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第17回 『思い出いろいろ』その3 〜MPS報19周年記念号〜

985年6月、MPSは創立19周年を迎え、めでたく3階建ての新教室が落成。これを記念して作ったのがMPS報19周年記念号なのでR。塾=ジュクにかけて19面なのでR(当時のMPSは何かと19に仮託することがあった)。この新聞の編集後記にも記されている通り、小生は塾に徹夜の連続で、三宅先生と御家族の皆さんに御迷惑をおかけして大変申し訳なかったのでR。ごめんなさい。また、ユキヒコ君に編集作業を手伝ってもらい、何度となく明け方ファミレスにまでつきあってもらったのでR。キャンプ特集号でもそうだったが、あの時は補助をありがとう。
 この頃の新聞作りは、手書きの原稿を集め、和文タイプを打って活字化し、打ち上がった紙をタイトル・写真・イラストなどと一緒にレイアウト用紙に切り貼りし、それをコピーして余分な影や汚れを修正液で消して印刷原板をつくり、印刷機にかける。紙面は両面印刷なので、片面印刷後にしばらく乾かしてから、もう片面を印刷して完成、という工程だった。特に和文タイプは現在のワープロソフトと違って、1文字間違えたら1文字だけ打ち直して切り貼り、1文字飛ばして打ち忘れたらそこから全部やり直しという、純粋に文字を活字化する原始的な事務機器だったのでR。タイプの盤面で活字の位置をある程度覚えておかないと時間がかかって仕方がないし、打ち方にも微妙な力加減が不可欠で、弱すぎるとカーボンから紙に活字が写らず、強すぎると活字がつぶれて土台のドラムも傷むといった具合で、かなりの熟練が要求されたのでR。当時はこれをVVと打っていたのでR。この時に体験した編集手法やレイアウト術は今でも身体に染み付いていて、道具がタイプからパソコンに変わっても、印刷物をつくる仕事や資料作りをする場合に役立っていると思うのでR。
 19周年記念号は、1?8期生(8期生は今のOB会で3期生)の寄稿のほとんどが、さらに遡って、1976年の10周年記念号から転載したものでR。MPS報No.30・創立10周年記念号は、8期生の小生が中学3年生の時に編集したガリ版刷りの新聞なのでR。クソと呼ばれたインクで(本当に臭かった)ガリ版印刷をした憶えがR。字がへたっPだったので謄写版の鉄筆を握ることはなく、イズウラ君と一緒にもっぱら取材に走り回っていたのでR。当時すでに成人していたり、大学生・高校生になっていたOBに、MPSでの思い出をインタビューするために各所を訪ねたのでR。取材で水ノ尾まで足をのばしたこともR。
 1966年6月のMPS発足から42年。創立19周年からでも何と23年。光陰矢の如し。とにかくなつかC思い出なのでR。(MPS報19周年記念号 編集長 嵐山光三郎は大学の先輩)

 編集部より:今回(’08/04/18)の更新で「復刻!MPS報」のコーナーに、この「MPS報19周年記念号」が掲載されています。200号近く続いたMPS報の中で最大紙面でした。お楽しみください。

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