ』
『伏魔殿、なくなっちゃったよ、ヤクモ』
「あ、そうか」ヤクモさんは手を打ちます。「そうだったな。なら……、そうだ、最近ヒトハに教えてもらった豚丼を作ってやることにしよう。あいつ牛丼好きだからな、きっと豚丼も気に入るさ」
リクやソーマにも声をかけたら喜ぶだろう。そんなことを考え、ヤクモさんはなんだかとても嬉しくなったのでした。
それからヤクモさんは日夜豚丼の腕を磨いて待っていたのですが、マサオミさんはずいぶんと長い間、太白神社に遊びに来なかったそうです。
06.10.2