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吉野弘の詩

はお好きですか。日本の短歌や俳句も文学の一つだと思うのですが、現代社会ではマイナーなほうなのでしょうね。しかし、歌は詩とメロディーのコラボ作品ですけどね。
 自分の言葉で上手に心をお伝えできる技量があれば、喜んで私の詩を載せていただくのですが、詩の世界は言葉を切り捨てていく作業が難しく、私には読んでいただく方の心に入りこめるような詩は書けません。
 そこで、詩の良さを味わっていただけたらと思い、季節と自然と人の心を織り合わせた吉野弘(故人・2014年没)の詩を紹介します。四季より「春夏秋冬」の各一編を私の好みで選ばせていただきました。ロック・ミュージシャンの浜田省吾さんの代表作「悲しみは雪のように」は、吉野弘さんの「雪の日」に感銘を受けて作ったといわれています。また、小田原高校卒の脚本家山田太一さんも彼の作品を敬愛していたそうです。(閑雲野鶴 年齢不詳)

……春
譲る

春の気配を感じると
雪は あっさり
退位に同意し
白い領分をどんどん減らしていく。
陽当りのいいところなどでは
急いで縮まろうとして
美しい肌に
しわをつくったりするほどだ。
昔の中国に
「禅譲」というしきたりがあった。
帝王がその位を有徳の人に譲ること
と物の本に書いてある。
冬の帝王から
春の帝王への禅譲は
急速に
親しみをこめて行われる。

……夏
物理の夏

四方から
眼で
水着の少女の体重をはかる
水辺の男たち。

少女は逃げます
笑っている海の中へ。

海の中にはアルキメデス。
浮力の法則にちかって
少女をかるがると泳がせます
大きな透明の掌に乗せて――。
掌が少女と密接になりすぎぬよう
自重しながら。

もちろん
アルキメデスは 男たちにも
公正に 浮力を贈ります
少女を掌に感じたときほど
胸の鼓動は波立たないそうですが――。

……秋
落葉林

葉を落とし休息している明るい白樺林を
恋人同士がゆっくり通りすぎて行った
幸福が近くで聞き耳を立てていた

葉を落とし休息している明るい白樺林を
愛に傷ついた人がひっそりすぎて行った
疲れているのに、もっと疲れようとしていた

愛は、多分
休息を必要としない熱中なのだろう
しかし、愛とて
あるとき疲れ、眠らなければならない

葉を落とし休息している明るい白樺林を
幸福な一組の恋人と
かつて幸福だった孤独の人が
少し時を違(たが)えて、通りすぎて行った

……冬
雪の日に

雪がはげしく ふりつづける
雪の白さを こらえながら

欺きやすい 雪の白さ
誰もが信じる 雪の白さ
信じられている雪は せつない

どこに 純白な心など あろう
どこに 汚れぬ雪など あろう

雪がはげしく ふりつづける
うわべの白さで 輝きながら
うわべの白さを こらえながら

雪は 汚れぬものとして
いつまでも白いものとして
空の高みに生まれたのだ
その悲しみを どうふらそう

雪はひとたび ふりはじめると
あとからあとから ふりつづける
雪の汚れを かくすため

純白を 花びらのように かさねていって
あとからあとから かさねていって
雪の汚れを かくすのだ

雪がはげしく ふりつづける
雪はおのれを どうしたら
欺かないで生きられるのだろう
それが もはや
みずからの手に負えなくなってしまったかのように
雪ははげしく ふりつづける

雪の上に 雪が
その上から 雪が
たとえようのない 重さで
音もなく かさなってゆく
かさねられてゆく
かさなってゆく かさねられてゆく

 

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