住空間のシークエンス

 トリノの冬季オリンピックで、フィギュアスケートの女性解説者が何度も "シークエンス" という言葉を使っていたことをお気づきですか?(スパイラルシークエンス、ステップシークエンス等)。 "シークエンス" (sequence)という言葉は日本ではそれほど一般化されている外来語ではありませんが、"続いて起こる"という意味があって、住空間について語る場合大切な概念で、私はこの考えに少しこだわりを持っています。

 フィギュアスケートの場合のシークエンスとは「一続きになったあるパターンの演技の中で」、どのような質の変化した技が、演じられ、積み重ねられたかを審査の対象にしているのだと思います。建築でシークエンスというとき、人間が、自分が直面している「一続きになったある物理的な空間の中を」動いていった時、どのような変化した質の刺激を受け続けるのかを問題にします。

 具体的にいうと、人はある家の門のような敷地の入り口から玄関まで、それが僅かな距離であっても、移動の間に周囲の環境から影響を受け、何かを感じながら動いていきます。内部空間でいうと、玄関を入って自分の個室にたどり着く移動の間に、住まいを構成しているさまざまな要素から影響を受けます。

 人は"空間"といった時、静止した独立したものを考えがちです。美しい完結した空間や、平凡で四角な箱を廊下のようなものでつないだ空間などで、三次元的なものといえるでしょう。そこに時間の概念をいれて室内空間を連続させて構成し、ただ続けるだけでなく変化させて繋ぎます。その手法はさまざまで、プランをずらして接続したり、天井を変化させたり、光の採り方を工夫する場合もあります。人が移動することによって受ける刺激や喜びは、閉じた"静止"した安定から"動き"−変化の中で感じる開放的な喜びといえます。(現代社会でいう生活の安定思考から、動きや変化を積極的に受け入れていこうという風潮に合っているかも知れません)。

Donald Jacobs : SEA RANCH
エントランスからリビングへ、リビングから2つのトップライトによる
光溢れる キッチンへ
キッチンからダイニング(暖炉右のタペストリーの背後のアルコーブ)へと
空間が変化し、流れているさまを想像してください。

 連続する空間構成は家の数ほどあってしかるべきで、各家々がオリジナルな空間をもっていて欲しいものです。しっとりとやさしさに満ちたものから、ドラマチックで人に驚きと高揚感を与え、まるでマジシャンの手によるものかと思えるものまであることでしょう。全てに共通していえることは、人が玄関へ入ったときから次の空間へ、また次の空間へと興味をそそられ移動する間に、喜びを享受できたならば"シークエンス"がよく考えられた住空間といえるでしょう。「シークエンスがよく考えられた空間」とはいっても、「ただそこにいるだけで居心地がいい」という、落ち着いた重心になるような部屋があってのことではありますが。

 『私はあなた達を、連続する新しい空間の中で退屈させることはない。過ぎ去る各々の時間、過ぎ去る各々の季節において、指示したり強制されたものでない、自発的な生の喜びを与え続けるだろう。変化し、息づく空間の中を動き、意識はいつまでも眠りこけることはないはずだ。』

 このような傲慢とも思える声が聞えるとしたらそれは"シークエンスの神の声"かも知れません。


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