お代は見てのお帰りよ!

 農家の人たちは、朝が早い。私の家から雑木の林とその向こうの道路を越えて、 一軒の農家があります。70才半ばのご夫婦は時どき朝早くから外へ出て、いそいそと動き廻り何かの仕事をされます。

 私は朝のすがすがしい時間に、その光景を時たま家の窓から見ることがあり、その時いつも心がなごみます。ご夫婦のどちらかが、朝日を受けて動いている場合などは「素敵」といっていいほどの眺めです。何故なのでしょうか?
それは1日の始まりに、「今日も人が生きて動くことを許されていることの喜び」の、この上ない証しに立ち会っているからなのでしょう。

 これほどの眺めでなくとも、人が動き、働いているのを見かけるのは何時でも好感が持てます。朝の新聞配達や自分で育てた牛で作った牛乳を配達する牛乳屋さん、畑や田んぼで作物を育てている人、草刈をする人、建築の現場で働く職人の人―私は何故か事務職やサービス、販売といったものに携わっている人達より、生産に直接携わっている人たちを見るのが好きです。

 いずれの場合も、自分の家の仕事や趣味、自給自足の仕事など以外は、働いた結果社会から支払いを受け、それによって生計を立てています。

 人間の「深い幸福感」などというものは、以外と単純な所にありそうです。人にとって、仕事自体が楽しくなければなりませんが、それと共に「自分の仕事が社会に認められていて、人の役に立っていること。その働きに相応しい支払いを受け生活を続けることが出来ている事」にあり、そこに“働く事の意味”も見出せそうです。その事は,私たちの「設計の仕事」にもそっくり当てはまります。

 人にとって、やりたい仕事がある事が大切です。請負、派遣、契約などの労働条件とその処遇が問題になっている世相で、多くの人が“働く事に喜び”を持てるよう社会が変わって欲しいものです。そのことは、個人の努力の範囲を越えた問題に思われます。


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