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天流宗家とご一行 +
ある日のことです。長きに渡る神流との抗争が終わった天流闘神士吉川ヤクモさんは、再建された太白神社に戻ってきておりました。天流の伝説闘神士には、それとは別におうちのお手伝いという重要な任務があるのです。
・ 場面1 ・
「さてと……これからどうするかな」
袴姿のヤクモさんは社の階段に腰掛けてつぶやきましたが、別に将来のことについて悩んでいるわけではありません。午前中はイヅナさんの代わりに太白神社の掃除をしたりお客さんの相手をしたりしていましたが、買い物から戻ってきたナズナちゃんが代わってくれましたので、さて午後はどうしようかと考えているところでした。半ば趣味と化していた伏魔殿探索ができなくなってしまい、うっすらとヒマなのです。
「一人でいてもつまらないし、シマムラかヒトハあたり、つかまるかな」
遊びに出かけるなら今の袴姿から洋服に着替えなくてはなりません。自分の部屋に戻ろうとした背中に、「ヤクモさん!」と明るい声がかかったのでした。
「こんにちはヤクモさん。ご無沙汰してます」
そう言って頭を下げるのは、天流宗家太刀花リクでした。地流・神流との戦いを終わらせた立役者たる彼は、相変わらずのはにかんだ微笑みとともに駆け寄ってきます。
「やあリク。久しぶりだな」
「お仕事中でしたか?」
リクはヤクモさんの小袖に袴のいでたちを見てそう言います。中学生ながら気配りのできる子なのです。
「いや、今ちょうど暇になったところだったんだ。どうしたんだ、今日は」
はい、とリクはうなずきます。
「コゲンタとも無事に契約満了できたことだし、そろそろ新しい式神と契約しようかなって」
ああ、とヤクモさんは納得しました。リクは天流宗家だし、今もまだ妖怪が現れることがあります。新たな式神と契約する必要があるのです。
「そうか……。それで俺のところに来たんだな。よし、新しい式神との契約の儀式をすることにしよう。今度はどんな式神がきみの相棒になるんだろうな」
そう言って社への道を取りかけたヤクモさんに、リクは「はい、実は……」とこころもち下を向き、頬を染めて鼻の頭を掻きました。
「僕、小さい頃からイルカが大好きなんです。だから、出来たらイルカの式神がいいなって……」
ヤクモさんは3秒ほどの時間を現状把握に費やしました。
・ 場面2 ・
「ええっと……ちょっと待っていてくれ、リク」
「はい、ヤクモさん」
ささっと社の角を曲がってリクから見えないところに入ったヤクモさんは、小袖のたもとから零神操機を取り出しました。すぐに五行の式神が出てきます。
『イルカの式神がほしいと言っていたでおじゃるな……』
『イルカの式神というと、自分は一体しか知らぬであります』
全員の目が、消雪のタンカムイに向かいます。
『……ボク?』
ぷるぷるしながら尋ねたタンカムイから、全員一斉に目をそらしました。
「ちょっと待てみんな、本当にイルカの式神がタンカムイだけってことはないだろう。消雪族は他にもいるんじゃないのか?」
ヤクモさんの問いに、しばし沈黙が流れました。
『タンカムイ以外の消雪族は、クジラ型のクジラベエ翁と、サメ型のマガホシでおじゃる』
「ほかに……いないのか?」
サネマロは重々しくうなずきました。タンカムイがさらにぷるぷるします。
「とりあえず戻れ、みんな」
五体を零神操機に戻したヤクモさんは、社の影から出てリクのところに戻りました。野良猫と遊んでいたらしいリクが、「あ、おかえりなさい」とほっこら笑います。ヤクモさんはなんとなく零神操機の入ったたもとを握りしめながら、
「新しい式神の話だけど、リク、猫の式神なんかどうだ? 豊穣族というのがいて、彼女たちは猫の式神なんだ」
リクは小首をかしげ、猫の頭を撫でました。
「猫も好きですけど、一度契約満了してるし、今はいいです」
あ、コゲンタってやっぱりそういう扱いなんだ〜。とヤクモさんは思いました。リクは見る者の心を癒すような微笑を浮かべ、
「式神との出会いは縁で、どれって選ぶことは出来ないってわかってますけど、やっぱりイルカの式神がいいです。このぐらいの、」
と自分の肩くらいの高さを示し、
「このくらいの大きさのイルカと一緒にボート部の合宿に行って、湖で遊べたら最高だなあって、僕最近ずっと思ってたんです」
「そ……そうか。ちょっと待っててくれ」
「はい」
リクの微笑をその場に残し、ヤクモさんはまた社の陰に回ります。
『あれは宗家の命令になるのか?』
『タンカムイがほしいって、言ってるように聞こるねぇ〜』
『笑顔の脅迫でおじゃるか?』
さっそく出てきたタカマルたちは、なんというか微妙な顔をしています。
『ヤクモ、ボクをリクにあげちゃうの? ボクを捨てちゃうの?』
イルカさんは既に涙目です。ヤクモさんの小袖にすがろうとするのでした。
「そんなわけないだろうタンカムイ、安心しろ」
タンカムイの頭を撫でる真似をし(霊体なので実際は撫でられません)、
「大丈夫だ、今のリクには式神がいない。生身で符の投げあいになったら俺の勝ちで決まりだ」
いきなりバトルを想定した発言をするヤクモさんも、あまり冷静ではないのでした。
「たとえリクに式神がいたとしても、戦ったら勝つのは俺たちだ。誰も俺たちの絆にはかなわないさ」
そう言ってもう一度撫でる真似をし、ヤクモさんはリクのもとへ引き返しました。
「リク、さっきの話だけど、猫がダメなら犬の式神とかはどうかな。俺の会ったオニシバという霜花族は犬の式神だったが、すごくかっこいい式神だったよ。武器も飛び道具で使い勝手がいいし、あれは粋な式神だったなあ」
オニシバが今フリーなのかどうかはヤクモさんにはわかりませんが、とりあえず熱烈に薦めておきます。しかしリクは困った顔をしたのでした。
「僕、小さい頃に犬にかまれたことがあって、それからちょっと苦手なんです。ポメラニアンくらいの小さな犬なら平気なんですけど」
「そ……そうだったのか。すまない、リク」
霜花族は柴犬・土佐犬・ドーベルマン。こわもてぞろいです。あきらめたヤクモさんは意を決しました。小袖の胸に手を当てて息を整えます。そして、
「リク、イルカな式神がほしいというきみの希望はよく分かった。でも、タンカムイは俺には本当に大切な仲間なんだ。きみにとってコゲンタが大事だったようにな。だからタンカムイは渡せない。わかってくれ」
「えっ……」
リクは目を見開いてヤクモさんを見上げました。信じられないと訴えかけるように震える肩で、
「タンカムイって……イルカだったんですか? 僕、何かよくわからない生き物かと……」
「…………………………………知らなかったのか?」
「ええ。だってイルカって足ついてませんよね」
そう言いきるリクの後ろで、
『タンカムイ!』
『タンカムイ、待つでおじゃる!』
零神操機から飛び出したイルカが、涙をほとばしらせながら遠くへと走り去ってゆきました。
天流宗家の天然パワーよりも、ヤクモさんと式神の絆のほうが勝ったのです。
− 完 ー
06.1.05