戦禍の街の記録
    ― ブタペスト・ワルシャワ・広島 ―

 2005年7月16日、NHKが夜のドキュメンタリー放送で、1956年の「ハンガリー動乱」を放映していた。ハンガリーの首都ブタペストで起こった出来事で、ソ連軍の戦車が街を蹂躙し、さながら地獄の如くだったと思われる。残った建物には今でも当時の銃弾の傷痕があり、修復しないままであった。修復しないままの説明はなかったが、思うに、ブタペストの人たちは経済的な理由からではなく、当時の民主化を願って犠牲になった人々や、ソ連の支配から独立しようとして闘った人々の"誇り"の記録を残そうとしているのかも知れない。

 一方、第二次大戦でナチスの軍隊が破壊の限りを尽くしたポーランドのワルシャワの街は、建物の全体的な姿はむろんのこと、壁の割れ目から、石積みのパターン、看板、家々の紋章にいたるまで丹念に復元した。

 その徹底したやり方は、自分たちが住んだ古い街に対する愛着だけでは説明がつかなく、ワルシャワの人々の"心の根拠"を取り戻すことであり、理不尽で一方的な破壊者に対する闘いであり、ブタペストの人たちに通ずる"誇り"であったのかも知れない。

 同じ戦争の記録でも、広島の原爆ドームは、広島の人たちの誇りでもなければ、まして人類の誇りであるどころか"人類の愚かさ"の記録であろう。人類は今も、世界のどこかで"戦禍"を作り続けている。


ハンガリー動乱
『世界の歴史』 J.M.ロバーツ著 創元社

1956年10月23日に、ハンガリーのブタペストで共産党政権に対するクーデターが発生した。
ハンガリー共産党から追放された反体制派が新内閣の指導者を名のり、同市に駐屯するソ連軍の撤退とワルシャワ条約機構の解体を求めたのである。
しかし、ソ連の戦車が派遣され、クーデターは24時間以内に鎮圧された。

 


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