オーストラリアのアボリジニ1
   ― 受難の先住民 ―

 アボリジニのホブルス・ダナイヤリは言った。
「そこにいた人はアボリジニの人々だ。奴はやってきた時"こんにちは"と言うべきだった。そこに自分の土地が欲しいのならアボリジニの人々に頼むべきだった。何故なら、そこはアボリジニの土地だから。キャプテン・クックはアボリジニの人々に対してフェアじゃなかった。シドニーで私の人々を撃ち殺し始めた。私の人々を一掃しようとしたんだ。※(1)」

 日本の国土の20倍という広大な大きさを持った島、オーストラリア。"アボリジニ"といわれるオーストラリア先住民の祖先は、約10万年前オーストラリア大陸に渡ってきた人類に遡るといわれています。その後アボリジニはオーストラリア各地に適応して、25〜5000人からなる個々の集団をつくり活動していました。彼らは大陸全域にわたって、一つの「オーストラリア文明」とも呼ぶべき共通性を持った安定度の高い狩猟採集社会を構成していました。その長い、安定していた社会に激変が始まったのが、上記によるイギリスから派遣されたクック船長の上陸あたりからです。オーストラリア先住民にアメリカインディアンと同じような受難の歴史が始まりました。※(2)

 最近オーストラリアは、長年のアボリジニに対するやり方に後ろめたさもあって、多文化主義を掲げ動き出しています。2000年シドニーオリンピックで、聖火の最終点火ランナーにアボリジニ出身の女性選手キャシー・フリーマンを起用し、彼女が400m走で個人優勝したことを記憶されている方もいることでしょう。

 オーストラリアが世界に向かって宣伝に利用したのか、真に政策を変更するのか、今後を問われることでしょう。

悲劇のオーストラリア タスマニア島の先住民


※(1) 「ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践」著:保苅 実 お茶の水書房 2004年
※(2) 2002年オーストラリア映画「裸足の1500マイル(2400km)」
この映画は受難の断片の、実話による物語。アングロサクソンの連中の高慢で偽善的、恩着せがましい当時の姿が良く解る。DVDはアットエンタテイメント(株)



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