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ゴルフ狂騒曲

月24日、転勤のため前任者と引き継ぎの際、4月14日のゴルフコンペを知らされる。
 ゴルフはほぼ20年ぶり、それもコースに1、2度出ただけ。やっていないも同然だ。以前、三宅先生に経営者(ビジネスマン)の嗜みは「ゴルフと囲碁」と言われていたのを思い出す。今までしてこなかったツケが回ってきた。20日間でどこまでできるか。僕のゴルフ狂騒曲が始まった。
 まずは、昔の道具を引っ張り出す。クラブは社会人になった時に揃えた20年前のクラブだ。ドライバーの水色のヘッドが恥ずかしいけど、とりあえずこれでいこう。バック、シューズは買い換えた。さあ、練習場に行くぞ。
 やって来ました。打ちっぱなし。家から近いクラウンだ。初心者は周りの人がうまいとプレッシャーがかかるので、なるべく人のいないところに行きたい。でも空いていない。
 やむを得ず、右側の方の打席を選択。周りにプロみたいな人がいっぱいいる。年配の人は杉原プロみたいだ。隣で打たれるドライバーの甲高い音に、狙撃されるようで落ち着かない。まずはPWから、当たらない。ゴロゴロー、ゴロゴロー。2、3メートル先のボールに当たって弾けて、周りに迷惑。耐えきれず、缶コーヒーを飲む。9I、7I、5Iと打ってみて、トップ、ダフり、まともに当たらない。これは大変なことになったと憔悴。
 その後は、業務終了後、時間があれば夜9時半から11時まで90分の打ち放題が定石となった。この時期は、理論もなく、打ちまくっていた。とり憑かれたように。後日、先生に「何球ぐらい、打ってるんだ?」と聞かれて、「250球くらいです。」と答えて、「そんなに打っているのか。」と言われたけれど、先生、すいません。本当は350球くらい打つ日もありました。
10日経過。なんとなく前にボールが上がって、飛ぶようになってきた。この頃、職場の大先輩から、お古のドライバーをいただいた。黒くて大きなヘッドに当たりそうな気がして、振ってみた。「コキーン」との快音を残して、打球が飛んでいった。まぐれあたりだった。「20年の道具の進歩はすごい。」この一発に触発されて、アイアンセットを買い換えた。
新しいアイアンセットを携えて、気分良く練習場へやってきた。結果、全く当たらなくなった。その後、少しずつ前に飛ぶようになってきたが、今度はボールが「右へ、右へ」と行きだした。思い切って左を向いて打ってみた。そしたらボールはもっと右へ行った。もう、わからなくなった。三宅先生に教えを請うた。
先生のコーチを受けた。打つだけだった自分のゴルフに、初めて理論が入った。先生のアドバイスは簡潔で、分かりやすいものだった。しかし、その通りに体を動かすのは難しく、先生には「お前にゴルフを教えるのは、勉強教えるより手こずりそうだな。」と言われる。練習場では、今まで行ったことのない左側へボールが行くこともあり、「左に行った時は、自分を誉めてやれ。」とは先生の言葉。その後、アプローチの仕方(ピッチ&ラン)を教わり、その日のレッスンは終了。この時点でコンペ5日前。
その後も練習場に通い、相変わらず「右へ、右へ」の傾向はあるけれど、原因が分かってきたので、考えて打つことができるようになってきた。アイアンの一打も、パットの1打も同じ。夜中にパターマットで練習していて、家族にうるさいと怒られる。SWでアプローチの練習をしていると、とてつもなくボールが右へ行くことがあり、一縷の望みをかけてAWをネットで購入。コンペ前日に到着。その夜、練習場へ行って、何度か打ってみる、翌日は本番。
コンペ当日、1番ホール。500ヤードのパー5。くじ引けば当たりの一番だ。迷わず持った5番アイアン。ギャラリーの前で(気分的には衆人監視の中)、第一打を振りぬけば、ボールは緩い放物線で左方向へ。左に行くなら、内心OK。結局、1ホール目はダボ。上出来、上出来。最終的には125で、皆さんに迷惑をかけることなく、まわることができました。先生、ありがとうございました。
私は、先生に勉強を教わり、人生を充実したものにする知恵を教わり、そして今、ゴルフを教わっています。ありがたく、楽しく、感謝しております。今年は、芝好会にも参加したいです。次回は、先生の言葉の通り、百獣(110)の王を目指して頑張ります。  (69年生まれ、ペンネーム バンカーLOVE)

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