三宅学習塾OB会 > トップ > 会員からの寄稿 > MPS OB会に参加して

 MPS OB会に参加して 

し重たいMPSの扉をゆっくりと開けるその感覚は、僕にとって約5年ぶりのことでした。独特の匂いと空気感がとても懐かしく、僕の背筋を自然と伸ばしてくれました。入ってすぐ左手の部屋(staff room)に座っているその姿は5年前とほとんど変わりませんでした。先輩卒業生の方々の盛り上がりに水を差す失礼があってはいけないと、意図的に30分ほど遅れて参加させていただきました。既に10数名の先輩方がおられました。「先生」と呼ばれる職業は世の中に数多くあれど、これほどまでに長く、そして多くの人に慕われている人はなかなかいないのではと思います。参加していた方々は皆様人生の大先輩ばかりで、当然僕が一番の若手でした。場違いかなと思いましたが、どうやら誰かを慕って集まることに老いも若きも関係がないようで、とてもよくしていただきました。
 部屋では過去のキャンプのビデオ映像が流れていました。みなさん昔を懐かしみながら談笑していましたが、僕は時折映り込む父の姿に目を丸くし、口を開け驚くばかりでした。自分の年齢とそう変わらない父の姿を見るのは、なんだか恥ずかしいような恐ろしいような、不思議な気持ちでした。しかしさらに驚いたのは、そんな父の皆様からの慕われようです。“普段家ではなかなか見ることのできない”大きな態度の父親になんとも言えない気持ちになりました。会の中での会話ではそんな父をネタにし、積年の恨みを晴らそうとする(?)皆様からのお手伝いもあり、小さく丸まって恥ずかしそうにする父の背中はなぜか大きく見えました。“普段と違って”。
 三宅先生も「風邪が治んなくてさ?」なんておっしゃっていましたが相変わらずの“地獄目”“地獄耳”でした。「おい!〇〇!」「なあ?〇〇」とキレッキレの無茶ブリ。そんな時はどの世代も「はいっ!!」と背筋正して答えるのですね。面白かったです。また、途中で始まった先生の「心」についての授業。その授業を聞く時は皆話をやめ、箸やグラスを置き、視線を先生一人に向け、静かに先生の言葉に耳を傾けていました。まるでその一瞬で、その場にいた全員が学生に戻ったようでした。どれだけ年を重ねようとも「先生」は先生であり,変わらぬ存在であるのだなと、改めてその存在の大きさを実感しました。
 年齢、志、考え方、生き方の異なる人間がこうして一同に会して、一人の人に対し、一つの思いで向き合う。そこには先生の人柄であったり、感謝であったり、勉強だけでない「教え」が、確かに存在するように感じました。どれだけ世代が変わろうとも、それは脈々と、そしてしっかりと受け継がれ、40期生である僕にも伝わっていました。それは確かな「心」であり、大切な「心」なのではないでしょうか。
 ところで,現在の日本の大学の講義というのはお金に換算すると文系大学でも1講義5000円前後だそうです。このOB会は社会の中で活躍されている様々な人生の先輩方とのお話もでき、大変勉強にもなり有意義なものでした。そう考えると会費が3500円程のOB会は、つまらない大学教授の話を聞くよりも(父上のことではありません)よっぽど“お買い得”なのではないでしょうか。僕を始めとする「人生の後輩」の皆さん、機会があれば一度参加してみるのも良いかもしれませんよ。
 最後に僕のような若造の書く文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。ゆとり世代の青二才ゆえ、文中多々見苦しい点あるとは思いますが、皆様の大地のように広く,空のように澄んだお心でお許しいただけたらと思います。長文乱文失礼いたしました。

40期生 鈴木慎平  

住 所
〒250-0034 小田原市板橋647番地 三宅学習塾OB会事務局
事務局への投稿などはこちらへ
三宅先生への連絡などはこちらへ