+
父の日のご一行 +
ある日のことです。天流闘神士ヤクモさんは、珍しく伏魔殿ではなくおうちの台所にいました。
というのも今日は6月の第3日曜日。つまり父の日だからです。
父1人子1人の父子家庭で育ったヤクモさんにとって、お父さんであるモンジュさんはとても大切で重要な人でした。加えてモンジュさんは人格的にもたいへん立派で、みんなから慕われるような人柄です。ヤクモさんはモンジュさんをとてもとても尊敬していて、高校受験の面接で「尊敬する人は誰ですか?」と問われたときも間髪いれず「父です」と答えてしまったほどなのでした。(ちなみにそのとき面接官の先生に「年不相応に落ち着いてますね。本当に中学生?」と尋ねられたことには軽く傷ついたのでした)
とにかく大事なお父さんにおいしいものを食べさせてあげようと、ヤクモさんは朝から準備に大忙しなのでした。
― 場面1 ―
「ヤクモさま、何かお手伝いすることはありますか?」
ヤクモさんが忙しく立ち働く台所に、そう言って姿を見せたのはモンジュさん付きの闘神巫女、イヅナさんでした。
モンジュさんが石になっていた間、代わりにヤクモさんの面倒を見てくれていたこの人も、ヤクモさんにとってはとても大事な人です。
17になった今もまったく頭があがらず、たまに「ヤクモさま、ちょっとそこにお座りください」と厳しい声で言われようものならおとなしく正座し、おとなしく叱られておとなしく「ごめんなさい」と頭を下げるような間柄なのでした。叱られる内容というのも、
「最近無茶をなさりすぎです。ヤクモさまになにかあったらモンジュさまがどれだけ悲しまれるとお思いなのですか」
というものなので、ますます頭が上がらないのでした。
「いいにおいがしますね。モンジュさまがお好きな肉じゃがですか?」
「うん、あとケーキも焼こうと思ってる。とうさん甘いものも好きだから」
「あ、それはお喜びになりますよ。では買い物のついでにクリームとイチゴでも買ってまいります」
「うん、ありがとう」
イヅナさんやモンジュさんと話すときは微妙に幼い口調になってしまうのも無理からぬことでした。
「あなた方も、あまりヤクモさまのお邪魔をしてはなりませぬよ」
『はあーい』
『当然でおじゃる』
『ワタシはお手伝いしているのですよ!』
ドライブから顔を出して鍋を覗き込んだりもっとしょうゆを足せと言ったり、にぎやかに邪魔している式神たちに軽く釘をさしてイヅナさんは去ってゆきました。
ひと煮立ちした鍋を火から下ろして新聞紙で何重にもくるみ、とりあえず肉じゃがは味の染みるのを待つばかりです。天流の最強闘神士はこんな生活の知恵も得意なのでした。ヤクモさんは麦茶のコップを食卓に置いて一息つくことにします。と、タンカムイが首をかしげて言いました。
『人間は、お父さんとお母さんから生じるんだよね?』
「ああ、そうだけど? ……生じるじゃなくて生まれるだからな」
『モンジュさんがヤクモのお父さん?』
「ああ。……いまさら何だ?」
いぶかるヤクモさんに、タンカムイは嬉しそうに言いました。
『じゃ、イヅナさんがヤクモのお母さんなんだね!』
― 場面2 ―
『何を言っているでおじゃるか。イヅナ殿は父君の巫女でおじゃるよ』
一瞬置いて式神たちが呆れたようなため息をつきました。
『それがお母さんなんじゃないの?』
『ぜんぜんちがうぞ』
『ええ? そうなの?』
『もう少し人間のことを知ったほうがいいんじゃねえか?』
『タンカムイはまだ子どもでありますからな』
式神たちがかしましく言い合う中、ヤクモさんは一人固まっていました。
やっぱりそう見えるのか。という言葉が頭の中を高速回転していたのです。つまり、モンジュさんとイヅナさんが夫婦でヤクモさんがその子ども、な一家に見えるのか、ということです。
ヤクモさんは時々、「イヅナさんってとうさんのことが好きなのかな」と思う瞬間がありました。その『好き』はただの巫女が闘神士に向ける『好き』とは質も量もちがうものです。そしてそう思った次の瞬間には決まって、「とうさんもイヅナさんが好きなんだろうか」と考えてしまうのでした。もしそうだったとしても、ヤクモさんのお母さんはもう亡くなっていますから世間的に後ろ指さされるようなことではありません。
早くに亡くなったお母さんのことを、ヤクモさんはあまり覚えていません。小さかったので仕方ないのですが、それでもぼんやりとしか思い出せないということは、天国のお母さんに対してとても申し訳ないことのように思えるのでした。
そのお母さんのことを考えると、お父さんがイヅナさんを好きになってしまうことはとてもひどいことのように思えてしまうのです。もしお父さんが再婚するとか言い出したら、ヤクモさんは天国のお母さんに報告する言葉も思い浮かばないのでした。
しかしその一方で、大好きなお父さんとイヅナさんに幸せになってほしいという気持ちもあるのです。いや別にセットで幸せになる必要はないのですが、もしセットで幸せになる必要があるなら幸せになるためには2人セットで幸せになる必要があるわけでそうなるとお一人様幸せコースよりもセット価格のほうがお買い得ということになるわけで、
……ああ、もう!
頭が混乱してきてヤクモさんは食卓に突っ伏しました。式神たちは気付かずに人間の生物学的社会学的生態について討論を交わしています。突っ伏したまま、ヤクモさんはぎゅっと拳を握りました。
……俺は、イヅナさんのことをかあさんと呼べるのか?
……呼べる。よし、呼べるな。
……どういうことになってもうろたえないように、心構えだけはしておこう。よし、大丈夫だ。2人に突然話があるといわれても、笑顔で祝福できるぞ。
全部勝手な思い込みに過ぎないということも忘れ、ヤクモさんはそう心に決めるのでした。
周りでは式神たちがわいわいと騒ぎ、肉じゃがに静かに味が染みていっています。
若いのに人間が出来ているというのも、それはそれでたいへんなことなのでした。
− 完 ー
00.00.00