種子島で子供たちが建ててあげた母の家

 日本の南の海、種子島に80才近いお母さんとUターンした次男のご夫婦3人が、老朽化し始めた古い家に住んでおられました。本州の都会に住む長男の方が弟さんや妹さんに声を掛け、皆さんで協力してお母さんが元気なうちに皆の心の拠り所でもある実家の家を新築してあげることになりました。

 祖父の代に植えられ、何ケ所かに点在している幾つかの杉林が大木に成長していて、その杉の木で家を立てることになりました。祖先と自然に感謝し、礼を尽くすため、近くの神主さんにお祓いをしていただいてから伐採したとのことです。


竣工祝いの日、屋根からの餅まき


近所のおばさんの手伝い


竣工の宴会

 プランは日本家屋の伝統である田の字型プランで、それぞれタタミの部屋を配置、各部屋は障子やフスマで仕切り、全部の部屋に床までの掃き出し窓をとりました。タタミに寝そべった時、南の島の海からの風が四方から素足をなでて吹き抜けるようにしたのです。左右対称形な切妻屋根の棟の通りには末口27〜30cmの杉の丸太を使い、通し柱として1階からロフトの棟まで通しました。建具の上の鴨居(中段梁)とその開放部分は、外観写真にある旧家の造りの遺伝子のようなものです。

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 台風など風が強い地方なのでほとんどの家は平屋建てが多く、この家も棟下のロフトが2室あるほかは基本的には木造平屋建てです。写真でおわかりのとおり地域のコミュニティが生きており、皆さんがこの家の完成を祝って下さいました。

 新しい家が出来上がり、種子島のきれいな海で泳ぐのが好きで、私は夏になると何回も訪れてお母さんのお世話になりました。そんな時、遠くからも大勢の家族が集まった夏の夜に、みんながビールで乾杯していても一人薩摩焼酎のお湯割りがお好きで飲んでおられました。子だくさんで、子育てが大変だった若い時のお母さんのことを長男の方が想い出し、お母さんをからかいながら元気づけようとしていいました。「親たちが二人で言い合いをしている時、あの頑固者で威張っていたオヤジがオフクロに”そげん文句があるんなら、私を殺してからにしんさい”といって、当時家にあった日本刀をパッとオヤジの前に投げ出した時には、オレもギョッとしたけど、さすがのオヤジもオフクロの勢いにタジタジだったなあ」とお母さんの勇気をほめられて、若い娘のように恥ずかしそうに笑っておられ、みんなも大笑いしました。公務員でありかつ戦前の男として威厳を保とうとしていた生前の父より、頼もしかった目の前の老いた母に対する信頼と愛情に溢れた家族の夏の夜の出来事でした。

 その後お母さんは、新しい家に何年か住んでお亡くなりになりましたが、子供たちが作ってくれた気持ちの良い家で、それまで通り畑をしたり家事をこなしたり元気に働いて、幸せそうに晩年をすごされたとのことです。


河東家の母(前列右より2人目)と子供たちとその連れあい、孫

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