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テーマ別・大学の評価  〜「大学格付け」作成にあたり その2〜 

れから先10年、規模の小さい大学、人気のない大学は順次消えていくことが予想される。その危惧を抱く大学関係者は自分たちの生活防衛だけを考えるようになり、大学を教育の場から遠くかけ離れた存在にしてしまう。受験生は当然そのような大学を敬遠し入学希望者は減少、負のスパイラルに陥って、その末路に消滅が待っている。
 大学の格付けをするにあたり、各大学の実態、実績、評価を知るために、あらゆる角度から2008年度〜10年度のデータを基に可能な限りの手段を尽くして調べた。その中でも、各大学の現状を知る二大柱は「財務状況」と「就職実績」である。財務状況を知ることに異論はないと思うが、就職実績を重視したのは、大学選びの優先順位は、興味、給与、生活安定、労働基準などの条件が自分の希望に合う職業に就ける確率の高い大学からということになり、それは現今の大学生や親の大多数が考えていることだからである。

 では早速、財務状況から見ていこう。「帰属収入【表01】」とは授業料・入学金・国からの補助金などの収入で、民間企業の売り上げに当たる。これが多いということは、合格偏差値とは関係なく、とりあえず受験生なり、在校生が多いことを意味し、大学という業界の中ではトップ企業ということになる。「総資産額【表02】」も全ての資産を合算したもので、大学の規模を表す代表的な指標になる。帰属収入を基にしての「帰属収支差額比率【表03】」という数値がある。この計算式は(帰属収入−消費支出)÷帰属収入で求められ、経営の窮迫・余裕度を測る指数である。企業の経常利益率に当たる。そのtopとbottomを載せてある。表にはできなかったが、「人件費依存率」というのがあり、計算式は人件費÷学生納付金で求められ、日本の全大学平均で90%を超え、100%を超えてしまっている大学が大幅に増加している。そのような大学は資金繰りにも困難をきたす。銀行は「帰属収支差額比率」と「人件費依存率」の2点を、融資の際には重視するようである。「帰属収支差額【表04】」は帰属収入から人件費、教育研究費などの経常的な経費を差し引いた金額をそのまま表しており、マイナスは支出超過ということになる。規模の小さな大学と大きな大学では、当然同額の赤字ならば、小規模の大学のが負担が大きいことになる。「自己資金比率【表05】」は財務の安全度を測る指数で、数字が小さいほど財務は脆弱ということになる。この計算式は(基本金+消費支出差額)÷総資産で求められ、50%割れは他人資金が自己資金を上回ることを意味する。
 ここでひとつ頭に入れておいてもらいたいことがある。この中に使われている表の数値は2008年度のもので、その時点での一過性の強い数値ということもあり得る。1つだけの数値は点であり、線として捉えるためには、数年前に比べてどうなのか、現在はどうなっているのかという数値を繋げることによって、より客観的事実になる。単年度だけでは資産運用失敗の損失や、逆に資産売却の利益ということもある。気になる大学をチェックする場合には数年間のチャートも必要になる。

 次に「就職実績」であるが、就職状況だけを見るのではなく、大学4年間は人生の中でも大切な環境であり、教員の質、学生の満足度などいろいろな角度からの評判や口コミも大切になる。そこでそれに関連する資料をなるべく多く集めてみた【表11〜表18】。
 しかし、ここにもひとつ問題がある。信憑性である。今の時代、数字にはトリックが多い。中でも予備校、塾、学校の合格者数の水増しは悪名高い。進学塾が1週間だけの短期講習に参加した生徒や、中途退塾した生徒を数に加えているのは日常的で、ある高校では優秀な生徒の受験料を学校が負担し、その生徒に7校の大学を受験させたという話があった。大学でも数字や評判を「袖の下」で買うという話も聞く。こうなるとどこまでその数字を信じてよいものか。それは個人の感性に任すことにする。単位のない表はポイント制にしてあり、トップ校を20に換算して表している。
 余談になるが、MPSでは中学の部、高校の部に2年以上あるいは卒業時まで在籍した生徒しか塾の名簿に残していない。その生徒の進学校を累積して、入塾希望者や卒業生に公表してきた。さらに、何十年も前から思っていることであるが、一人の生徒が2つ以上の高校や大学に籍を置くことはないのだから、本来「合格者数」ではなく「進学者数」を公表すべきでものである。卑しくも教育に拘わっている認識があるなら、節度ある、常識をわきまえた数字の公表を望む。
 就職はこの厳しい経済状況下では、大学生ばかりでなく、親も一番の心配事である。子供がどんな職業に、どんな会社に就職するかは、大多数の親の関心事である。正直私も、二人の娘がそれなりに自立してくれ、これで子供の扶養からやっと解放されたとホッとしている。あとは彼女たちの人生。「野となれ山となれ」他人に迷惑を掛けない範囲で自分の生きたいように人生を楽しんでくれればと願うばかりである。MPSの卒業生は個人経営をしている私を反面教師に捉え、公務員、金融、損保、あるいは業界トップ企業に勤める者が多い。しかし、どんな職業に就くかは本人の勝手であるし、こんな職業に就いて欲しいと願うのも親の勝手である。要はどんな職業に就こうと、生活の安定や収入が自分の欲望や送りたい人生にマッチしていれば、その人の人生は幸せということになる。
 閑話休題。【表21〜表28】は、大学別の国家公務員T種からガテン系公務員試験、各種難関国家試験、そして有名企業就職比率である。さすがにこの種のデータには「……が低い」「……が悪い」というbottomのものはなく、【表11〜表18】同様、どうしてもtopのデータになる。だから載っている大学は、「消えていく大学」から遠い存在にあると言ってよい。また、医師は医学部に行かなくてはなれないし、行けばよほどのことがない限り医師国家試験には合格するので省いた。
 就職データは多くの調査会社やメディアが調べていて、興味深いデータもいろいろあった。一番多いのは卒業生全体の就職率であるが、このデータは新聞にも載っているので割愛した。おそらく、就職する当事者の一番知りたいデータは、自分の希望する企業あるいは職業には、どの大学から多く就いているかということである。そこで、優良企業・有名企業・一流企業への就職率に絞って掲載した。この優良、有名、一流という定義もまた難しく、調査側の選出企業によって数字は変わってくる。そこで2社のデータを並べてみた。よく使われている「大企業有力400社」という言葉は、日経平均株価指数の採用銘柄企業、会社規模や知名度、大学生の人気企業ランキングを参考に大学通信が選定したと言われている。しかし我々一般人には、業界のトップクラスで、株価も高く、大学生からも人気のある企業というレベルの認識で十分であろう。
 この記事を書くにあたり、かなり多くのデータを集めた。半数近くを出所、信憑性からボツにした。ここでは「財務状況」と「就職実績」の中には載せられなかったものを補足する。
 まず、ショッキングなデータから。はっきり「危ない大学【表31】」と指名されてしまっている大学もある。また【表32】は、助成金の不正使用、財務諸表の虚偽記載、在籍者が申告より少なすぎるなどの理由から、私学助成金の交付を受けられなかった大学のリストである。この2つの表に載ってしまうことはかなりマイナスのイメージを受験生や親に与える。
 逆に一般受験生の多いところ【表33】は、滑り止めの受験であろうとその大学を選択したのだから、ひとつの人気バロメーターと捉えてよい。ただし絶対数だけではマンモス大学【表34】に多くの受験生が集まることは必然で、それを解消するには受験者数×4÷学生数で、より確かなデータとなる。この式に当てはめると、同じ学生数の立教は16、専修は7.8、神奈川は4.7となり、数値の大きいほど受験生の支持が高いといえる。ただ残念なことは、大学ごとの学生数はどうにか集計できたので次回に載せる予定でいるが、受験者数は調べ切れなかった。この4月の情報公開義務化で調べられればよいのだが、競争倍率と入試方式とその割合(内訳)は公表項目にないので、あまり期待できそうにない。
 中堅校、底辺校でも、大学の校風、努力によって、大企業から好印象を持たれているお得な大学もある。特に目立つのが女子大である。もうひとつは理工系単科大学。【表35】と【表36】は2つの出版社が調査した「30歳推定年収」と「平均年収」であり、公務員、医師、弁護士、自営業者は除外されている。双方の表に載っている大学は就職に強い大学といえる。プレジデントはユニークな数値も出している。年収偏差値−入学偏差値で求める「お買い得度」で、数値が高いほど「お得」ということになる。慶応義塾は61.0−65.0で−4.0、芝浦工業は58.1−52.0で+6.1。私立TOP校の難関慶応にはお得感はなく、芝浦は入学難易度に比べてかなりお得な大学ということになる。お得な大学は、聖心女子4.9、東京理科4.3、東京女子3.4、成蹊3.2と続いている。毎日「得した!損した!」と一喜一怒(造語)して生きている現代人へのirony とも取れるデータである。
 昨年の流行語大賞TOP 10に選ばれた「女子会」。他にも「女子力」「肉食系女子」など、trend は女子である。女性にもいろいろあることは、この歳まで生きてくるとそれなりにわかっている。仕事の上でも、何百人の女子中高生を身近で見てきて、どんなタイプの女性になるかの芽は、すでにその時に持っているように思う。最近は男性が情けないのか、女性のが仕事も、研究も、勉強も男性より努力し、てきぱき行動し、しっかりしている人が多いということは、会社関係者や学校関係者からもよく耳にする。
 「就活で企業に行くと、不思議とうちの大学、40代から50にかけてのおじさんに人気があるんだよね。」これは長女の言葉である。人事部の部課長クラスのおじさんが、学生時代の彼女との淡い恋のことでも思い浮かべていたのだろう。昔から女子大からの大企業への就職率の高いことを私は知っていたので、同レベルの総合大学よりも、女子には女子大、理系には理系単科大学を生徒には薦めてきた。

 最後に、「消えていく大学」について個人的意見を述べる。次の5つの点をチェックすることを勧める。

 その1 財務状況が悪い
 その2 就職実績が悪い
 その3 人口減少が激しく進んでいる地域にある
 その4 一般入試(センター試験選抜を含む)の偏差値が低い
 その5 全体定員枠の中での一般入試(センターを含む)枠の割合が低い

 その1、その2については、これまでの話で理解してもらえると思う。その3については、経営面から他業種同様人口減少は需要の絶対的縮小を意味し、立地条件のマイナス面を補うだけの魅力がないと、志願者、新入生の増加は期待できない。卒業時の就職の確保も難しい。地方・私大・低偏差値大学は「三重苦の大学」と呼ばれている。
 その4については、「何のために大学に行くのか」という問いに、「少しでもよいところに就職したい」という答が多い限り、やはりよいところへ就職しているのは「入試偏差値」の高い大学の学生が多く、上位校は安泰といえる。裏返せば、偏差値の低い大学は消えていく可能性が高い。
 その5についてのデータを取り上げているところは少ない。どの大学もこのデータは一番公表したくない部分で、この壁を崩したのは当事者である大学ではなくマスコミだった。私が得た情報はただ2社だけで、読売新聞と週刊ダイヤモンド。最新のデータでは一般入試を受けた新入生の比率が、ついに過半数割れになった。なぜ「一般入試枠」の割合が低いことが問題なのか。ここにも数字のトリックがある。少子化で受験生が減っているにもかかわらず、大学の難易度(偏差値)が下がらないのは、大学が一般入試の定員を減らし、その分を推薦やAOに割り振っているからで、このことは業界人なら誰もが知っている。それゆえ、この入試方式ごとの入学者の内訳は、大学にとってはおいそれと外に出せない極秘データなのである。
 受験生の多くは大手の予備校が実施する模試の「偏差値ランキング」をもとに志望校を選ぶ。だから大学側は偏差値の数字を落としたくない。そこで一般入試で入学させる定員を減らすことによって、「狭き門」を数字上で維持するために一般入試の枠を操作しているのである。それでは例を使って説明する。さらに、とんでもないことが見えてくる。

例1
一般入試受験者
一般入試定員
紙面上の倍率
他方式入学者
学部全体の定員
実質倍率
A大X学部
600人
300人
2倍
100人
400人
1.5倍
B大X学部
600人
200人
3倍
200人
400人
1.5倍
C大X学部
600人
100人
6倍
300人
400人
1.5倍


例2
一般入試受験者
一般入試定員
紙面上の倍率
他方式入学者
学部全体の定員
実質倍率
A大Y学部
600人
300人
2倍
100人
400人
1.5倍
B大Y学部
400人
200人
2倍
200人
400人
1.0倍
C大Y学部
200人
100人
2倍
300人
400人
0.5倍

 【例1】の3大学の新聞に載る倍率は2倍、3倍、6倍となる。C大が数字の上からは人気もあり、同程度の偏差値なら一番合格し難く感じるが、実は学部全体の定員は3校とも400人。ところがC校は事前に他方式入試(指定校推薦・公募制推薦・AO・付属推薦)で300人を合格させており、学部全体の定員に対しては3校とも2.5倍になる。C大に他方式で合格した学生は、自分の学力の偏差値がC大より低かったので、実力的に上位のC大を選択したと考えられる。そうなると、実質的にはこのような学生が多いC大はこの3校の中では学力の一番低い大学になる。
 【例2】の3大学の新聞に載る倍率は全て2倍である。ところがC大Y学部の実質倍率は0.5倍である。もし全員を一般入試で合否を決めるなら、受験者が定員の半分しか集まっていないことになる。このようにすでに底辺校の多くは「青田買い」をしないと存続すら危うい状況なのである。そこで上位校も負けずに他方式入試を多く採用し始めた【表41】。全国平均で1990年には8割だった一般入試が半分以下になったのも肯ける。学生の獲得競争を背景に入試の多様化は進み、大義名分を掲げいろいろな手段を使って他方式入試を考えているが、結局最高学府である大学を陳腐な教育の場に変えてしまっているだけである。
 関係者の間では、大学の学力水準を維持するためには一般入試入学者の比率が最低50%は必要といわれている。現状は私立大351校の3割強が30%以下で、中には1%台という信じられない大学もあったという。現実にはすでに無試験入学、あるいは無試験もどき入学が、国公立を含めかなり行なわれているようだ。調査の中でほとんどの学長は、一般入試新入生に比べ他方式新入生の学力の低水準を十分認めており、「基礎学力の向上」に力を入れる(or 入れている)とコメントしている。新入生の学力を問う到達度試験や、習熟度別のクラス分けを実施している大学は国公私立全体で80%を超えているという。教育か、経営か、それとも自分たちの生活か、大学は今三者択一を迫られている。あなたが高校生のとき「1に実力、2、3なくて、4に推薦、5に付属」と、よく言っていたことを思い出す。大学は生き残りのために、status 維持のために、他方式入試の枠を広げてきたのである。

 大学で学んだ専門分野を活かす道に進む学生は、私の時代から極めて少なかったが、現在の学生たちはもっとあからさまに「大学へ行くのはよりよい就職のため」と割り切っている。このような社会を作ったのは彼らではないのだから、そのことで彼らを責めることはできない。ただ、大学生自身の価値判断の多様化が進まないと、このままではますます「大学合格偏差値」と「難関国家試験合格率&有名一流企業就職率」が ≒ で結ばれるようになり、後者の数値が0に近い大学は少子化とともに不要の存在になっていくことは確実のようである。
 大学のへ納付金も私立文系自宅通学者でも4年間で最低400万円(理系は600万円)。これに予備校の月謝、受験のための諸費用、それから先4年間の扶養費を合わせると最低300万円が上乗せされる。これだけの高い金額を支払って大学に行っても、思っているようなところに就職できる学生は少ない。現在は高校卒業後すぐ仕事に就く人は10人に2人の時代であり、大学生の質も低下している。今から40年前の大学進学率20%前後のときの優秀な高卒就職者より、学力、能力の劣る大学生がかなり多くいるであろう。日本経済の厳しさを肌身で感じている民間企業は、そのことを十分に認識していて、少しでも使える学生選びをする。それでも、とんでもない人物を採用してしまうこともあるようだが。
 「大学は出たけれど…」という時代であるなら、何か手に職をつけるとか、してみたいことに挑戦するとか、興味あることをするのもひとつの道である。私もその一人かもしれない。当時は既定路線から外れて社会の荒波に飛び込んでいった知人は何人もいた。しかし、現代は好きな道に進んでも、生きるという最低限の保障は当時よりぐっと低くなっている。まさに現代社会は先の見えない、八方塞の生き難い時代になった。だから、若者ばかりでなく親までが安全、確実の「寄らば大樹の陰」の発想になってしまうのだろう。

 やっと終わりました。最後まで付き合ってくれてありがとう。このHPの中で最長かもしれません。書いている本人も疲れました。義務感と行動力を信条として生きてきた私も、さすがに途中何度も嫌になりました。この記事としばらく関係ないあなたも、息子や娘が大学を目指すようになったら役立つことを願っています。
 終盤に差し掛かった頃、漱石の「草枕」の冒頭部分が頭に浮かびました。
『山路を登りながら、かう考へた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
 住にくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟つた時、詩が生れて、畫が出来る。
 人の世を作つたものは~でもなければ鬼でもない。矢張り向ふ三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作つた人の世が住みにくいからとて、越す國はあるまい。あれば人でなしの國へ行く許りた。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくからう。』
 なぜこの文章が浮かんだのかわかりません。記憶の底に沈んでいたものが何かのきっかけで浮上してきたから「頭に浮かぶ」というのでしょう。
 タクシードライバーの飲酒運転、消防士の放火、政治家・公務員の汚職、マスコミの捏造、スポーツの八百長、これらのことはその職業に就いている人なら、絶対してはいけない、人としての最低のモラルです。「警察署長が暴力団の組長だった」というフィクションの話がありますが、検事が証拠隠滅する時代にまでなってしまった現代、ブラックユーモアの世界ではなくなってきています。キーボードを打ちながら、大学も同列になってしまったのかなという寂しさから漱石の言葉が浮かんだのかもしれません。

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