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犬と貴族とあの人と +
「オニシバ、気になっていたのだが、あの名乗りはなんだ?」
そうタイザンが問いかけてきたとき、2人の頭上には青空が広がっていた。よく晴れた午後3時、ミカヅチグループ本社近くの鬼門で、地流宗家からの嫌がらせめいた妖怪退治命令を片付けた後だった。拳銃を下ろしたオニシバは、同じような仕草でドライブを下ろしたタイザンを振り返る。
「なんだと言いやすと?」
「『見参ぜよ』と言うだろう。『ぜよ』は何だ」
しばし2人の間に沈黙が漂った。
「……いい天気でやすねダンナ」
「なぜ話をそらす」
「別にそらしてなんざいやしませんぜ。日差しのあったけェいい日じゃありやせんか」
「どうでもいいだろうそんなことは」
切り捨てようとした一言に、オニシバはふっと笑みを見せた。
「ダンナ、あっしァ思うんですがね、どうも近頃余裕がねえんじゃありやせんか」
「余裕?」
オニシバは空を見上げる。青空にぽかりと浮かんだ雲が、陽光を浴びてまばゆく白い。
「ほら、あの雲を見てごらんなせえ。世の中にゃ急ぐことなんて何にもねえとでも言いたげに、悠々と流れてくじゃありやせんか。お天道様に照らされて、あの雲はきっといい心地でしょうよ。
ダンナ、あっしァねえ、ダンナにゃいつだってあの雲のような心地でいてほしいんでさァ」
「私に意見する気か? オニシバ」
横目でにらまれ、オニシバは苦笑する。
「仕方ねぇなあダンナ。何か言やすぐにコレだ」
呆れるような面白がるような調子の声に、タイザンはますます機嫌を損ねた顔になった。オニシバはサングラスの奥で目を細める。
「意見なんてとんでもねえ。あっしァダンナの式神だってことでさァ」
「どういう意味だ?」
「自分の闘神士に不幸せになってほしい式神なんていやしねぇ。そういうことですぜ、ダンナ」
「………………」
タイザンはわずかに目をそらし黙りこくった。オニシバは小声で笑う。
「ああ、ガラにもねえこと言っちまった。あっしァもうドライブに戻りますぜ。そいじゃダンナ、ごめんなさいよ」
「待てオニシバ。『ぜよ』の説明をしてゆけ」
……ごまかされてなかったんですかい! と口走りそうになって危うく押しとどめ、オニシバは咳払いで間をつないだ。
「ホント仕方ねえお人だ。細けえことばっか気にしなさるんじゃ、すとれすとやらがたまっちまいますぜ?」
「ごまかされると思うなよ。私に言えないような事情でもあるのか」
「滅相もない。……ダンナ、何か勘違いしちゃいやせんか。これァただの方言ですぜ。ダンナがご存じないだけでさァ」
「方言?」
「そうそう。こないだ九州の炭坑までちょいと弥次喜多としゃれこんだじゃありやせんか。あのときに覚えたんでさァ。
そういやあのときの女形姿、なかなか似合っていやしたね。さすがうちのダンナ、ガシンやショウカクじゃああはいかねぇ」
まで言って相手の額に青筋が浮かんでいることに気付き軽く言葉を失う。やってるときはノリノリに見えたのだが、実は思い出したくない過去だったらしい。あれももしかするとミカヅチからの嫌がらせだったのかもしれないわけだが。
オニシバは咳払いし、
「まァとにかく、ダンナと遠出なんてそうそうあることじゃなし。あっしにとっちゃ楽しかったんですぜ。ダンナはそれどころじゃなかったようですがね。
今度はあんな世知辛ェ旅じゃなく、赤とんぼでも追っかけながらゆるりと旅をしてェもんだ。ねえダンナ」
「『ぜよ』の土佐弁は現在の高知県、つまり四国だ。九州は関係ない」
なんでごまかされねえんですかい! オニシバは今度こそ口走りそうになってやっぱり思いとどまった。
「ダンナ、だから細けェことにこだわりなさるもんじゃねえって。世の中にゃヘンな言葉づかいの式神なんてたんとおりやすぜ」
「言い訳になると思うのか」
にらまれ、返答に窮する。だからといって本当のことを言うわけにはいかないのがつらいところだ。
なにしろ、
……前の親分が使ってた言葉だなんて知ったら、また荒れるに決まってんだこのお人は。
タイザンの直情型な性格を良く知っているオニシバだからこそ、本当のことなど絶対言えない。
……残念ですがね、ダンナ。あっしァダンナよりかは嘘が上手いつもりですぜ。
シラをきりとおすと心に決め、オニシバはまた空を見上げた。タイザンがいらだった様子で「オニシバ!」と声を投げてくる。
「とりあえず、ゆっくり散歩して帰ることにしやしょうぜ、ダンナ」
「理由を言えと言っているんだ。私の命令が聞けないのか?」
「まあまあ」
よく晴れた午後3時、風はやわらかく2人を照らす太陽は高い。
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