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それでもバレンタインですから 5 +
「ミ……ミカヅチ様!」
心臓がはね、反射的にぴんと背筋が伸びました。
「お……おいでだったのですか」
それだけ言うのがやっとのタイザンに、ミカヅチはじろりと視線を注ぎました。その目には、世界的大企業を一代で育て上げ、また滅亡寸前の地流をみごとに復活させた辣腕が隠しようもなくのぞいているのです。
「今日は病欠と聞いていたが。こんな夜中に忍び込んで、一体何をしている?」
静かで深い重みのあるその声には、どんな大声よりも強い詰問の響きが宿っています。タイザンは全身から冷や汗がふきだすのを感じました。
「そうだった、もともと、警報が鳴ったから駆け付けたのだったな」
クレヤマ部長も遅まきながら思い出したようです。続けて、
「警備の者に聞いたが、今日、お前の出社記録が残っていないそうだな」
ミカヅチがどっしりと述べた事実に、「何?」と目をむきました。
「ではタイザン、こっそり社屋に忍び込んできたということか。警報を鳴らしたのは本当にお前だったのか!? なぜそんなことを!」
立て続けに問いかけてくるクレヤマ部長よりも、タイザンには微動だにせずこちらを見ている地流宗家の口が静かに開く方がよほど恐ろしかったのですが、
「答えられんのか」
「い、いえ!」
それでもなんとか勇気と声を振り絞ったのです。
「仕事が気になって寝ていられなかったのです! ですが、病欠したのに今頃出社するのも体裁が悪く、ついこっそりと……!」
「仕事……か」
宗家ミカヅチはじっとタイザンに重々しい視線を注ぎました。何もかも見通すようなその視線は、タイザンにはあまりにも重く感じられるのです。しかし、
「……病欠したならおとなしく休養を取れ。次は許さんぞ」
「も、申し訳ありません!」
思わず90度のお辞儀になったタイザンを一瞥し、
「一社員が忍び込めるようでは話にならん。セキュリティの状況はどうなっている?」
セキュリティ責任者を呼びながら宗家ミカヅチは背を向けたのでした。彼がその場を去るまで頭を上げられないタイザンに、
『ダンナ、ほんとのところを言ったほうがいいんじゃありやせんかい』
オニシバがささやきます。
『ミカヅチの親分、どうやらダンナの謀略を疑っちまってやすぜ』
「出来るわけなかろう!」
頭を下げたまま、タイザンの目が怒りに燃えました。
「バレンタイン対策に失敗したなどと知られるくらいなら、神流の謀略を疑われるくらいなんだと言うのだ!」
『……ダンナがそれでいいんなら、あっしァかまいやせんがね……』
そして翌日の昼のことです。天流討伐部長室にいつも通りずかずか入ってきたオオスミ部長は、
「聞いたわよタイザン、風邪で休んだのに、仕事が気になって夜こっそり出社したんですって?」
いつもと少しトーンの違う声を出し、
「……オオスミ部長にも、ご迷惑をおかけしたようで」
咳払いし、目を合わせずに言ったタイザンに、口のはしをへの字に曲げたのでした。
「ま、私も研究が気になって帰れないことがあるから人のこと言えないけど?」
そしてずいっと右手を前に差し出すのです。タイザンは意味がわからずその右手とオオスミ部長の顔を見比べました。
「この手は?」
「私があげたチョコ、返しなさい。昨日机においといたんだから」
「オオスミ部長からもいただいていたのですか。他の女子社員には申し訳ないが、安全のためあのチョコの山は全て廃棄しなくては」
ここぞとばかりに言ったタイザンのイヤミを「そういうのいいのよ」とオオスミ部長は一蹴するのです。
「緑の包装紙に赤のリボンがかかったのあったでしょ。出しなさい」
「……はあ」
いつもとはまた違う妙な迫力に、タイザンはおとなしく紙袋に詰め込んであったチョコの群れから目的のものを見つけ出しました。
「これですか」
差し出したチョコをひょいと取り上げたオオスミ部長は、
「新開発薬品の実験台にしてやろうと思ってたのに、これでタイザンに倒れられたら私が悪者じゃないの」
白衣のポケットから出した小箱を、ぽいっとタイザンに投げたのでした。
「あげるのはそっちにするわ。病み上がりだし栄養のいいもの食べなさい」
「え? あの、これは……」
タイザンには意味がわかりません。目の前の、コンビニ売りのバレンタイン用チョコと、それを投げたオオスミ部長を交互に見るばかりです。
「地流にとって大事な時期って、自分で宗家に言ったんでしょ? 根つめすぎて倒れるんじゃないわよ、優秀な天流討伐部長さん」
いつものつまらなさそうな顔でタイザンを指差し、すたすたと去っていきました。
残されたタイザンは、唖然として身動きも取れません。やがてオオスミ部長のヒールが床を叩く音も聞こえなくなってから、
「なんなのだ、一体……」
ちょっと怒ったような顔で言ってみたタイザンは、
「オニシバ! 何をにやにやしている!」
傍らの霊体の表情に気づき、本当に怒った声を出しました。オニシバの方は契約者の怒りなどどこ吹く風で、
『そりゃァダンナ、あの姐さんがうちのダンナを気遣ってくださるってな嬉しいじゃありやせんか』
「何が嬉しいものか! 式神降神! このチョコ、責任持ってお前が食べろ!」
「せっかくのオオスミの姐さんのお心遣い、あっしが食べちまうわけにはいきやせんよ」
「ああもう……」
実に楽しげなオニシバに、タイザンはデスクの上で頭を抱えました。
「オオスミにまでまともなお返しを考えなくてはならなくなったではないか……! どこまで悩まされるのだ、今年のバレンタインは……」
「まァダンナ、これでも食べながらのんびり考えちゃァどうですかい」
飄々とオオスミ部長のチョコを差し出してくるオニシバに、デスクをひっくり返すかわめき散らすかとっさに決めかね、
「……ああもう」
結局また頭を抱えたのでした。
12.09.18