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軍人青龍と17歳 +
ある日のことです。天流闘神士吉川ヤクモさんは、伏魔殿の片隅で木の根元に座り、じっと闘神機を見つめておりました。
『どうかしたでありますか、ヤクモ様』
青龍のブリュネにはそんなヤクモさんの姿が心配です。というのも、この間ヤクモさんは見知らぬ天流闘神士をかばって神流の消雪使いと一騎打ちをしたのですが、そのときもずいぶん動きが悪かったからです。そのため、消雪のマガホシに直接攻撃を食らいかけ、危うく符で逃れるような場面もあったのでした。
『まさかあの時、頭でも負傷したでありますか』
「いや、大丈夫だ。心配するなブリュネ。ただ考えてたんだ。この闘神機、もう限界だな…と」
『限界でありますか』
なるほど、とブリュネは思いました。このところヤクモさんの印が冴えなかったのは、闘神機のせいだったのです。
「名落宮に行くぞ、ブリュネ」
ヤクモさんは立ち上がりました。
「零の封印を、解く」
『了解であります!』
びしりと敬礼を返し、ブリュネは気合を入れました。この伝説的闘神士には、源流零神操機こそがふさわしいと思っていたからです。零の開封は命がけだと聞いています。ならばせめてその場所につくまでの間は、自分が契約者を守らなくてはなりません。
『……じゃあ、やっとブリュネだけじゃなくボクたちも降神してもらえるようになるんだね』
『ブリュネの独り舞台はずるいでおじゃるよ』
闘神機の中からサネマロたちのぼやきも聞こえます。そう、今の闘神機では降神できるのはブリュネだけなのです。5体も契約しているというのに、ヤクモさんは今の今まで1体しか降神できない闘神機を使い続けていたのでした。
「すまない、みんな。もっと早くに零の封印を解くことになると思っていたんだ。それがつい伏魔殿探索に夢中になってしまって」
ヤクモさんはばつが悪い様子で頭をかきました。それを見て、
『いや、ヤクモ様の責任ではないであります』
ブリュネはびしっと言います。
『単に敵が弱すぎただけであります。自分ひとりでも相手できる程度のものしか出てこなかったから、零の封印を解くにいたらなかったのであります』
「確かに、神流数人に囲まれても、ブリュネ一人で問題なかったもんな……」
ヤクモさんもぼんやりといいました。と、
「天流めが! 黙って聞いておればいい気になりおって!」
「よせ、ショウカク!」
物陰から2人分の声と争うような音がしました。後の声は若干小さかったようです。やがて誰かが誰かを蹴倒すような物音の後、向こうの大岩の上に神操機を手にした男の姿が現れました。
「くず野菜の分際で大口をたたきおって! タイザンが駄目と言うから位の高い闘神士は出てゆかなかっただけだ! 貴様が倒してきた者など小者中の小者、その程度で我ら神流を侮辱することは許さん!」
「だからタイザンに叱られるって…」
「黙っておれガシン! 偵察だけで帰るなど、俺には我慢できん!」
もう一人は出てくるつもりはなさそうです。岩の上の男は頭から湯気を出しそうな顔で、神操機をふりました。
「式神降神!」
「大火のヤタロウ、見参」
戦う気まんまんのようです。ヤクモさんが舌打ちするのがブリュネには聞こえました。何しろ今は闘神機が壊れかけなのです。
「仕方ない、退くぞブリュネ。符で目くらましをして……」
『その必要はないであります!』
ブリュネは胸を張って言いました。ヤクモさんは天流随一の闘神士。その彼が敵前逃亡など、断じてなりません。
『自分に策があります。ヤクモ様、降神を』
「策? お前にか?!」
『……おかしいでありますか?』
「いや、別に」
ヤクモさんは咳払いし、軽く周囲を見回してから「よし、じゃあ一応な」と闘神機を掲げました。その動作は「とにかく退路だけは確認しておくか」というものに思えましたが、ブリュネにはどうしてヤクモさんがそんなしぐさをするのかわかりませんでした。
「式神、降神」
「青龍のブリュネ、見参!」
「で、どうするんだブリュネ」
「こうするであります!」
ブリュネは一声吼えると、いきなりヤタロウに飛びかかりました。印も無しにです。ヤクモさんが制止する間もなく、ブリュネの鋭いかぎ爪がヤタロウの顔を襲い、サングラスをもぎ取りました。
ブリュネはそのまますばやく舞い上がります。ヤタロウはというと突然の事態に対応できなかったのかしばらく呆然とした後、
「め、メガネがっ! どこだ、メガネは」
あわてて顔やら頭やらをぺたぺた触って探し始めました。
「なんと!」
ショウカクの驚愕の叫びも聞こえます。
「あれは顔の一部と思っていたが、違ったのか!」
「……なー。もういいじゃん。帰ろうぜ」
物陰からひどく冷めた声がしました。
「メガネがなくては戦えぬ! ショウカク殿、俺は神操機に戻るぞ」
「チッ……」
ショウカクは舌打ちし、ヤタロウの戻った神操機を袂に投げ込むと、ヤクモさんに憎々しげな視線を向けました。
「今日は不覚を取ったが…覚えておれ! 次にあったときが貴様の最期だ!」
そして物陰の気配とともに、脱兎の勢いで去ってゆきました。
「うむ。作戦成功であります。ん? どうかしたでありますか、ヤクモ様」
「いや……。意外と人生ってチョロいんだと思ってさ……」
ヤクモさんの言うことはブリュネにはよくわかりませんでしたが、気にしないことにしました。彼は時々、とても考えの深いことを言うので、ブリュネの理解が追いつかないことがままあるのです。
とにかく、ヤクモさんに土がつくような事態は避けられた。それがブリュネには満足でした。自分の契約者は、間違いなく当代一の闘神士。そこいらの闘神士と一対一で負けるようなことがあってはならないのです。
そして、と。ブリュネは胸を張りました。自分はその当代一の闘神士とともに戦う栄誉を与えられた、誇り高き青龍族であると。今まで、どれほどの数の神流闘神士に囲まれても、ブリュネ一人で難なく蹴散らしてこれたのは、紛れもなくヤクモさんとの絆がなせるわざなのです。それは戦うのが自分ひとりでなくなっても、けして変わらないでしょう。
『ヤクモ! 早く名落宮に行こうよ!』
『零の封印を解くでおじゃる』
『我らはいつでも戦えるぞ』
『出番待ちってのはなかなかつらいもんなんですよ〜』
闘神機から、ほかの4体がせかす声も聞こえます。
「そうだな。闘神機も限界だ。このまま名落宮に行こう。ブリュネ、戻れ」
『イエッサー!!』
ブリュネは誇り高く、そして最大級の敬意をこめて契約者に敬礼を取りました。
06.9.25