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楽しいサラリーマン入門 +
『しかしねェ、ダンナ』
オニシバはあごを掻きながら言う。
『ダンナは神流ってェ流派なんでしょう? 違う流派に入り込むってなァ、言うほど簡単じゃありやせんぜ』
半透明のオニシバの後ろには、噴水のそばで夏の昼下がりを楽しむ家族連れが何組も見える。
ミカヅチビルの前にある、一般に開放されている広場の片隅、木陰のさす場所にタイザンは腰掛け、採用試験の面接日時通知書に今一度、目を通していた。
「心配要らぬ。私はもともと地流の出、……直系ではないが宗家の孫だ」
今日の1時を指定している通知から顔も上げずに言ったタイザンに、オニシバはサングラスの奥の目を瞬かせた。
『へェ、そいつァ初耳だ。宗家の孫なんてお人が、どうして神流に鞍替えしたんですかい』
「ほとほと飽きたからだ」
タイザンは通知をぱたりと閉じる。
「宗家が突然病に伏したのだ。普通なら直系のものが跡を継ぐところを、自分のほうが後継ぎにふさわしいと、宗家の甥の1人が言い出した。われもわれもと皆後継ぎに名乗りを上げ、たちまち跡目争いの出来上がりだ。私は孫の中では能力の高いほうだったから、両親がその気になって名乗りを上げさせられた。あとはもう宗家の血を引くもの同士の蹴落としあいだ。
―――今にして思えば、下らんことに加わったものだ」
通知を胸ポケットに押し込み、タイザンはすっくと立ち上がった。
「そういうことだから、地流の流儀には通じている。邪魔者をあざむくすべにもな。このような形ばかりの面接くらい、いくらでも通ってみせる」
ミカヅチビルへと歩き出そうとし、タイザンは足を止めた。
オニシバはついてこようとせず、先ほどまでの場所で頭をかいている。
「……何だ」
『いや……まったくしかたねェお人だ、なんでそんなに悪人ぶりてェんだか、って考えてただけでさァ。
ダンナ、あっしも一蓮托生なんですぜ?』
声をやや低めて、オニシバが言った。タイザンは意味がわからず、ゆっくりとオニシバを振り返る。
『そんな風に、たった一人で敵陣に乗り込むってな顔をされちゃあ、闘神士と式神の絆の名が泣いちまわァ』
オニシバは飄々と言った。
『あんまりあっしを置いてけぼりにしねェでもらえやすかい』
「…………私は、別に……」
言った切り黙ってしまうタイザンに、オニシバは冗談めかして続けた。
『闘神士と式神は、いつだって絆でつながってますぜ。それくらい頭に入れとかなきゃ、これから行くめんせつとやらで落っことされちまいやすぜ』
絆、とタイザンはつぶやいた。自分にはそれがどうもよくわからない。この式神も、ガシンやウスベニも、絆が『ある』のだとくり返すが、どうしてもわからなかった。見えもせず、手に触れることもできないそれをどうやって信じろというのだろう。
目の前の霊体に向け、つい手を差し伸べそうになり、タイザンははっと自制した。わずかな動きに気付いたか、オニシバが首を傾ける。
「私は……」
タイザンはオニシバから目をそらし、足元を見た。元気のない日陰の草が、ぺったりと地に倒れている。
「あざむいたばかりではない。幾人もの人を殺めてきた。油断させ、謀反人に仕立て上げることでな……。
悪人を気取っているわけではない。実際に悪行を重ねてきたのだ。
式神はどんな悪人の命にでも従わなければならぬと聞く。それが絆か」
そう言った後、一瞬おちた沈黙に、タイザンは唐突な恐怖に囚われた。理由もわからないそれを、強引に思い過ごしだと言い聞かせようとした時、
『さァね、あっしァ悪人の式神になったことがねェから分かりやせんぜ。これからダンナと一緒にいたって、それが分かるかどうか怪しいもんだ。そうは思いやせんかい、ダンナ』
霊体の手が、ぽんと、タイザンの頭に乗る。実体はないはずだが、確かに何かの重さを感じた。
『さて、そろそろ行ったほうがいいんじゃありやせんかい。刻限に遅れちまったらちょいとまずいと思いやすぜ』
「そう、だな」
気持ちを切り替えることに決めて、ミカヅチビルへと再度足を向けた。オニシバは神操機へと戻り、その中から話し掛けてくる。
『しかしダンナ、地流にいたってェのも、それから千年も経ってるんでしょう。多少、流儀が変わってるかもしれやせんぜ』
「そのあたりはしかたない。他の社とあまりかかわりをもたなかった社の出身、と取りつくろえるよう準備はしてある。あとは、この時代の常識からずれたことをせぬように気を引き締めてかからなければな」
『ま、ダンナなら上手くやれるとおもいやすぜ。ヘンなことをしちまったら、あがってるせいだってことにしやしょう』
「そうだな」
タイザンはうなずき、ぐっと拳を握りしめ、ミカヅチビルへと足を踏み入れた。
……30分後。
――何だ、この集団は。
タイザンは待合室の片隅で途方にくれていた。
大企業(一応表向きは)の入社面接だというのに、ライダーズスーツを着込み、ヘルメットを小脇に抱えて入室してきた男。
明らかに悪巧みをしている顔で周りの面子を見渡しつつ、
「へへっ、雑魚ばっかりじゃねえか。俺が出世するのも時間の問題だな」
とかブツブツ言っている男。
鍛え上げた筋肉を誇示するように、タンクトップ一枚で腕組みして座っている男。
かと思えば、ホストクラブの面接かと思うようなド派手なスーツの胸にバラなど挿して、長い足を組んでいる男もいる。
タイザンは明らかに浮いていた。予想とは別の方向で。
「おおっ、今年はまともなスーツを着てきたもんがおるぞ!」
『よかったYO、ウミちゃん!』
背後で大声が上がり、タイザンはぎょっとした。振り向けば幹部の制服を着た初老の男と、その後ろに浮かぶ秋水族が、タイザンを指差して笑顔をかわしている。
男はタイザンへと大またで近寄り、
「いや、よかったよかった。宗家も常識を知らんもんの相手ばかりで、いいかげんキレそうになっておられるわい。ホレ、面接室はこっちじゃ」
一方的に話しかけてくる男に連れられ廊下に出ると、書類を読みつつ歩いてくる白衣の女性と行き会った。彼女はこちらに気付き、
「あらナンカイ部長、今年の新人? ふうん、なかなか良さそうな闘神士じゃない。私は科学技術研究部のオオスミよ。よろしくね」
と声を掛けてきた。
「は……はい、よろしくお願いします」
彼女が通り過ぎると、ナンカイがこそこそっとこちらにささやいてきた。
「技研の次期部長に目されてるマッドサイエンティストじゃ。新人と見ると人体実験に付き合わせようとするからな、気をつけたほうがよいぞ」
「はあ……」
「ああ、あの階段をひとつ上がると天流討伐部室じゃ。エレベーターより早い。入社すればまずは研修じゃが、その後はおそらく天流討伐部室に配属になるじゃろうから、覚えておけ。とにかく人手不足なんじゃ」
「……あの、」
右奥の階段を指しつつずんずん先へ進むナンカイの後を追いながら、さっきからの疑問を口にする。
「私はまだ面接も受けていないし、新人になれるかどうかも分からないのですが……」
「ああ、確実じゃ確実じゃ」
ナンカイは振り向きもせずひらひら手を振った。
「スーツ着てくるだけの常識があれば、面接は9割通る。敬語が使えるなら10割じゃわい」
「………………」
「お前さんも見たじゃろう、待合室の惨状。全く近頃の若い闘神士は、常識を知らんで困る。それでもあやつらのほとんどは雇わねば、わが地流の悲願は達成できぬからのう。わしらは辛いところじゃ」
あまりのことに、タイザンには返す言葉もなかった。
と、
「ナンカイ部長!」
息せき切って、かなりのガタイを平闘神士の制服に押し込んだ男があちらから走ってきた。
「なんじゃクレヤマ、騒々しい」
言いかけたナンカイをさえぎるように、
「伏魔殿探索チームが、何者かと戦闘に突入し、現在苦戦しているようです。すでに4人、式神を倒されたものもいる模様です」
タイザンはどきりとした。伏魔殿で戦闘というならば、相手はおそらくショウカクかタイシンか、とにかく神流の誰かだろうと思ったのだ。
「それはまずいな。援軍を送らねばのう」
「はい、敵はおそらく天流の闘神士と思われますが、闘神機だというのに相当の使い手です。わが天流討伐部も、本社に残っている闘神士は数名しかおりません。ナンカイ部長の大鬼門建造部から何名かお借りできないかと、うちの部長が」
「人手を貸したいのは山々だが、うちもほとんど出払っておって……」
そこでいきなり―――本当に唐突に、二人の目がタイザンを見た。
「……あ、あの?」
猛烈にいやな予感がし、つい一歩下がったタイザンの肩を、ぽん、と。
ナンカイの手がたたく。
タイザンは退路をふさがれたような気がした。
「おぬし、契約式神はなんじゃ?」
「あの、私は面接を……。式神は霜花ですが」
「霜花族か。飛び道具は便利じゃのう。そういえば若いの、名はなんと言う?」
「今日は採用試験のために……。名は大神です」
「大神? 庶務課の大神さんと同じか。まぎらわしいのう。下の名は?」
「タイザンと。それより面接は……」
「そうか、そっちで呼んだほうが分かりよいな。天流討伐部の者たちにも、そう伝えておくぞ。本日付で天流討伐部に配属になった大神タイザン、と」
「……私は面接を受けに来たのですが!!」
床を蹴り、タイザンはついに怒鳴った。ナンカイはこちらの顔を見て一瞬黙り、それからにやりと凄みのある笑みを浮かべた。
「わかっておる……。給料はちゃんと今日から出るよう手配しておいてやるわい」
そんな話だれもしておらぬ!!とタイザンがマジギレするより早く、
「そういうわけじゃクレヤマ、この新人を、初任務に連れて行ってやれ」
「はい、ありがとうございますナンカイ部長。では行くぞ、タイザン!」
がしっとばかりに、クレヤマの分厚い手のひらがタイザンの腕を握る。
――私はたしか、入社試験に来たはずではなかったのか。
クレヤマに引きずられるようにして走りながら、タイザンは思った。
―――それがいつの間に、天流討伐部に配属などといわれて、任務にまで同行させられているのだ?
『違う流派に入り込むってなァ、言うほど簡単じゃありやせんぜ』
ここに来る前にオニシバが吐いた台詞がぐるぐると頭を回る。
―――とんでもないところに飛び込んでしまったのかもしれない。
我知らず、ホルダーの中の神操機を、ぐっと握りしめていた。
06.08.27