+ 大雪まつり10 13+


 闇が晴れてみると、そこは木立の中だった。復活した神流の里を囲む、深い森の入り口だ。
 そうだ、とタイザンは思い出す。大戦が終わって、この隠れ里に戻り、もう節季はまるまる二巡りに達しようとしている。そう気付いてみれば、自分はいつのまにか里で着ている簡素な小袖姿に戻っている。
 薪になる枝を拾いに、自分はオニシバとともに森に入ったのだった。その途中で、木立の向こうにあの萌黄の背中を見たような気がして、思わず走り出した。木立に分け入った瞬間、足元が崩れたかのような落下感があって、気付けばあの薄暗い砂地にいた。
『ありゃァ、きっと崩壊した伏魔殿の消え残りみたいなもんだったんでしょうよ』
 飄々とオニシバが言う。
『まァそれも、だんだんと消えてなくなってくみてェだ。……ほら』
 オニシバが指差す方を見ると、そこに蜃気楼のような、空間の歪みが見えた。それはうっすらと消え行こうとしながら、なおもさまざまな風景を映してゆらめいている。
 タイザンの知る者、知らぬ者、さまざまな姿が現れては消える。その中にふと、簡素な着物を着た老人たちが見えた。ひざの上に孫らしき幼児を抱いて、楽しげに笑っている、老人たちの姿だ。
 タイザンにはそれが、里の子どもらに見えた。里の子どもたちが成長し、大人として里を担い、幸せに老いた姿だと感じた。
『ダンナ』
 オニシバが、笑うように言った。
『あっしらの行く道の先にも、花は咲いているようじゃありやせんか』
 ああ、とタイザンは声に出さず返した。あの未来が先に待つ道であるのならば、自分は前を向いて歩いていける。そんな風に思った。
『さ、帰りやしょうぜ。里じゃ、みんな揃うまでおまんまはおあずけでしょうよ。坊ちゃん嬢ちゃんたちが、首を長くして待ちわびてますぜ』
「ああ」
 今度は声に出して返し、里のほうへと歩き出そうとして、最後にちらりとだけ振り返り、
「…………!!」
 タイザンは目をみはった。薄ぼんやりとでも見間違えるはずのない、見慣れた姿が映ったからだ。
 空間のゆがみの映し出すその光景には、建物が破壊されたのか、もともとなかったのか、ただ荒れた地面が広がっていて、激しい戦いのさなかのように見えた。
 血を流して座り込む、着流し姿の野性的な男。体中の傷にも構わず、力強く闘神機を掲げる彼の目には、闘神士の強い誇りが輝いていた。そしてそのそばに、犬の姿をした式神の姿がある。  少し違和感があったが、それでも自分が見間違えるはずもない。それはオニシバだった。少し姿が変わって見えるのは、契約者の影響を受けているのか。彼もまた、胴に深手を負っていた。
 命を振り絞るような印を残し、闘神士の微笑むような瞳から生命の色が消えた。なにかをつぶやいたオニシバの名も散った。それでも闘神機を下ろさない闘神士に誰かが駆け寄るのがかすかに見えて、そこで空間の歪みは完全に消えた。
「今のは……」
 ようやく声が出たタイザンは、はじかれたように背後のオニシバを振り返った。式神はこちらを見ていなくて、内心の読めない笑みだけを口の端に浮かべ、サングラスを少し押し上げていた。
「今のは、お前の過去か? いや……今、契約が満了する前に、契約者が息絶えたようだった……」
 そうなれば式神は名落宮に落ちる。こうしてタイザンと契約することなどできない。
 だとしたら今の光景もまた、この式神の未来なのだろうか。それとも、息絶えたように見えただけで、オニシバの名が散るほうが早かったのかもしれない。そうだとしたら、過去でもありうるはずだ。タイザンは考えあぐね、
「オニシバ、今のは、何だ」
 もう一度たずねた。
「ただの幻か。お前の記憶なのか。それとも……」
『さてねえ』
 式神は笑うばかりで答えない。オニシバがこういう顔をしたら何があっても口を割るまいと、タイザンは長い付き合いからわかっていた。
 だが、お前はあれが何か理解しているのだろう。
 タイザンはそう思う。過去であればもちろん知っているし、未来であっても、進路をつかさどるこの式神には、すぐにぴんときたはずだ。
 そして、理解した上でも、人の身である契約者には告げられないことがある。そのような式神たちの不文律のようなものも、タイザンはなんとなくわかっていた。
 この式神は、やがて名落宮に落ちるのだろうか。そう思うだけで、内臓の深いところが冷たくなっていくような感覚に襲われた。式神の地獄と呼ばれる、あの名落宮へ。
「……いや、私が行く。もしそうなったとしても、私が名落宮までお前を連れ戻しに行く」
 オニシバは驚いたようにこちらを見た。タイザンのほうも、突然口をついて出た自分の言葉に驚いてはいたのだが、それでいきなり心がはっきりしたような気がして、
「そうだ、雅臣にできたのだ。私にできぬわけがあるまい。そのとき私がこの世にいなくても、たとえ何百年経っていても、必ず連れ戻しに行く。……なんだ、何がおかしい」
『いや、別に』
 オニシバは笑いを押し殺すようにしてまたあちらを向いた。
『まったく、あっしの闘神士ってのァ、どうしてこう無茶をしようってェお人ばかりなんだか』
 つぶやいた言葉は、タイザンの耳には届かなかった。
「よし、もういい、帰るぞ。皆、腹を減らしているだろうからな。探しているかもしれぬ」
『へい。ダンナ、ずいぶんお疲れでしょう。暖けェもん食って、ゆっくり休みなせェ』
 タイザンはうなずき、薪をしっかり抱えなおして里へと歩き出した。


 その夜、タイザンは夢を見た。
 オニシバと二人、鈍行列車で旅をしているのだ。
 向かい合わせになった二人がけの座席に座って、自分たちは話でもしていたような、黙っていたような、ずいぶん長いことだったかあっという間だったか、そんな風におぼろげで道中の様子は覚えていない。ただ広い窓の外に悠々たる山野が広がっていて、自分の心までも広々と落ち着くようだった。
 やがてどこかの駅で降りた。ずいぶんとひなびた場所だ、人影ひとつ見えぬ、と自分は思ったのだが、オニシバは結構楽しそうなもので、あちらこちらと眺めわたし、
 ほらダンナ、ちょいと見てみなせェよ。ずいぶんときれいに花が咲いてるもんじゃありやせんかい。
 オニシバが指すほうに目をやって、ああ確かに美しい花が咲いている、とタイザンは思ったのだが、それがどんな花なのか、そもそも本当に見えているのかはよくわからず、しかしとても美しいものが確かにあったという気持ちだけが残った。
 ほらご覧なせェ。どこまでも続いていやすよ。
 オニシバの楽しげな声に誘われるように、そちらに足を踏み出した。
 行くぞ、オニシバ。
 へい。それじゃ、ぶらぶら行くとしやしょう。
 歩く足取りは軽く、隣には己が式神がいて、暖かい風が背を押すのを感じた。

11.11.11



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完結です。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。