事    項


【三浦八右衛門、富吉親子が開削したとされる三浦堰】




【県営圃場整備事業・・・排水路整地作業 昭和40年】




【県営圃場整備事業・・・農道整地作業 昭和41年】




【県営土地総事業・・・農道整備 平成5年】

享保初め
(1717年)

二井田村人、一関重兵衛が扇田村の馬坂下(比内町扇田上川端地点)にて米代川をせき止め水路を開削し、二井田出向地区の開田地区へかんがいする(二井田堰のはじまり)
嘉永6〜安政5
(1853年〜1858年)
山本郡鵜川町の三浦八右衛門が二井田野と板沢野と呼ばれる土地(200ha)を開墾すると共に二井田堰を拡幅し、その用水を犀川に流入させ、さらに犀川をせき止めて取水する用水堰の工事に着手する。(後に三浦堰と称する。)
明治41年
(1910年)
水利組合法施行により三浦堰普通水利組合設置。

明治43年
(1912年5月25日)

二井田堰普通水利組合に改称。(管理者 安達友彰)
昭和19年〜
昭和26年
(1944年〜1951年)

昭和19年より二井田堰頭首工の大改修工事に着手。7年の歳月と当時6千万円という巨費を投じて昭和26年竣工する。(工事完成にあたっては常設委員、虻川峯松氏の尽力によるところが大きかった旨、記念碑に刻む。)

昭和27年
(1952年)
土地改良法施行に伴い「二井田村外二ヶ村土地改良区」として設立認可される。その後、町村合併により昭和33年大館市二井田真中土地改良区に名称変更
昭和33年
(1958年)
集中豪雨により米代川が氾濫、二井田堰頭首工が流失し、取水不能となる。

昭和34年
(3年間)

頭首工復旧にあたり、対岸上流に位置する上川沿土地改良区三堰頭首工と統合堰を造るべく、米代川筋土地改良区連合を組織、県営災害復旧事業として米代頭首工並びに逆サイフォン新設工事に着手、昭和36年完成する。

昭和39年
(5年間)

県営圃場整備事業を秋田県第1号地区として実施、30a区画を主体にした圃場が完成。同時に三浦堰(2344m)の改修に着手、三面ブロック舗装の幹線水路として整備される。

昭和59年
(12年間)

県営土地改良総合整備事業実施。県営圃場整備事業地域内の用排水路、農道の整備及び暗渠排水等の施工。

昭和60年
(8年間)

県営かんがい排水事業実施。二井田堰と本田堰及び三浦堰取水工の整備に着手。
平成5年
(5年間)
県営ため池等整備事業実施。三浦堰頭首工の全面改修に着手。
平成14年10月 二井田真中土地改良区事務所新築
名   称  大館市二井田真中土地改良区 土地改良区事務所(平成14年10月新築)


設立年月日  昭和27年5月12日
設立認可
番  号
 秋田県指令第90号
受益面積  588.ha
組合員数  538名
総 代 数  定数40名 現員40名
役 員 数  15名(理事12名、監事3名)
職 員 数   2名
所 在 地  秋田県大館市二井田字高村56
関係市町村  秋田県大館市
そ の 他

二井田真中、上川沿両土地改良区が取水源とする「米代頭首工」を共同管理するため「米代川筋土地改良区連合」を組織している。


 本土地改良区の前身は江戸時代までさかのぼり、二井田村出向地区開田のため、上流に位置する扇田村の上川端地点において米代川を堰止め(後に二井田堰頭首工と称する)、さらに扇田村川端地内を貫流する水路(通称:二井田堰)を開削し、出向地区へかんがいしたのが始まりとされている。
 その後、嘉永6年(1853年)山本郡鵜川村の人、三浦八右衞門が二井田村大石台、小石台地区及び下流にある真中村の一部の開墾を企て、従来の二井田堰を拡幅、さらにその水を犀川へ合流させると共に、村の西側にあった用水路(後に三浦堰と称する)を拡幅し、開墾地域へのかんがいにあてたと記録されている。
 明治41年10月水利組合法により三浦堰普通水利組合と改称、更にその後昭和33年、町村合併により大館市二井田真中土地改良区と改称した。
 昭和33年に県北地域を襲った豪雨により米代川が氾濫、二井田堰頭首工が流失する。翌34年この復旧にあたり、上流に位置していた上川沿地区の頭首工と統合堰を作るべく、米代川筋土地改良区連合を組織、災害復旧事業として昭和37年に統合堰である米代頭首工が完成する。又、二井田堰への導水にあたっては対岸より米代川を横断する逆サイホンが新設され、以後安定した水の供給が可能となる。
 米代頭首工の完成を機に農業経営の近代化を図る声が高まり昭和39年、本県における県営ほ場整備事業第1号地区として二井田地区が採択となり、5年間の歳月と3億5千4百万円の巨費を投じて昭和44年、30ア−ル区画を主体とした圃場が完成された。
これにより農作業の機械化が急速に進み、労力節減や収量増収など農家所得は飛躍的に増大した。
 昭和53年には、複合経営確立の一環として畑地区画整備事業に着手、団体営土地改良総合整備事業として昭和55年に完成、現在は山の芋やアスパラガスなどの特産物導入が図られている。又、昭和59年には、ほ場整備事業の総仕上げとして位置付けた、県営土地改良総合整備事業を実施し、末端の用排水路を整備。昭和60年には、県営かんがい排水事業において長年の懸案であった二井田堰の改修整備を行い、さらに平成5年度には、その二井田堰の用水を三浦堰へ取水するための施設である三浦堰頭首工の改修を、県営ため池等整備事業で実施するなど各種事業を展開し、より一層強固な農業基盤の整備を図るとともに、地域農業の安定的発展の確立を目指現在に至っている。

昭和31年当時の二井田堰頭首工(昭和36年、米代頭首工及び逆サイホンの完成に伴い、その役割を終える。)



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