種子島で子供たちが建ててあげた母の家

 私はこのプチホテルのMさんオーナー夫妻が好きです。人には相性があります。1977年脱サラした時、まだ若くて予算に余裕のなかったMさん夫妻は、会員を募って標準的な規模の一棟のペンションをスタートさせました。脱サラしてペンション経営をした多くの人たちが脱ペンション経営になるケースが多い中で、夫妻は性格が全く違ってもお互いに補い合い、知恵をしぼり、今日まで多くの人たち(宿泊客は勿論のこと、スタッフ、協力者、知人、友人、地域の人たち)を自分たちとこの施設に引き付けてきました。

 初期時代のお客さんの料理と世話の一切から始まって、コックさんを雇うようになってからは、その後のリフォームと数回にわたる増築棟の工事、屋外の土木工事に至るまで、自分やスタッフで出来ることは自分でやってきました(大規模なものや専門技術を要するものは別として)。 何かを成し遂げたかったら、人を頼りにせず先ず自分でやる−見本のような人です。

 特殊な材木などの材料探しに始まって、重機のオペレーター、溶接、左官、大工仕事、塗装、小規模のコンクリート型枠、鉄筋、コンクリートの打ち込み、民家廃材の探索、(Page7の音楽堂に結実。その他リフォーム)リサイクル品有効利用の探索、(Page7の吊り橋ワイヤーはスキーリフトの廃品。多くの主照明器具、家具、その他いろいろ)スタッフを伴った参考施設の絶えざる見学−などなど、挙げるときりがないほどです。

 ご主人はこの事業が好きで、体を張ってきた(見たところそうでないところが良い)はずなのに、いつも淡々としていて、頭は大人で心は子どものように先の計画を夢見ているふうです。そんなだから時々奥さんにセーブされます。しかしのところ、棟を増やしたり事業を拡大する時、一見破れかぶれのように見えても、経験を生かして、どこかで周到な準備と心構えをしているのだと思われます。

 プチホテルの各棟は竣工した後も、Mさん夫妻によって絶えず手を加えられた結果、設計者とMさん夫妻の合作、コラージュになっています。私はその全部が気に入っているわけではありませんが、設計者の考えも及ばない良い効果やオーナーの息づかいが感じられるようなセンスが生きているところがたくさんあって良かったと思っています(Page2のピザの釜を見てください!)。

 とりわけMさんたちにとって、生きることは自分たちの人生を創造することであり、"創造の喜び"の中に生活があるのです。生活の中に"創造の喜び"があるのではありません。先ず行動があって、生活は後からついていくのです。

 90歳代なかばを迎える長寿の方で、今も社会でご活躍の人がある紙上で次のように書かれています。 ドイツの哲学者マルチン・ブーバーが「人は創ることを忘れない限り、いつまでも老いない」といっていますと。「創ることを忘れない」どころか、それが本性のようになっている、還暦をすぎたばかりのM夫妻にとって、そのような哲学者の言葉など「ありがとうございます。ですが、今更、そのようなことをお教えいただくなくとも私たちは・・・」と言われることでしょう。

 最後につくった音楽堂など、寒冷地でもあり、床暖房をしっかり敷設し舞台装置も施されました。これなどは、民間が行う投下資本に対して、とても採算が合うしろものではありません(人口の多い都会でさえ難しいというのに)。しかしこの施設は長い眼で見れば、地方文化の向上に断然役立っていくでしょう。(現に、世界超一流のオーケストラ、ベルリンフィルの団員で、首席奏者の方がこの音楽堂を気に入って2階も演奏会をしてくれました)。今後一般の音楽愛好家の多くの人たちにも、この施設を多く使って欲しいと思います。このプチホテルは規模的には充分だと思うので、後はさらなる質的な向上を期待しています。

 終わりに −このホームページの「宿泊施設」で数年間休業中だった『菅平のスキーロッジ』の経営を引き継がれることになりました。ご夫妻がこの事業を始めるときの「夢であり、将来の目標」であった施設を手にされたので、夢のある運営が期待されます。現在NPO法人を設立し、有志の賛同も多数得たとのことです(2006.01)。


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