+  ウサ耳までの長い道のり  +



 ……つまりは、人手不足ってことなんだろうなあ。

「本日より闘神士ヤクモさま付きの巫女となりました、ナズナと申します」
 そう言って深々と頭を下げる少女を見て、まず最初にヤクモの頭に浮かんだのはそんな一文だった。

 ヤクモ様付きの闘神巫女が本殿より送られてくるそうです、といわれたのは今朝だ。突然の話に驚いたものの、その時はすでに、すぐ玄関を飛び出さねば中学校に遅刻する刻限だった。詳細は帰ってから聞こうと思って家を出て、授業を受けて、帰ってきたら……いた。
「未だ修行中の未熟者でございますが、精一杯努めますゆえ、どうぞよろしくお願いいたします」
 そう言ってさらに深く頭を下げる少女は、どうみても小学校低学年。きっちりとした袴姿には一分の隙もないが、それがより幼さを印象深くしている。それを見てヤクモはつくづくと、天流には闘神士も巫女も足りないのだと痛感したのだ。
 だが、子どものおもりを押し付けられたと不満に思ったわけではない。こんな小さいのに働きに出されてたいへんだなあと、そういった同情の類だ。
「こちらこそ、よろしく。俺もまだ修行中だから、巫女付きになるような闘神士じゃないけどさ……」
 そう言って軽く握手を求めて右手を差し伸べたのだが、ナズナのほうはヤクモの目をしっかりと見据えて頭を振った。
「いいえ。先の大戦に終止符を打たれた闘神士ヤクモさまは、当代の天流随一の実力者。本殿でも、誰もがそう認めております。お仕えできることを、心から光栄に存じております」
「……ハハハ」
 乾いた笑いを返すしかない。
 用意された部屋へ案内するというイヅナに付き添われナズナが去った後、ヤクモは肺全部の空気を使って盛大なため息をついた。
「随分と真面目そうな子だな」
「とうさん」
 いつのまにかモンジュがそばに来ていた。白小袖に袴姿の父親は腕組みして楽しそうな笑顔だ。
「なんだかすごい子が来ちゃったなあ……。とうさん、俺うまくやってけるかな」
「初めて来た場所だし、緊張もしてるだろう。そのうち自然体になるさ」
「あ……そっか。……そうだよな」
 あんな小さな子が1人で他所の家に来て、不安にならないわけないじゃないか。ヤクモは改めて納得して、大きくうなずいた。
「わかった。俺、あの子にここが自分の家だと思ってもらえるようにするよ」
 意気込むヤクモに、父親はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「だが、おまえが先の大戦を終わらせたというのは本当のことだからな。無礼のないようにと、本殿の者が言い含めてるんだろう。道のりは長いかもしれないぞ」
 ヤクモは辟易して、またため息をついた。
「俺は大戦なんか終わらせてないよ……とうさんを助けただけで」
 モンジュは瞳を和ませて笑い、ヤクモの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。


 一週間も経てば緊張もほぐれるだろうというヤクモの読みに反し、ナズナの態度は一向に改まらなかった。朝、顔をあわせれば「おはようございます」と深々と頭を下げ、朝食を終えれば「おいしゅうございました」と深々と頭を下げ、ヤクモが出かける時間になれば「いってらっしゃいませ」と深々と頭を下げる。疲れはしないかとのヤクモの気遣いも「ご心配には及びません」とはねつけ、そしてにこりともしない。生真面目な無表情だ。
 どうにも息苦しくて、ヤクモの帰宅時間は毎日じりじりと遅くなった。シマムラたちとつるんだり修行場へ行ったりして時間をつぶす。一定時間を超えて遅くなると、イヅナに叱られるのでしぶしぶ家に帰るのだが、あの硬い無表情が「おかえりなさいませ」と頭を下げて出迎えるかと思うと、自然にその足も鈍った。
「ヤクモさま、今日はどちらにおでかけですか?」
 珍しくナズナがそう問いかけてきたのは3週間の後、小雨がさらさらと降る日曜の朝だった。
「いや、今日は出かけないよ。契約の儀式をする」
 右手の闘神機を示すと、ナズナは――珍しく――目を見張った。
「契約の儀式、ですか? ヤクモさまはもう、4体もの式神をお持ちではないですか」
「ああ……でも、まだ足りないんだ。……って最近痛感してさ」
 隠し神殿での儀式には、モンジュとイヅナ、そしてきっちりと背筋を伸ばしたナズナが参加した。ヤクモの呼び声に応えて障子の向こうに現れた影は、ヤクモが名乗るとからからと笑い、それならば自分の主にふさわしいと言った。
「一度まろを倒した闘神士でおじゃるからな……。まろは学問を司る式神、榎のサネマロでおじゃる!」
 障子の向こうから式神が飛び出してくる。ふと振り返ると、ナズナはまぶしい灯りを見るような顔でヤクモの方を眺めていた。
 ナズナがヤクモの部屋を訪ねてきたのはその夜だ。しかし部屋には入ろうとせず、縁側に正座して部屋の中のヤクモに相対した彼女は、いつもよりさらに硬い表情をしていた。そして唐突に、ヤクモさまはやはり当代随一の闘神士、その力で地流を抑えようとはお考えにならないのですかと問うたのだった。
「地流……のことはとうさんや本殿の人に任せてるから……」
 言葉を濁そうとしたが、ナズナはそれで納得しなかった。地流の手のものが手当たり次第天流闘神士を狙っていることを口にし、反撃するつもりはないのかと厳しい瞳でこちらを見つめた。
 ヤクモは困り、頭をかき、そして腹をくくることにした。
「……俺は伏魔殿の探索に専念してるんだ、今は」
「伏魔殿の探索? なぜです、あのような忌まわしい場所を……」
「ちゃんとした理由がある。でも、今の君には言えない」
「……では、次の伏魔殿探索にはわたしもお連れ下さい」
「できないよ、それは」
「なぜです? わたしが頼りないからですか!」
「そうじゃない。ナズナ、俺は闘神士だけど、君は巫女だ。闘神士には闘神士のやるべきことが、巫女には巫女のやるべきことがある。そうだろ?」
 と言ったのは嘘か本当か微妙なところだ。未だ幼い彼女を近く始まるだろう神流との大戦に巻き込みたくはなかったのだ。
 6年前の自分が否応なく巻き込まれた先の大戦が、一瞬にして頭をよぎっていた。
「とにかく、今は天流と地流が覇権争いをしてる場合じゃないんだ。覚えておいてくれ、ナズナ」
 真摯な思いを込めてそう訴えたのだが、ナズナは返事をせず、じっとヤクモの顔を見つめていた。そして唇を引き結び、
「しばらく、お暇をいただけますか」
「おひま? ああ、休暇ってことかい? 俺は構わないけど」
 ナズナは深く頭を下げ、すいと障子を閉めて去っていった。


 その時のナズナの瞳がずっとヤクモの中に残っていた。俺は不用意に彼女を傷つけたのかもしれない。 伏魔殿探索の理由を話さず、同行も断った。ナズナはそれを、自分が巫女を信頼していないことの証だと思ったに違いない。そんな気がしてならなかったのだ。
 その思いに追い討ちをかけたのが、翌朝顔をあわせたイヅナの、
「朝早く、ナズナが本殿に戻ると言って出てゆきました。ヤクモさまへのごあいさつは済んでいるからと」
という言葉だった。自分はとてもひどいことをしたのだと思い、数日の間ヤクモは何年ぶりかの自己嫌悪に陥った。しかし、
 ―――でも、あんな小さい子をそうそう巻き込むわけにもいかないしな……。
 結局思考はそこに戻る。それが彼女のためだった、いつかわかってくれるだろうと、そう考えることで自分を納得させるばかりだ。
 あれからちょうど一週間。ナズナは今ごろどうしているだろう。本殿で修行しているのだろうか。それとももう他の闘神士の元へと向かったろうか。元気にしていてくれればいいが……。
「―――ヤクモさま」
 考えに沈んでいたところに声を掛けられ、ヤクモは慌ててもたれていた自室の障子から背を離した。ナズナが縁側にきっちりと座っている。
「ナズナ! 帰ってたのか!」
 驚くヤクモとは対照的に、ナズナは平然と一礼した。
「はい。つきましては、ご報告したいことがあります」
「報告? なんだ?」
 ナズナはいきなり立ち上がって右手に神操機を掲げた。
 ―――神操機?!
「式神、降神!」
 ヤクモが驚きの声を上げるより早く、ナズナが凛とした声を張り上げた。異世界との狭間を仕切る障子が現れ、その向こうから式神が飛び出してくる。
「柊のホリン、見参!」
 そう名乗りをあげた式神は、ナズナの横にちょこんと飛び降りる。ナズナはそのいたずらっぽい笑みをてのひらで示し、
「……昨日、わたしと契約した式神です。ホリン、ヤクモさまにごあいさつなさい」
「あんさんがヤクモはんですか。よろしゅう頼みます」
 ヤクモはあっけに取られているしかなかった。
「神操機……契約したのか?」
「はい。ヤクモさまのお役に立つためには、必要だと思いましたので」
 その顔には少しの迷いもなく、引き結んだ唇の上で大きな瞳がまっすぐにヤクモを見つめていた。
 自分より背の高い式神を従え、すっくと立つナズナの視線を受け止めているうちに、ヤクモの顔にはだんだんに微笑が広がっていった。のどから小さな笑いももれる。
「そうか……そうだよな。わかったよ、ナズナ」
 彼女には彼女なりの覚悟があって、それは自分の予想していたものよりずっと強固なものなのだ。
 どうやら自分は彼女の遇しかたをはきちがえていたらしい。
 不思議そうな表情のナズナに、ヤクモは明るい笑いに口元をほころばせて声を投げた。
「いい式神だな。名前は何ていうんだって?」
「あ……はい。ホリンと申します。種族は柊で、………あの、」
 ナズナはひどく逡巡し、微笑むヤクモの目から視線を外して、小声で続けた。
「ヤクモさまが契約なさった榎と同じ、木属性です。嬉しゅうございました」

06.4.15



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かいてるうちにどんどんヤクモ×ナズナみたいになってきてしまった。ちがうんですちがうんです。
この二人は兄妹みたいな関係が理想です。(イヅナさんとヤクモさんも姉弟っぽい関係が理想)
ナズナはすごくヤクモさんを尊敬してるところが好きです。
あの「ありがたきお言葉!」は可愛すぎて転げまわりました。
それにしても、モンジュさんイヅナさんを呼び捨てで書くのに、こんなに抵抗を感じるとは……(笑)