この星の未来と私たち
   未來の子どもたちへ−アトリエの林にやって来る小鳥たちと考えたこと


4月 ウッドデッキ脇の山桜の密を吸いにきたメジロ

  今から15年ほど前、1992年6月11日ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた国連の『地球環境サミット』でのこと。当時カナダに住んでいた12才の少女セヴァン・カリス=スズキが希望して出席を許可され、6分間のスピーチをしました。
 その時のスピーチの言葉は、参加した人たちに強い感動を与え、その後世界中を駆け巡り、いつしか"リオの伝説のスピーチ"と言われるようになりました。
以下はその抜粋です。
 

「私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして人間たちのせいで、もう行く所もなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。」

「オゾン層にあいた穴をどうやって塞ぐのか、あなたは知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所に、どうやって森を蘇らせるのか、あなたは知らないでしょう。
大人の皆さん、どうやって直すのか解らないものを壊し続けるのは、もうやめてください!」

「もし、戦争に使われているお金を全部、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はきっとすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけれど、そのことを知っています。」※(1)

※(1) 『あなたが世界を変える日−12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ』 セヴァン・カリス=スズキ 著 ナマケモノクラブ編・訳 学陽書房 2003年7月刊

 私たちの住む星は、暗黒の宇宙空間の中に浮かぶ唯一ともいえる生命に溢れた"青い星"かも知れません。生命の誕生から現在に至るまでには気の遠くなるような長い歳月の間、生物の進化、発展、盛衰が繰り返されてきました。

 それはまた、生命の誕生が藻やバクテリアの発生に始まり現在も地上の動植物がバクテリアの活動に支えられて生きているという不思議な現実でもあるのです。この星の食物連鎖や循環する生態系の底辺で且つスタート地点にいる、海洋と土中におけるバクテリアの活動無くしてこの星の生物は生存できないということさえ出来ます。他の星にバクテリアのような微生物が生存しているとしても この星のように大小多様な生物が存在しているとは考えにくいことです。


1969.05 アポロ10号より撮影した地球

 さて、この星で微生物から始まった生物の進化の頂点にいるといってもよい"人間"という知的生物がこの星をどうしようとしているのでしょう?今この星で起きていることは、1年間に四万種もの生物が消滅しつづけ、一秒間にサッカー場一面分の緑が消えているということです。他の生物を絶滅させたり、未来の生物生存の可能性を奪ったりする権利はどこからくるのでしょうか?「地球にやさしく」といった一時のムードにすぎないような言葉が多く使われている一方では、「地球を保護する」という地球に対する人間の優越的な言葉があります。

"身勝手(利己的)で攻撃的で傲慢な種"が自らと同年代の生物を絶滅させこの星を荒廃させても、億年という単位で、またこの星は再生することでしょう・・・人類などという生き物と係わりなく、むしろ単一に種を増大させ圧倒的に支配する種がいない方が、新たな生物たちはのびのびと楽園で育つように繁栄するに違いありません。すべての人間が死に絶えた後でも、この星は以前と変わらず海は朝に夕に潮の干満をくり返し、また新たな生命をはぐくみ、もとの美しさを取り戻すことでしょう。

 その後も地球上の生命は、消滅と繁栄を繰り返し永い地質時代を経過して、そしてこの星もいつかは滅びて新しい星の材料になっていくことでしょう。宇宙を解説した映像の名作『コスモス』や多くの著作で世に知られた、今は亡きカール・セーガンをはじめとする現代の宇宙物理屋さんたちは、写真の小鳥や私たちを含む地球の万物は遠い昔ある星の超新星爆発によるガスや星屑から出来ているといい、私たちの生きる宇宙の全物質は消滅と再生をくり返すと考えているようです(それは仏教者たちの言う輪廻の考えに近いかも知れませんが、私はそうした考えが科学物質的な解釈に偏しているとしても、妄想的ではない実体的な謙虚さと、少しのロマンがあるように思えて好きです)。

 神の目(自我はもちろん、人間であることや時空を超越した視点)を持って宇宙を見つめているのではないかと思ってしまう、21世紀初めに生きる宇宙物理学者スティーブン・ホーキングは言ったのでした。「宇宙から見れば人類の滅亡は、小さな惑星にできた化学物質の泡が消えるだけのこと。でも孫たちに未来があるかどうか、私は憂う」。

 この星において、戦争や環境破壊により人間や他の生物たちの消滅などあって欲しくないことで、人間にはそうする権利もありません。にもかかわらず私たちが享受している現代文明の実態は、現在も進行しつつある大豆畑などのための、ブラジルでの熱帯雨林の破壊一つを例にとってみても、「恐るべき野暮さ」の上に成り立っています。そこでの文明人の行いは、森林の生態系と共存して生活する先住民とそこに生きる野性動物の生存可能性と自然の再生可能性を、永久に奪うことになるだろうといわれています。地球では人間がいなくても他の生物は存続できるけれど、「生物多様性」なくして人類は存続できないというのに。さらにもう一例を挙げれば、2006年12月6日の報道によると、「アフリカのある国の国立公園」でカバの密猟が公然と行われていて、そこでは間もなく絶滅するだろうということでした。(加えて世界の各地で止むことなく続く人間による人間の虐殺―)。有史以前から残忍性を持ってそのようなふるまいを続ける私たちは、いったいどこからきたのか?私たちはなにものなのか?私たちはどこへ行こうとしているのか?環境の修復より、どこでも破壊が圧倒的なのは、私たちの種が発展の頂点をきわめ、絶滅に向かっているのでないだろうか?

 21世紀からは "人間中心の文明" といった考えを変え、この星の「生物多様性による循環する生態系」の存続や「資源の循環と再生」を最優先しなければならないところに、私たちは、来ているのかも知れません。すでに20世紀半ばにして、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースは彼の著書『悲しき熱帯』の最終章で、「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろ」と書いています。※(2) 世界の未開の地で、数多くのフィールドワークをこなしたこの人類学者は、全世界で「文明」の名のもとに進行する「人間の業(わざ)」の意味を、宇宙の奥深いところから見つめているように思えます。


宇宙の中にある小銀河群

 宇宙といっても、私たちは宇宙の中でひとときの間、他の生物とともに奇跡的ともいえる幸せな星に生きているのではないでしょうか。サスティナブル(持続可能性)という言葉がひとり歩きしているかも知れませんが、その持っている深い意味と私たちの生活の仕方について考えていきたいものです。 私たちが家づくりや建築に関連することにかかわる時、私たちとその子孫、現存する多くの種の後継種が生存する地球、「この星の未來」という広い世界にもつながっていることを意識していなければならないのかもしれません。

※(2) 『悲しき熱帯』 クロード・レヴィ=ストロース著 原書1955年刊
               川田順三 訳 中央公論社 1977刊 


戻る