+  あのころにものおもう  +


「タイザン部長、社内報の原稿執筆をお願いします」
とうやうやしく秘書が一礼したのは、窓の外が薄紅色に染まる時刻の天流討伐部長室。差し出された書類の束は妙に分厚かった。
「社内報の、幹部社員が順番に書いているコラムの順番がまいりましたので。こちらは資料としてお持ちした過去の原稿です」
 タイザンはげんなりして社内報の束を受け取った。一応目を通してみれば、一番上に重ねられた先月の社内報に書いているのは、
「……クレヤマか。その前はオオスミで、その前は……ナンカイ。それで私の番ということか……」
『ダンナ、姐さんの前ですぜ。呼び捨てはまずいんじゃありやせんか』
 式神からかかった声に、おっと、とタイザンは秘書を盗み見る。そんなものだと思っているのか、彼女は特に気にした様子もなかった。
「ミカヅチグループ全体に配られるものですので、闘神士にしかわからない話題は避けてください。それ以外はご自由にお書きいただいてけっこうです」
 そう言う通り、地流幹部たちの文章には式神のシの字も出てこない。クレヤマは趣味の筋トレについて熱く語り、オオスミはなぜか貝類のおいしい調理法、そしてナンカイは、限りなくぼかしてあるものの、『30年来の友との絆』という、タイザンにすれば聞き飽きたことを書いていた。その前は運輸部門の営業部長の筆だが、全文通してやたら力が入っている。
『私の原動力は、幼い日の苦く辛い思い出である。慕っていた友人の姉を失った日のことなど、未だ心静かに思い出すことなどできない。幼い日の辛さをバネに、ここまで来たといっても過言ではないのである』
 その原稿でだけ手を止め、じっと文面を眺めていると、ふいに髪にやわらかな重みがかかるような感覚があった。霊体には重さがないから、きっと錯覚だろう。
『例のお人のことを思い出しちまいましたかい?』
「……式神が人間のことに口出しするな」
『へいへい。いつまでもそんな顔してると、秘書の姐さんが変に思いますぜ』
「わかっている」
「……タイザン部長?」
 オニシバの言うとおり、秘書はいぶかしげだ。
「……原稿はお引き受けいただいたと思ってよろしいでしょうか?」
「他の人間にまわせと……」
 秘書はすっと一枚の紙切れをタイザンの目の前に差し出した。完璧な書式に乗っ取った命令書の最後に、ミカヅチの署名がある。内容を一言で言えば、社内報の原稿をちゃんと書けよと、そういうことだ。
「これは社長命令ですので、よろしくお願いいたします。そこにある通り、秘書室のメールアドレスに直接送ってください。来週月曜日が締め切りです」
 『社長命令』を振りかざされれば、今のタイザンにはぐうの音も出ない。最後にやたら慇懃な礼を深々と残し、秘書はそそくさと去っていった。書類を手に残されたタイザンは、
「……ミカヅチめが……」
 恨みを込めてつぶやき、書類と命令書をカバンに乱暴に投げ込むほかない。



「おかえりなさいませ。お勤めご苦労様でございました」
 三つ指ついて玄関で出迎えた白ジャケットを、タイザンは完全に無視して横をすり抜けた。その対応をまったく気にしない様子の相手は身軽に立ち上がり、
「お疲れでございましょう。肩をお揉みしましょうか。それともお食事にいたしますか?」
などと言いながらついてくる。
「夕食のしたくはすんでおります。後は2分ほどチンするだけ。本日のメニューは特製デラックス牛丼と名物梅カツオ丼の二種類からお好きなものをお選びいただけます」
 そんな演説とともにリビングまで着いてこられたところで、タイザンは「……雅臣」と不機嫌極まりない声とともに振り返った。え?とわざとらしい笑顔を浮かべる相手に向かい、
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「こづかい使い切っちゃった。今日給料日だったよな。お願い恵んで?」
 怒らせるためにやってるとしか思えないおねだりポーズで明るく言い放つマサオミに、俺はおまえの牛丼代のために汗水流してるんじゃないぞと思わず殺意がわいてくる。
「帰れ! 待て、その前に合鍵を置いてゆけ。ショウカクはともかく、おまえに渡したのは間違いだった」
 突きつけた左手を「あっはっはっは」と笑い飛ばし、
「梅カツオ丼でいいよな? 持って来てやるよ。なんと特製本格職人のタレまでついてるんだぜ!」
 そんなノリでキッチンへと去ってゆく、その肩の上で青龍が同じようにけらけらと唱和しているのだった。
「……あいつは人の苦労がわかっているのか!」
『伏魔殿にいるときの雅臣さんと、ちがうお人みてェですぜ』
「天流宗家を取り込む策のはずが、逆に取り込まれているのではあるまいか? すっかりふてぶてしく成長しおって。昔はもっと素直で…」
「弟のように思ってやっていたというのに」と続くのだろうとオニシバは思っていたのだが、契約者は言葉の途中で不自然に黙ってしまった。ちらりとうかがえば、仏頂面の視線は何もない床を見ている。
 仕方ねェなあ、珍しく感傷的になっちまって。オニシバは小さく苦笑した。
『……しかし梅カツオ丼とはねェ。毎回毎回よくもまあ新しいものを探して来るもんだ』
「あいつの持ってくるものはいちいち口に合わん」
『いいんですかいダンナ。ほっておいたら雅臣さんのことだ、なんたら丼を食わされるハメになりますぜ』
 タイザンは鞄を机に放り出し、上着を椅子の背にかけながらため息をついた。
「雅臣! 夕食は外で食べてきたから要らん。おまえも天流宗家の監視に戻れ!」
 両手に一つずつ丼を乗せたマサオミがひょいと顔を出す。
「え〜? もったいない。うまいんだぜ、これ。わかった、俺が両方片付けてやるから、こづかいだけ……」
「帰れ!」
『雅臣さんよ、今日は無理ですぜ。宮仕えってェのもすさまじいもんで、ダンナはすとれすってやつがたまってるんでさァ』
「へえ? 仕事でヘマでもしたのか」
 そんな軽口はいつものことのはずだったのだが、
「……誰に向かって物を言っている」
 いきなり低くなったタイザンの声音に、マサオミとその青龍は一瞬背筋が寒くなった。どうやら本当にやばい逆撫でポイントを直撃したらしい。
『雅臣さん、あきらめて大人しく帰りなせェよ。ダンナがこういう顔したらもう無理だってこたァ知ってるでしょうに』
 含み笑いのオニシバにも文句がありそうなタイザンだったが、
「私はもう寝る。明日も早いんだ。雅臣、台所は片付けておけよ」
 切り口上でそれだけ言って、あとは振り向きもせず寝室に入って鍵をかけてしまった。
「待てよ、タイザン」
 軽さを装った真剣な声が追ってくるのは気になったが、霊体のオニシバもタイザンに従う。扉を閉めるなり不機嫌な顔で床に座り込んだタイザンは、どうするともなく壁にもたれて一点を見つめていた。
『雅臣さんも悪いときに来たもんだ。ねえダンナ』
「…………」
『今日は、雅臣さんの顔は見たくねェ気分だったってえのにねェ』
 返事はない。広々とした寝室には月の光だけが入り込んで、うすぼんやりとわずかな家具を照らし出している。彼の表情を読むにはあまりに乏しい光源ではあるが、オニシバにはそれで充分であるような気がした。
 ……何か言葉にすりゃいいのに。あっしらにできるのは戦うことだけじゃありやせんぜ、ダンナ。
『自分で思ってるよりずっと疲れていなさるんじゃありやせんか。早く寝たほうがいい』
 やはり返事はなかったが、契約者はゆっくり立ち上がった。


 翌朝、泥のように眠って起き出してきたタイザンは、リビングのテーブルの上に散乱した紙の束を発見し、あっけに取られた。よく見ると通勤用の鞄が開いていて、散乱しているのは中に入っていた書類その他。
「雅臣め! よりによってこんな盗人のような真似を……!」
 起き抜けでいきなり怒りゲージが振り切れた様子の契約者に、触らぬ神にとかいう言葉を頭によぎらせたオニシバは、とりあえず猛烈な勢いで机の上をさばくって財布を掘り出す様子を見守った。
「今度会ったら蜂の巣に……」
 物騒なことを言いかけたタイザンの言葉が止まる。財布はどうやら無事だ。
『ダンナ、もしかしてこれじゃありやせんか』
 状況がつかめずにいるタイザンとは違い、オニシバの方は、鞄に入っていたはずのメモ帳がテーブルに広げてあるのを見つけていた。やはり鞄の中にあったペンを勝手に使ったらしかったが、
『 仕事が多いなら俺が手伝ってやるから、たまには美味いものでも食べにいけよな。
  梅カツオ丼、冷蔵庫に入れとく。ちゃんと特製職人のタレつけて食べろよ!』
 そんなメッセージと、意外に上手なマサオミとキバチヨの似顔絵が書いてあった。
『だそうですぜ、ダンナ』
「……いらぬと言ったのに、下手な機嫌取りをしおって。
 ………何がおかしい」
『いやいや、何でもありやせんぜ。言いたいことを素直に言わねェのが神流の流儀ってやつですかい?』
「………………」
『睨まないでくだせえよ、ダンナ。ほら、梅カツオ丼食べてから出るんだったら、ちょいと急がねえと遅刻しますぜ』
 契約者はしばらく押し黙って、それから怒ってでもいるような顔で台所に続くドアをくぐった。まったく素直じゃねえお人だと、オニシバは胸のうちだけで笑いながら思う。
 雅臣さんもああなんだから、こいつァやっぱり流派の伝統ってやつかもしれねェ。

 ……などとニヤついていられたのはその時だけだった。
 出社したタイザンを迎えたのは、微妙な距離から近づいてこない社長秘書の、
「原稿をありがとうございました。わたくしだけでは判断がつきかねましたので、今朝ミカヅチ様にお見せしましたら、あのまま掲載せよとのことでしたので、そうさせていただきます」
というイヤに丁寧な一礼だった。
「原稿? 社内報のか? まだ書いていな……」まで言って唐突にぴんと来る。
「見せろ! その原稿とやらを!」
 おびえ気味の秘書から、メールを印刷したと思しきコピー用紙を奪い取る。
『俺と牛丼 作:ミカヅチ技研市場業務部長 タイザン
  今日は俺が素晴らしい牛丼の世界について語ってあげよう! 俺がはじめて牛丼を食べたのは……』
 冒頭の数行を見ただけで気が遠くなった。
「見せたのか? これを? ミカヅチに!」
「は、はい。あと、ちょうどオオスミ部長とクレヤマ部長、ナンカイ部長もいらっしゃいましたので……」
「見せたのか! これを! あの連中に!」
『ダンナダンナ、姐さんがおびえちまってますぜ。壁を叩くのはよしやしょうや』
「天神町に行くぞオニシバ! 雅臣めが、蜂の巣にしてくれる!」
 名落宮行きはごめんですぜとは言わず、オニシバはとりあえず『へいへい』と踵を返す契約者に従った。
 憤然と出口めがけて突進する彼の後ろに漂いながら、
『ま、元気になってくれりゃそれでいいんでさァ』
 などと小さく付け足したことは、言われた本人も他の誰も、たぶん知らない。

05.8.6



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地流闘神士はミカヅチ技研という幽霊会社の所属になってるそうですが(ソーマ談)、
そうなると対外的にはタイザンの肩書きってなんでしょうね。
オオスミ部長はともかく、天流討伐だの大鬼門建造だのって言葉は名刺にはかけないでしょうし。
伏魔殿探索=市場調査、とかは連想できたんですが、討伐って難しい。
それにしても地流って、左遷だの賞与だの停職だの上司だの、
本当にちゃんとした企業の体裁をとっているところがツボです。