＋　 風邪っぴきのご一行 　＋





　ある日のことです。実家の太白神社ではき掃除をしていた天流闘神士吉川ヤクモさんは、ふっと寒気を覚えて身を震わせました。
「なんか、ぞくぞくするな……」
　それと同時に、何か嫌な感じもしたのですが、その場はあまり気にせず、そのまま掃除を続けたのでした。


　・　場面１　・

「そこで戻っておいでになれば、ここまでひどくはならなかったかもしれませんね」
　ため息混じりに言ったのは闘神巫女イヅナさんです。障子の向こうからは、縁側に降り注ぐ冬の日差しが座敷に差し込んでおりました。そんな部屋でヤクモさんから受け取った体温計を覗き込み、
「38度越えてますよ。ヤクモさま、風邪が流行っていることはご存じでしょうに、おかしいとは思われなかったんですか？」
「うん……そういえばそうだったな……」
　布団の中で、くらくらする頭を抱えたままヤクモさんは弱く笑いました。熱いのに寒気がするし、のどは痛くてぜいぜいするし、頭はぼんやりしています。完全に風邪です。
「おまえが風邪を引いて寝込むなんて、十年ぶりくらいじゃないか？」
　イヅナさんに並んで布団脇に座ったモンジュさんは、そう言って笑いました。
「前の時は、風邪ぎみだからおとなしくしておけと言ったのに、いつのまにか雪合戦に飛び出していってしまったんだったな。どれ……」
　そう言って額に当てるモンジュさんの手が、今のヤクモさんにはたいそうひんやりして感じられるのでした。思わず目を閉じてうとうととしてしまいそうです。
「……本当に熱が高いな。イヅナくん、今日の儀式は俺一人でやるから君は残ってくれ」
「はい、承知いたしましたモンジュさま。ヤクモさまをこんな状態でお一人にしておくわけにもいきませんものね」
　ヤクモさんは閉じていた目をぱっちり開きました。今の会話はきっと、昼から出かけることになっているお祓いの儀式のことでしょう。
「いいよ、イヅナさん。俺よりとうさんのほうを。いつも３人でやってるのに、とうさん一人じゃたいへんじゃないか」
「３人じゃないぞヤクモ。おまえが留守がちだからいつもは大体俺とイヅナくんの２人だ。それに今のおまえを一人にさせておけないだろう」
「そうですヤクモさま。ご病気の方をお一人ではほうっておけませぬ」
「いや、でもさ……」
　ヤクモさんが反論しようとした時、
『ちょっと待つであります！』
『一人で一人でって、ボクたちもちゃんとついてるよ！』
『忘れてもらっては困るでおじゃる』
『うむ、ヤクモのことは我らにまかせてもらおうか』
『おかゆだってちゃんと作れますよ〜』
　わらわらと零神操機からヤクモさんの式神たちが現れました。５重音声で言い募りますがしかし、
「霊体のあなたたちにおかゆが作れますか？　冷やしタオルを取り替えられますか？　汗を拭いてさしあげられますか？」
『降神してもらえばできるであります！』
「ふせっておられるヤクモさまに、これ以上の気力の消耗を強いる気なのですか」
　さくっとイヅナさんに撃墜されました。しおしおと零神操機に戻ってゆきます。
「ではモンジュさま、行ってらっしゃいませ」
「ああ。イヅナくん、ヤクモを頼むぞ。……ヤクモ」
　呼ばれて、ヤクモさんは布団の中で薄目を開けました。とろとろと眠気が押し寄せてきているのです。
「とうさんが戻るまで、おとなしくしてるんだぞ」
　はい、と答えたつもりでしたが、それは夢だったかもしれません。



　・　場面２　・

『眠ってしまわれたでありますな』
『つまんないや』
『降神さえしてもらえりゃ特製玉子酒をつくれるってのによ〜』
『あの闘神巫女はものの道理がわかっていないでおじゃる』
　零神操機の中で、五行の式神たちはぶーたれておりました。
『しかたあるまい。闘神巫女の言うことにも一理ある』
　そう言ってひきさがろうとするのはタカマル一人だけで、あとの四人はぶつくさと不平不満に余念がありません。しかし神操機から出てイヅナさんに直接それを言おうとする者はいませんでした。ヤクモさんの頭の上がらない人相手では、五行の式神たちには手も足も出ないのです。
『おちつけ皆。我らが神操機の中で騒いでいては、ヤクモもゆっくり眠れまい。今はおとなしくしよう』
『……ヤクモ様のためならばしかたないでおじゃるな』
　タカマルの説得に、ようやくサネマロが応じた時です。遠くで　　　　正確には神操機の外で　　　　イヅナさんの悲鳴が聞こえました。
「妖怪っ！？　どこの鬼門からあふれたのです！」
　妖怪だって？！　五行の式神たちも一斉に反応しました。イヅナさんに続いて零神操機から縁側に飛び出すと、人魂のような妖怪がいくつも、炎を揺らめかしてこちらへと飛んでくるのが見えたのです。火行の妖怪が５匹。猛スピードでこちらに迫ります。
　五体は即座に得物を構えました。
『ヤクモ様は我らが守るであります！』
　そう叫んで繰り出したブリュネの槍は、思い切り妖怪をすり抜けました。
『……あれ？』
　ちょと考えてから思い至りました。今は誰一人降神されていないのです。何もできないのです。五体の背筋は凍りました。
　と、
「式神、降神！！」
　あれっと振り向いた五体は、たちまち零神操機に引き戻され、障子にとり囲まれました。それが開いて飛び出したのは、
「消雪のタンカムイ、見参！」
　パジャマ姿のまま零神操機を掲げたヤクモさんは、立ってはいるものの、だいぶくらくらするらしく縁側の柱によりかかりながら印を切ります。
「坎震離坎！」
「必殺、怒涛水！」
　タンカムイの放った技は、たちまちのうちに妖怪を飲み込みました。タンカムイは消し飛ばされた妖怪には目もくれず、すぐさま身を翻します。
「大丈夫、ヤクモ！」
『ヤクモ様！』
『ヤクモ！』
　駆け寄ったタンカムイと、神操機から飛び出した五行の式神たちが手を差し伸べるより早く、ぐらりとかしいだヤクモさんの体を支えたのは、神主の装束に包まれた腕でした。
「とうさんが戻るまで、おとなしくしていろと言っただろう、ヤクモ」
　モンジュさんはそう言いながら右手で符を放りました。タンカムイの怒涛水の向こうから現れた最後の一匹が、「滅」の字に包まれて消滅します。
「ヤクモさま、モンジュさま！」
　遠くからイヅナさんの声が聞こえてきたようでもありました。


　ヤクモさんは夢を見ておりました。
　太白神社にランゲツが現れた、あの日の夢です。
　ランゲツとマホロバはモンジュさんを攻撃し、倒そうとしているのでした。ヤクモさんはそれを止めたくて必死で闘神機を振ろうとするのです。モンジュさんはやめろと言いますが、とうさんが傷つけられるのをただ見ていることなどヤクモさんにはできないのです。けれど体じゅうがだるく、節々が痛くて、とても動けないのでした。
　このままではとうさんが。息苦しさに眉根を寄せてヤクモさんは思いました。と、不意にその苦しさがすっと退いていったのです。
　 　あれ、という感覚とともにヤクモさんは目を覚ましました。額にはひんやりした感覚が重みを伴って乗っかっています。まぶたを開いてみると、それは青い色をしたヒレでした。
　ああ、タンカムイだと、ヤクモさんは思いました。降神したまま意識を失ったことは思い出せませんでしたが、どうしてタンカムイが俺の額に手を乗せているんだろうと考えることもしませんでした。
　ヤクモさんのおでこを冷やすタンカムイの横にはモンジュさんとイヅナさんがいて、そして上には四つの霊体が浮かんでいたのですが、それはヤクモさんの目に映ったのかどうかはわかりません。
　ただちょっと安心して、再び眠りに落ちていっただけです。



　−　完　ー　

05.12.30