+
某大企業の 非・日常 +
・ 場面1 ・
ある日のことです。世界に名だたる大企業・ミカヅチグループ本社では、幹部たちを集めた会議室で大波乱が起きておりました。
「タイザン。ユーマの直属の上司はおまえだったな。部下の不始末は上司の不始末、よって貴様の全権を剥奪し、無期限の停職処分とする」
異議を軽く聞き流され、「停職なんだからうちに帰れ」という意味の言葉とともに社長室を追い出された天流討伐部長が、足音荒く廊下を遠ざかってゆくのを、飛鳥ユーマは言葉もなく見送りました。彼もまた、「おまえも帰れ」という意味の言葉とともに追い出されたのです。何しろ彼も謹慎処分ですから。赤い制服の後姿が角を曲がって見えなくなった頃、ようやくユーマは状況を飲み込みました。
「俺のせいでとんでもないことに……」
「ユーマ、うぬのせいではない。ミカヅチの決定なのだからな」
「俺のせいだ! タイザン部長は伏魔殿まで俺とミヅキを助けに来てくれたんだぞ?! それなのに、俺のとばっちりを受けて……」
そのあたりがどうも怪しい気がしているランゲツでしたが、寡黙な彼は口に出しません。拳を握り締め唇をかむ契約者に、「どうするのだ」と尋ねるだけです。
「とにかく、一言謝罪しなくては……」
ユーマは天流討伐部長室まで全速力で駆けつけました。しかし、一応礼儀正しくドアをノックしてみましたが応える声はありません。中で物音がしているので、部長がいるのは確かなのですが。
「失礼します、タイザン部長。飛鳥ユーマです」
思いきってドアノブをひねってみましたが、鍵がかかっています。がちゃがちゃやっていると、
「うるさい!」
という声が中から聞こえてきて、ユーマは慌ててノブから手を放しました。会ってくれそうにはありません。
「だが、一言謝罪を……そうだ!」
思いついたユーマはまたしても会社の廊下を全力ダッシュして、天流討伐部の平社員に与えられた部屋へと駆け込みました。みな出払ってがらんとしているそこには、共用のパソコンが一台だけあるのです。
「部長室にいる間ならメールを見てくれるだろう……急がなくては」
と伸ばしかけたユーマの手が止まりました。電源が入っておらず、ディスプレイは真っ暗です。しばし考えたのち、ユーマはディスプレイの一部分をそっと押してみました。無論変化はありません。
「ユーマ。動かしたいなら、こっちのボタンがそうではないのか?」
「ランゲツ!? なぜわかる!」
「他の闘神士が扱っているのを何度か見たではないか」
ユーマは少し考えてから、返事をせずに電源ボタンを押しました。覚えていないのだな、とランゲツは思いましたが、信頼の式神なので黙っていました。
パソコンが起動し、ディスプレイには壁紙とアイコンが表示されます。ちなみに壁紙は大降神ミユキのどアップでした。誰がやったのかランゲツは大変気になりましたが、契約者はそんなことも気付かないようで「メール、メール、メール………」と言いながら画面上を探しています。アイコンを全てをゆびさし確認し、
「『メール』がないぞ、ランゲツ!」
「……その封筒の絵を押すのではなかったか、ユーマよ」
「これか? よし、と」
「いや指ではなくマウスでな」
なぜ式神の自分が人間にパソコンの使い方を教えているのか、ランゲツは不思議でなりませんでした。ユーマのほうはというと、ようやく出てきたメール作成画面に、「これだ、確かにみんなこれでメールを打っていた!」と大喜びです。
「ええっとまず送信先が……。ランゲツ、ミカヅチビルの住所はわかるか」
「ワシがそこまで知っているわけなかろう。それより、そこに住所を書いていた者はいなかったように思うぞ」
「そうか? なら、タイザン部長、と書けば届くだろう。『た』……『た』……、ランゲツ、『た』を探してくれ」
キーボードを端からゆびさし確認している契約者の姿に、「確か『連絡先』から探すのではなかったか」と言い出しづらく、ランゲツはなんだか無常観に襲われたりするのでした。
・ 場面2 ・
さて、ミカヅチグループ本社の高い高いビルの上では、今さっき無期限停職処分になったばかりの年若い天流討伐部長が、キレまくりながら手当たり次第デスクのものを鞄に突っ込み帰り支度をしておりました。
「ダンナ、誰か扉を叩いてやすぜ」
「知るか!」
「……ノブをがちゃがちゃやってますけどね。ダンナ、鍵、開けてやったらどうですかい?」
「うるさい!」
いつも以上に語尾が「!」マークで占められています。外のお人にゃ悪いが、鍵を開けなくて正解だったかもしれねぇなあとオニシバは思いました。契約式神に向けた八つ当たりの合間にも、小声で「ミカヅチめミカヅチめミカヅチめミカヅチめ」とぶつぶつ言い続けている姿は、とても部下に見せられたものではありません。
と、朝からつけっぱなしのパソコンから、軽いチャイム音がしました。どうやらメールが届いたようです。
「こんなときに誰だ? クレヤマか?」
キレまくるタイザンさんをなだめながらこの部屋まで送ってきてくれた彼が、自分の努力がまったく功を奏していないことに気付き、更なるフォローメールを送ってくれたのでしょうか……と部長と柴犬は思ったのですが、ディスプレイをのぞき込むとそれはちがっていました。
『送信者:あすかゆーま』
カチッ、カチカチッ。
「ダンナダンナ、中身を見もせずにゴミ箱ってのはひどいんじゃありやせんか」
「うるさい! そもそも全権剥奪だの無期限停職だのになったのはこやつのせいなのだぞ! こやつが下手にミカヅチに逆らうから、私まで連帯責任になったんだ!」
ダンナ、そりゃ口実でしょうがよ。本当はダンナの正体が見破られていたからですぜ?
そうオニシバは思いましたが、口に出すほど愚かではありません。タイザンさんだってそのくらい百も承知なのです。ミカヅチビルよりも高い彼のプライドが、『自分が甘かったせいで逆襲くらった』なんて、ぜったいに認めたくないだけなのです。
とはいえ、ユーマはどうやら真の地流宗家。その動向にはチェックを入れなくてはなりません。そう考えられる程度には冷静な部分を残しているタイザンさんは、舌打ちしつつも左手でダブルクリックしてメールを開きました。
『件名: たいさんふ゛ちょうへ』
「……誰が退散部長だ! ケンカ売ってるのか飛鳥ユーマ!」
「ダンナダンナ、気持ちは痛いほどわかりやすが、ぱそこんにそれを投げるのはよしましょうぜ」
5分ほどオニシバになだめられ、タイザンさんはようやくわしづかみにしていた現代語辞典(B5ハードカバー全1425ページ)をデスクの上に下ろしました。とりあえず、このメールの送信者は、濁点のつけ方が最初はよくわからなかったのだろうということで、2人の意見は一致したのです。
「平安生まれの私がタッチタイピングを習得しているというのに、現代人のこやつがどうして漢字変換すらままならんのだ……」
努力の日々を思い、ぶつぶつ言いながらタイザンさんはそれでも本文に目をやりました。そちらもまたひらがなだらけで、さらに誤字脱字はあるわ濁点や小文字はおかしいわで読みにくいことこの上ありません。その辺を適当に直してみますと、
『本文:
俺のせいですまん。
今までずっと
怒りっぽくて人情味がなくて時々こどもっぽくて横暴で冷たくて
きっと腹黒いに違いないイヤな高給取りと思っていたが、
とんでもない誤解だった。
あなたが復職できるよう、この飛鳥ユーマ、全力でミカヅチ様にかけあうつもりだ』
「…………オニシバ、撃て」
「これァ会社の備品ですぜ」
「いいから撃て! 兌離兌離!!」
「知りませんぜダンナ……。義志爆裂弾!」
爆発音に驚いて駆けつけてきたユーマの見たものは、黒焦げのデスクと、『道』の字とともにぱたりと閉まった障子が消える光景だけでした。ユーマは拳を固め、震えるほどにぎりしめます。
「タイザン部長……停職がそれほど無念だったのか……くっ!」
ワシはちがうと思うぞ、ユーマ。などと言ってやるほど親切なランゲツではありませんでした。
ミカヅチビルは今のところ平和です。たぶん。
05.7.25