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どうして大学に行くのか? 〜「大学格付け」作成にあたり その1〜

野武がTVで「長生きして、科学技術がどこまで進歩していくのか見てみたい」と言っていた。私も似たようなことを思っている。日本国はいつ破綻するのか? 人の心はどのようになってゆくのか? 乱れた社会の秩序をどう維持しようとするのか? 地球が、人類がどのように変化していくのか、あの世から眺められたらと思っている。
 世界が、日本がどのようになってゆくのかを全く見通せない中で、自分たちが生きていくことすら汲々としている今の時代、子育ては大変なことだと思う。こんな世の中だから、放任の親は人に迷惑を掛ける子を作り、楽な人生を歩ませたい親は安定した収入のある職業に就けさせようとする。
 あらためて、どうして大学に行くのか、どうして大学に行かせるのかを考えてみると、その答はもちろん千差万別であるが、かなりの高い確率で多くの子供は、とりあえず行かなくてはまずいだろうという緩い考えからと、社会に出るまでのmoratoriumとして大学に行き、一方多くの親は、世知辛い世の中でわが子だけはという親心から大学に行かせていると考える。学問をより深く研究したいとか、大学の先生の人格に触れたくてという答は、今の時代少数派であることは確かなようである。
 そうなると、卒業していかに安定した職業に就けるかということのために大学に進むことになる。大学側もそのことは十分わかっているようで就職に力を入れている。優良企業への就職や国家公務員になれる確率の高い大学・学部に入学できるように子供たちはチャレンジし、親はそれをサポートする。合格偏差値が高いからよいところへ就職できるのか、よいところへ就職できるから偏差値が高いのか。それは鶏が先か卵が先かの話になる。
 果たして合格偏差値の高い大学が質・量において就職状況もよいのだろうかということが気になり、関東の私立大学を調べてみることにした。結論から言うと、その2つはやはり強い正の相関関係にあった。そんな中、偏差値の低い学校でも教育指導や就職活動に力を入れ、それなりの実績を残している大学もある。
 ある有名企業の取締役をしている友人の言葉である。
「それなりに優秀な大学を卒業してきたということは、少なくても学校生活でしなくてはいけないこと(与えられたこと)をしてきたということは言える。また大学レベルの運動部出身者は、頭のほうはイマイチでも機動力としては使える。それに仕事面での最低限の会話力、知識、熱意を持っているかどうかを調べ、この2点の最低条件をクリアーしていると思われる学生をまず採用している」この言葉は企業側の採用の本音を凝縮しているかもしれない。
 この4月から、全ての大学・大学院・短大に、教育に関する情報をそれぞれのHPなどで公開することが義務付けられる。義務化の対象は、入学者数、定員、在学生数、教員数、教員の業績、授業科目、年間の授業計画、卒業の認定基準、学費など、細部にわたる。これには受験生たちへの情報提供のほかに、大学側の質向上に向けた取り組みを促す狙いもある。内容は第三者機関が審査し、公開が不十分であると国からの補助金が減額される可能性もある。
 「大学格付け」作成にあたり、かなりの時間を要した。新聞、情報雑誌、受験雑誌、ネット等、多くの分野の資料を参考にし、それを主観的に(客観的にではない)総合判断した。この作業をしていて、少なからぬ寂しさも感じた。
 現代日本の体たらくの病巣は行政と教育にあることはメディアでよく言われてきた。公立学校は双方の範疇に属する。大学はその最高学府として頂点にあるのだが、大学教員の仕事に対する姿勢、社会常識の欠如、性格的歪みは酷いもので、大学の内情を多少なりとも知る者には周知の事実である。
 各分野で日々研鑽を積み重ねている学者はノーベル賞を獲るような理学分野ばかりでなく、法学、経済学、医学、工学、農水学、社会学等、それぞれの分野に大勢いる。しかし残念なことは、このような人物が大学の教師かと疑いたくなる輩がそれ以上に多くいるということである。大学のこのような疲弊、硬直した体質は、戦後の大学生の数が右肩上がりに増加した50年代から、団塊ジュニアといわれる子供たちが大学受験をした1990年代前半まで、体質を悪化させながら続いてきた。
 皮肉なことに、21世紀になって少子化や助成金の減少により大学側も腐敗した閉鎖的な体質を自助努力で改革しなくては生き残れないことに気付いた。最近の大学生の質をとやかく言うが(そのことに異論はないが)、大学の体質や教員の研究及び人間性の質を向上させることが先決であろう。
 私は学生運動(学園闘争)の最も激しかったときに大学4年間を過ごした。全学ストライキからバリケード封鎖、機動隊導入による排除と大学当局によるロックアウトという事態となり、3、4年生のときはほとんど授業が行なわれなかった。しかし授業料はしっかり取られ、授業はなくても卒業証書は渡され、卒業式はなかった。
 しかし、大学の授業を受けていなくても、何とか今日まで生きてこれた。同級生にも有名企業の社長や取締役なった者、あるいは起業家として成功した者、自分のしたい仕事に就いて充実した人生を送ってきた者は多い。他の世代と何ら変わることなく社会の中で活躍してきた。
 授業料だけを取られた大学生活であったが、学外でそれ以上に人生を学ばせてもらい、大学には行ってよかったと思っている。恋、旅、読書、バイト、友人との語らい、大学生活は人生の中でも楽しく意義のある時代であったと思っている。
人生をenergetically にcheerfully に過ごそうという考えはその時に身に付けたのかもしれない。
 進学する大学も自分の選択したひとつの環境である。大学4年間は就職だけでなく、卒業してから長く続く人生にとって、どんな出会いがあり、どんな経験ができるかという場である。合格偏差値の高い大学のが、それから先の人生に意義ある出会いなり経験が多くできるかもしれないという確率が高いくらいの有利さはあると思うが、有名大学に入学できてもそれで終わってしまう人も多い。最終的にはやはりその人の人間性ということになるのであろう。
 特に生きていくのが大変なこれからの時代、収入の安定だけを求めるなら公務員であろうが、それ以外の職業に就く場合は人間性で勝負し、あとは運である。それがidentity であり、人生であると思っている。

次回更新時に「テーマ別・大学の評価」を
次々回更新時に「関東私立大学・大学別格付け一覧」を掲載予定です

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