「プロ」と「アマ」について

 かつてオリンピックではプロの競技参加は許されていませんでしたが、近年ある種の理由により、プロの参加が認められるようになりました。その昔プロ野球を代表する投手、"やったるで!"の金田正一が、華々しくプロ野球にデビューした長嶋茂雄選手に対し「学生さんなんかに負けてたまるか」とばかり、プロの意地にかけて、4打席連続三振に打ちとったことは今でも語り草となっていますが、その時金田選手はプロとアマの違いを歴然と見せつけたのでした。


夜通し仕事をした後、雨の中「朝食をとりに外出した A・ジャコメッティー」1963年パリ 
撮影はアンリ・カルティエ・ブレッソンで、彼の名作の1枚

 音楽の世界では、大きなオーケストラでなく数人の室内楽のメンバーが、初対面でもオタマジャクシのような記号を見て、たちどころに見事な合奏を始めると、楽譜などまるで解らない私には驚異です。アマの音楽家ではそうはいかないでしょう。

 20世紀半ば「実存主義」が文学・哲学・芸術の世界で問題にされていた頃、その時代の文化を反映したような彫刻作品を遺したアルベルト・ジャコメッティーは彫刻家のプロなのか?彼はアトリエで、くる日も、くる日も、前日に作った作品を壊し、他人が作品をもぎとるようにしなければ、作品の多くは世に遺らなかったといわれています。「自分は毎日進歩しているのだ。しかしこんなことをしていて、自分はこの世に生きていてよいのか」と自問していました。またある日、パブロ・ピカソがジャコメッティーのアトリエを訪ねてきた時、才気煥発な彼に言ったのです。「作品というのは、あるラッキーな偶然から得られるものよりも、その裏側にある本質の方がもっと重要だと思う。ただそれだけにしか過ぎないラッキーな偶然は捨てて、あなたがその発動に従ってものを完成した、と納得できる点までやってみた方がいいのです」と。※(1)


A・ジャコメッティーの彫刻
ヴェネツィアの女 1956年

 米国の劇作家で「欲望という名の電車」の作品で有名なテネシーウイリアムズは書いています。「いったい私の書いたものがこれで<プロ>の作品だったためしがあるだろうか?私はいつだって<プロフェッショナル>という言葉の持つ意味あいよりずっと奥深い必要に迫られて書いてきたのだ。―職業というよりは、よそう、<天職>というほどに仰々しいものではない。だけど、本当のところ、私は物書きになるより他に道はなかったのだ」。※(2)

 専門分野でその道の最低水準は手際よく器用にクリアして「プロ」と自覚している人たちに対してA・ジャコメッティーやT・ウイリアムズのような人たちに「プロ」、「アマ」のことをいうのは馬鹿げたことで、こうした人たちこそ"プロ"の概念を突き抜けた仕事を遺していくのかもしれません。


※(1)「ピカソとの生活」フランソワズ・ジロー 
     瀬木慎一訳 新潮社 1965年
※(2)「テネシ・ウイリアムズ回想録」鳴海四郎訳
     白水社 1978年


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